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神能人離エール  作者: 葉玖ルト
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1話:奇妙な出会い

 人は、大体が現在の自分の幸せに満足をしていない。

 その大半は、例え不幸が降り掛かろうとも、多少のことでは『それが不幸である』と認識することもなければ、絶望に打ちひしがれることもないだろう。

 しかし世の中には少しの不幸で、絶望を覚えてしまう人もいるということをわかってほしい。

 そんな人には、できるだけソフトに接してあげてほしい。


「わんッ!」

「う、うわああ!」


 住宅街。コンクリートの塀から覗く家々。塀が両脇を囲む細い道を、僕は必死に駆けた。僕を執拗に追い回す、体長三十センチはあるであろう、黒と茶色い毛並みが特徴的な犬は、その箒のような尻尾を左右に大きく揺らし、吠え声を上げて同様に駆ける。


「ぜえ、ぜえ」

「わんっ! わんわんっ!」

「や、やめろっ! くるな、あっちいけ!」


 息も絶え絶えに、それでも一生懸命走った。

 捕まっては一巻の終わりだと言わんばかりに全力疾走する僕に迫る魔の手。

 せめて家に辿り着ければ、僕の勝利を掲げることができるのに。

 僕の背負わされた運命を、変えることができるのに。

 そんな思考を張り巡らせながら足を進めるうちに、こんな質素な住宅街には似つかわしくない、高層の建物が目に映る。

 僕が住むマンションまで、あと百メートルほど。

 あそこまで、駆け込めれば。


「わんっ!」


 あと、五十メートル――――もらった!


「今日こそ、僕の……勝ちだあ! ――うわっ!?」


 突如、片足が浮いた。

 僕の頭は一瞬にして真っ白になった。何が、どうなっているのかわからない。ただ脳が唯一追いついたのは、最後に聞こえた音が、カランっという軽い金属音だったということ。


「ぐはっ!」


 首が折れそうになる勢いで、僕の体はぐぎゃっと鳴った。激しく後頭部を地面に強打したみたいだ。僕の身は、放心状態で地面に投げ出される。

 宙を舞うアルミ缶。あぁ、なるほど、僕はアイツで滑ったのか。

 そんな事実がバカバカしくなって、僕はその場で薄ら笑いを浮かべた。缶で滑るなんて、どこのギャグ漫画だ。恥ずかしい、あぁ僕はバカだ。

 缶は一頻り宙を舞うと、体を回転させながらゆっくりと降りてくる。そのアルミ缶は――。


「いてっ!」


 脳震盪寸前の頭に、新たな衝撃を与えていった。


「いっ、痛い……」


 上半身を起こし、額をさする。缶で滑って、体を捻って、缶が頭に降ってくる高校生なんて、どこにいる。この世を探しても、きっと僕だけだぞ。


「うぅ……帰ろう」


 僕と一緒に投げ出された鞄を拾い上げ、ゆっくりと腰を上げる。片足を上げて、痛みを堪えるように踏ん張って立ち上がろうとした。

 しかし、その肝心な片足がぴくりとも動かなくなった。

 足が重い、僕の頭がおかしくなったのか。なんだか、重しを乗せられているような。誰かに全体重で押さえつけられているような感覚が――。


「……ひぃ」

「わん」


 その後、犬は声を上げて僕にのし掛かり、飽きるまで遊び続けた。

 


 

 ひどい目に遭った

 僕は心身ともにぼろぼろになった体を支えながら、八階の二号室に入る。


「……つぅ」


 首は痛い、腕は痛い、体を支えるのがやっとなくらい重い。

 家の中に入ると、沈んでゆく赤橙色(せきとうしょく)の夕日が僕の家を染め上げていた。 

 扉を開けてすぐに六畳ほどのキッチンがある。左の壁際にはステンレス製のシンクがあり、その奥には一人暮らしにピッタリの小さな冷蔵庫が据わる。

 キッチンから右に向かうと八畳ほどの居間があり、ローテーブルに黄色の水玉絨毯が敷いてある。

 これでもインテリアにはそれなりに気を遣っているのだ。


 夕焼けも相まって、冷蔵庫から漏れる橙色の光が暗闇に映えて美しい。

 ……ん、冷蔵庫から漏れる光?

 僕は冷静になって、冷蔵庫の方向を見る。


「な、なんで冷蔵庫が開いているんだよ」


 身に覚えがない。なぜなら僕は毎日、当たり前のように全てのチェックをしてから出て行くからだ。

 もしかして、空き巣なのか?

 もしそうなら警察沙汰だ。

 暗いままではわからない。とにもかくにも部屋の電気を入れた。

 明かりがついて、薄暗く何も見えなかった部屋はその姿を現した。


 僕は見えない恐怖に怯えながら、冷蔵庫を閉める。そこで目に映ったのは、ステンレス製のシンクだった。食べた覚えのないファミリーサイズのアイスのカップが、シンクに置いてあったのだ。

 アイスのカップを、恐る恐る覗き込む。ぐちゃぐちゃに溶けて荒らされたアイス。中で何かが、アイスの海で遊泳している。バカンスにでも遊びにきたかのように。

 その〝何か〟は僕に声を掛けているわけでもなく、一人ぽつんと呟いた。


「んー、やっぱりアイスは、ばにらよりもちょこなのですー。まったく、ばにらなんて買うここの住人は、センスがないやつですね」


 思わず、声を上げてしまいそうな光景に、僕は息を呑んで楽しく泳ぐ謎の正体をつまみあげた。


「……にゅ?」

「……」


 出てきたのは、全長十センチほどの女の子だった。

 まるでおとぎ話に出てくる妖精かと思いたくなる、小さな翼を生やした女の子。


「あ、アイスごちそうさまですー」


 女の子がその言葉を零して数秒後。

 僕は無言で脱衣所に足を進め、洗面器にお湯を溜める。


「……へ? な、なにをするのですか」


 つままれた女の子は、自らの危険を察知して慌てふためく。そのままアイスの臭いが染みついた女の子を、洗面器に思いっきり浸けた。


「ぶふっ。ぶくぶく……溺れるー、でずー!」


 女の子は必死に手を伸ばしていたが、二十秒ほど無心で浸けたままでいた。


 


「ぷはあ、殺す気ですか、あなたは!」

「……いや、だってさ、人の家で勝手にアイスを食べて、さらにその食べた犯人が非現実な生物だったんだよ? 見なかったことにしたいじゃん?」

「むうー、私はカンカンなのですよお! ぷんすか」


 自分で効果音を口にだし、僕を怒鳴る生物。

 なんなんだ、この生物は。


「私は、今すごーく機嫌が悪いです!」

「……機嫌が悪いのは僕だよ」

「私を怒らせると大変、ひじょーに怖いのですよ! えっへん、何を隠そう、私はエールなのですから!


 エールとは、神様の証なのです、即ち神様なのです!」

 本当に、なんなんだこの生物は。

 やがてエールと名乗る生物は、不満げに言葉を向けてきた。


「もう少し、えっ、神様!? って、驚いてくださいよ!」


 いきなり神って言われてもなあ。

 神に見えないどころか、ただの騒がしい生物なんだけど。

 目の前のエールと名乗る生物は、どうしたって信じない僕に対して軽く息をつく。

 腰に手を当てて口を尖らせながら、気になるような言葉を口にした。


「残念ですー、今日はあなたのお願いを叶えてあげるために、せっかく天より舞い降りたのに。いいのですかね、そんなこと言っちゃって」

「え……?」


 僕は、思わずその言葉に耳を傾けた。


「不幸続きのあなたを、幸運な未来へと導くために、私よりもお偉い神様から、頼まれたのですよ」

「……願い? 願いって、なんでもいいの」

「はい、なんでもいいですよ」


 生物は、必死な僕の顔をまじまじと見つめて言った。これは不幸な僕への、神様からのプレゼント?

 ごくりと固唾を呑み、何でも叶えてくれると言うプレゼントをありがたく頂戴することにした。

 そういうことならば、断る理由も拒絶する理由もない。


「じゃ、じゃあさ、恋を実らせることも」

「私に不可能はないのです!」


 その一言を聞いて、僕は期待を胸に膨らませた。


「ん、恋をしてるのですか?」

「う、うん、まあね」

「どんな子、どんな子ですかー!」

「……いい子なんだ、とっても」


 そう。僕が今、片思いしている彼女の名は東雲七(しののめなな)さん。クラスのアイドルで、明るくて、男性女性問わずその性格の良さが愛されていて……現代の天使とも言うべき存在だ。

 でも彼女はどうやら彼氏を作る主義はないみたいで、男子生徒からの告白を全て、丁寧に断っているらしい。


 普段からの絡みはなく、いつも遠目から彼女を見つめているだけの生活だった。授業での必要な関わり合いがない限りは、声を掛けるなんておこがましいことこの上ない。

 それだけ、彼女の存在は手の遠いところにある。

 そ、そんな子と付き合えた暁には、僕は……。


「えへへへへ」

「うわ、女の子を想像して顔がにやにやしてるのです。

 気持悪いのです、やっぱりばにらを買うセンスなし住人は気持ち悪さの度合いが違うのです!」

「あ、アイスは関係ないだろ! そ、それはどうでもいいんだよ。そう、その東雲さんに僕は恋をしているんだ」


 エールの前に正座し、真剣に話を進める。

 彼女もまた乗り気なようで、ない胸をふんすと張って元気よく答えた。


「お易い御用なのです! 私は、今まで幾人もの恋の悩みを助けてきた、通称、恋のキューピッドなんて呼ばれているのですよ」


 えっへん、そう言葉に出すエールは、得意げな顔をつくる。

 途端に彼女はどこか席を外した。

 僕との会話の最中。なんと彼女は冷蔵庫の方へ駆け寄り、身の丈ほどのペットボトルを取り出すと、白い乳酸飲料を直接口をつけて豪快に飲み始めた。


「それ、僕のなんだけど」

「細かいことは気にしないのです。細かい男は嫌われますし、これも報酬のうちだと思えば安いのです」


 なにを、尤もらしいことを。神様……エールには、そもそも罪という概念が存在しないのだろうか。

 神だから許される所業……とか?


「ぷはー。それでは、恋のお願いを成就させますか」

「ほ、本当にできるの? どうやって」


 まるで、さもできて当然のごとく言葉を告げるエールに、僕の期待は最高潮に達していた。

 前のめりな僕を前に、エールは不適に笑う。


「ふっふっふ、聞いて驚いてくださいなのです、私は神を意のままに降臨させる、神能人離(じんのうじんり)の使い手なのです」

「じんのう、じんり?」


 ……とは、なんだろうか?

 エールは僕の問いに何度かこくこくと頷いて、言葉を続けた。


「そうです、人を離れて神の能力を得る、それこそが神能人離です! 人や物を媒体として神を憑依させることにより、その神様の性格や能力を引き出すのです。

 これを使用し、恋愛の神様を憑依させれば、もうそりゃあどんな異性の人もメロメロなこと間違いないのです!」

「そ、それって要するに、降霊術師(ネクロマンサー)や巫女みたいなものなのかな?」


 いまいち、能力にピンとこない僕はそう言葉を零した。

 だがどうやら、うかつだったらしい。


「戯け者! なのです!」


 エールは眉間にシワを寄せ、僕を怒鳴ると同時にどこからかハリセンを取り出し頭を引ったたいた。

 スパンっと軽快な音が部屋の天井に向かって鳴り響く。


「いったぁ!」

「あんな根暗な人種と、可愛ければなんでも許されると思っている人種と一緒にするなです!」

「怒るところはそこなんだ」


 降霊術師や巫女、神能人離の能力の違いに怒るんじゃないんだね。

 エールは興奮気味にハリセンを振り上げると、怒りが収まらないのか床にたたきつけていた。


「あ、うん、わかった。とりあえず落ち着こう」


 エールを宥めると、小さな神様もまた鼻息を荒くしながら息を整える。


「ぜーぜー、とにかく、明日はその東雲さんとやらにアタックするのです!」

「う、うん」

「神能人離が機能するのは十分までなのです。なので手際よくお願いしますよ」


 エールはその言葉の数秒後に、思い出したように僕の名前を訊ねる。

 僕は薄倖(すすきこう)。恐らくこの世で最もプチ災厄を身に纏っているであろう普通の高校生。

 彼女に僕の名を告げると、変な名前だと嘲笑されてしまった。

 僕は今にもハエもどきを殴って外に放り投げたいと思ったが、願いのためにここはぐっと堪えなければ。


 明日はエールの力を使って告白だ。大丈夫、なんたって彼女は神様なんだろう?

 神様に不可能はないさ。きっとね!

 そう意気込んでいると隣で『実は迷子になっただなんて言えないですう』という、か細い声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。うん、そう思いたい。



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