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35. 深化

 ギルドの掲示板の前で、カイルが依頼票の一枚を指差した。


「――これなんかどうだ。街道沿いにラーカースパイダーの巣ができてるらしい。行商人が何人か噛まれたって話だ」


「討伐推奨、五等星……私たちにちょうどいいね」


 ルミナがそう言って、依頼票を覗き込む。


「毒、ですか……」


 シエルが少し不安げな顔をした。


「大丈夫。私が付いてるから」


 ルミナが軽く胸を叩いてみせる。その仕草に、いつもより頼もしさが滲んでいるように見えた。


 受付でレティシアに依頼を伝えると、彼女は少し驚いたように目を丸くした。


「訓練を積まれたばかりと伺っていましたが……もう受注されるのですか?」


「善は急げってな」


 カイルが笑ってそう答えると、レティシアは小さく頷いて、依頼票に判を押した。


「お気をつけて。ラーカースパイダーは、数の多さが厄介ですから」




 街道を半日ほど進んだ先、木々の隙間に白い糸が張り巡らされているのが見えてきた。


「――あそこか」


 カイルが戦斧を構え直す。糸の奥、木の幹に張り付くようにして、幾つもの黒い影がうごめいていた。


「一斉に来るよ、気をつけて」


 ルミナの声と同時に、蜘蛛の群れが枝から飛び出してくる。


「――ウィンクルムクラッド!」


 カイルが叫ぶと、蜘蛛たちの意識が一斉に彼へと吸い寄せられた。戦斧を構え直し、群れの正面で盾となる。


「シエル、お願い!」


「は、はい――ラディアントウォール、スターマイト!」


 淡い光が僕らを包み、剣を握る手に力がみなぎる。木人相手の訓練とは比べ物にならない、本物の敵の圧を肌で感じた。


 横合いから飛びかかってきた一体を、剣を返して斬り伏せる。


「――リポストレイジ」


 牙を剥いて突っ込んできた別の一体には、受け流しざまの一閃を返した。手応えは確かにあった。それでも、次から次へと湧いて出るような数の多さに、息が上がっていく。


「――くっ!」


 カイルの声に振り返ると、彼の左腕に一匹の蜘蛛が食らいついていた。振り払うと同時に、傷口が奇妙な紫色に変色していく。


「毒だ、来てる……ッ」


「カイルさん!」


 シエルが悲鳴に近い声を上げた。




 その隙を突くように、三体のラーカースパイダーが横一列に並んで僕へと迫る。逃げ場はない。考えるより先に、手のひらに意識を集中させていた。


「――ノヴァインペラトル!」


 放たれた光が、いつもより遥かに太い。銀白色の光条が、真っ直ぐに並んだ三体を纏めて貫いた。


「――え」


 声が漏れた。指先に走った衝撃の重さが、明らかに今までと違う。一撃で仕留められる数が、まるで別物のように増えている。


「今の――」


「見た? 威力、おかしくない?」


 ルミナも驚いたように目を見開いていた。感慨に浸る間もなく、次の一体が牙を剥いて迫ってくる。


「毒、広がってる……! このままじゃ――」


 ルミナの声に、焦りが滲む。カイルの足取りが、目に見えて重くなっていた。戦斧を握る手も、心なしか震えている。一瞬、その瞳に別の光がよぎった気がした。けれど、カイルはすぐに奥歯を噛みしめ、その先には踏み込まなかった。切り札は、まだ早い。そう自分に言い聞かせているように見えた。


「――ヴィタサークル!」


 詠唱もなく放たれた光が、僕らを淡く包み込む。傷の痛みが引いていくのが分かった。それでも、紫色に変色したカイルの腕は、そのままだった。


「これじゃ、毒までは治せない……!」


 ルミナが杖を握り直し、大きく息を吸う。


「――清き流れよ、穢れを祓え。ピュリファイ!」


 カイルの腕を中心に、淡い水色の光が渦を巻く。紫色に変色していた皮膚が、みるみるうちに元の色を取り戻していった。


「――っ、楽になった」


 カイルが大きく息を吐き、戦斧を握り直す。


「よし、今のうちに畳みかけるぞ!」




 残るラーカースパイダーの群れが、最後の力を振り絞るように一斉に群がってくる。カイルがウィンクルムクラッドで足止めし、僕とルミナで数を削っていく。それでも、なお十体近くが折り重なるように迫っていた。


「シエル、頼む!」


 カイルの声に、シエルが息を整え、静かに集中する。


「――コンセントレート」


 纏う気配が、明らかに変わった。


「――遥かなる星よ、その光を、この手に」


 杖の先に、無数の光の粒が集まっていく。


「――アストラルバースト!」


 解き放たれた光が、群れの中心を呑み込んだ。爆風にも似た衝撃が周囲の木々を揺らし、ラーカースパイダーの群れは、その場に何一つ残さず消え去っていた。


「――終わった、か」


 カイルが戦斧を地面に突き立て、大きく息をつく。


「みんな、怪我は?」


「大丈夫。ルミナさんのおかげで」


 シエルがそう言って、ルミナに微笑みかける。


「……正直、ちょっと怖かった」


 僕は正直にそう漏らした。木人相手の訓練とは、何もかもが違った。


「それでも、ちゃんと戦えてたよ」


 ルミナの言葉に、僕は小さく頷いた。まだ実感の伴わないその変化を、胸の奥で静かに噛みしめる。ノヴァインペラトルの光は、確かに以前よりずっと強くなっている。


「これなら――」


 カイルが言いかけて、口をつぐんだ。その先に何を言おうとしたのか、聞かなくても分かる気がした。


 ガイウスに、この姿を見せたかった。


 誰も、それを口には出さなかった。それでも、傾き始めた陽の光の中で、同じことを考えているのが、なんとなく伝わってきた。




 依頼を終えてギルドへ戻ると、レティシアが少し驚いた顔で出迎えた。


「もう討伐完了ですか。さすがですね」


「なに、大したことねえよ」


 カイルがそう軽口を叩くと、レティシアは苦笑しながら報酬を手渡した。


 宿への帰り道、茜色に染まる空を見上げる。


「僕たち、少しずつ強くなってるのかな」


「少しずつ、じゃないでしょ」


 ルミナが横から、そう茶化すように言った。


「これからも、こうやって前に進んでいくんだろうな」


 カイルの言葉に、僕らは自然と頷き合った。


 まだ知らない何かが、この先にもきっと待っている。それでも、今はただ、この一歩を積み重ねていくだけだ。

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