2-1 忘れていた想い
今回から『第2章:義妹の章』のスタートです。
ここからは、義妹視点のお話です。
2-1
義妹は、本来、少女のことが好きだった。
幼い頃、父の家の庭で、二人はよく遊んでいた。
庭には季節ごとに花が咲き、風に揺れていた。
義妹は、いつも少女の後ろを追いかけていた。
「義姉さま、待って――」
それが口癖だった。
少女は、たびたび振り返って笑う。
その笑顔を見ると、自然と足が前へ出た。
明るく、優しい少女。
そして、陽の光を受けて、柔らかく輝く黒髪。
その後ろ姿を追いかけるのが好きだった。
母も穏やかで、二人を分け隔てなく可愛がっていた。
食卓では三人で笑い合う――それが当たり前の日常だった。
ずっと続くものだと思っていた。
だが――
父の家が没落してから、すべてが変わった。
父が亡くなった後、母は後始末に追われた。
父は多くの人に金を貸していたが、そのほとんどは戻ってこなかった。
母は資産を整理し、家を手放し、三人で実家へ戻った。
実家では、母の弟が商売を継いでいた。
だが経営は上手くいっておらず、借金まで抱えていた。
使用人からも軽く見られていたほどだ。
そこへ入った母が、店を立て直した。
名目上の主人は叔父だったが、実際に支えていたのは母だった。
だからこそ、三人はこの家で暮らしていけた。
だが、その直後――母は倒れた。
高熱を出し、一か月以上も寝込んだ。
医者が何度も訪れ、そのたび義妹は不安になった。
夜中、一人で泣いている母の姿も見ている。
母まで死んでしまうのではないか。
何度も、そう思った。
幸い、二か月ほどで歩けるまで回復した。
再び店の指揮を執り、周囲も安堵していた。
これで元に戻る。
義妹も、そう思っていた。
しかし――
変わってしまったものがあった。
少女に対する、母の態度だった。
最初は、小さな違和感だった。
本来なら使用人に任せる仕事を、少女にやらせるようになる。
次第に声が荒くなり、些細なことで怒鳴るようになった。
「何をしているの!」
「そんなこともできないの!」
少女への叱責が、いつしか日常になっていく。
義妹は戸惑っていた。
(どうして……?)
(どうして、義姉さまばかり怒られるの?)
理由が分からない。
理解できない。
ある時、少女を庇おうとしたことがある。
「お母さま、そんな言い方――」
そこまで言った瞬間だった。
母の視線が向く。
見たこともないほど冷たい目だった。
「あなたは黙っていなさい」
低い声。
逆らえない圧。
身体が固まり、それ以上何も言えなくなった。
その後、少女はさらに叱られた。
「あなたのせいで、私が責められたでしょう!」
義妹が口を出した分、少女の咎が増えた。
そんな日々が続いた。
やがて――
義妹の中で、一つの考えが根を張る。
(母の機嫌を損ねてはいけない)
それが最優先になった。
そして、もう一つ。
(母と同じように振る舞えば、母の機嫌は良い)
そう思い込むようになった。
少しずつ、母の言い方を真似る。
最初は強い違和感があった。
だが、回数を重ねるうちに、それも薄れていく。
(これも、義姉さまを守るため……)
そう自分に言い聞かせた。
胸の奥に、小さな引っかかりを抱えたまま。
少女は、少しずつ変わっていった。
会話が減り、目を合わせなくなる。
怯えるように動き、いつしか小間使いのように扱われた。
その変化を見ながら、義妹もまた変わっていった。
そこへ、さらに別の感情が重なった。
初恋の男の子。
父の取引相手の息子。
幼い頃は、三人で遊んだこともある。
気さくで、笑顔が好きだった。
母の実家へ移った後も、時折店へ来ていた。
そして、そのたびに少女を気にかけていた。
「大丈夫ですか?」
優しい声。
自然な気遣い。
そのすべてが、少女へ向けられていた。
時々だけ、義妹へ視線を向ける。
何か言いたげな、困ったような顔で。
それが責められているように感じた。
胸が痛む。
理由は分からない。
ただ、叫びたくなる。
(私だって辛いのに――)
(なんで、義姉さまばかり!)
その感情を吐き出さずにはいられなかった。
少年が帰った後、少女へ冷たい言葉を向ける。
「“お”義姉さまばっかり、お話しできていいですね!」
必要以上に棘のある言い方。
まるで母と同じだった。
そうすると、少しだけ胸が落ち着いた。
それを繰り返すうちに、次第にそれが当たり前になっていった。
やがて少年は、町を離れた。
別れの言葉も交わせなかった。
その時、義妹の胸に強い感情が生まれる。
行き場のない苛立ち。
そして、喪失感。
その全てを、少女へ向けた。
理由を探すように欠点を並べる。
些細なことでも責める。
そうしていれば、自分を保てる気がした。
だが――夜になると苦しかった。
布団に入り、一人になると、胸の奥に重たいものが沈んでいく。
息が詰まるような感覚。
理由は分かっていた。
ただの八つ当たりだ。
だが、認めたくなかった。
(母だって責めてる……)
(私は悪くない……)
そう思い込み、無理やり眠ろうとする。
それを繰り返すうちに、苦しさも少しずつ薄れていった。
――あの日までは。
冬祭り。
義妹の奉納舞は、すでに終わっていた。
出来は悪くない。
だが、特別でもなかった。
観客の反応も予想通り。
それ以上でも、それ以下でもない。
義妹は観客席へ移動し、最後の組を見ていた。
その中に――少女がいた。
息を呑む。
視線が、その姿へ固定される。
(……お義姉さま?)
化粧をし、見慣れぬ簪を挿している。
だが、その簪には見覚えがあった。
昔、少女が宝物のように見せてくれたもの。
亡き母の形見だと言っていた簪。
貴族の衣装をまとい、普段の怯えた雰囲気はどこにもない。
それでも、黒髪だけは変わらない。
義妹には、それだけで十分だった。
幼い頃、毎日追いかけていた髪。
見間違えるはずがない。
だが、隣の母はまるで気づいていなかった。
やがて音楽が鳴り、舞が始まる。
その瞬間、義妹は目を奪われた。
強く、しなやかな舞。
下半身は安定し、足は滑るように動く。
腕は流れ、指先から感情が零れていくようだった。
春風のようであり、雪解けの水のようでもある。
その舞を見た瞬間、身体が震えた。
(心が――震える……)
観客のざわめきも、遠くなる。
他の演者も目に入らない。
少女だけが、はっきり見える。
その時だった。
胸の奥を、何かが突き抜けた。
溜まっていた泥を、一気に吹き飛ばされるような感覚。
痛みとも熱ともつかない感覚が走る。
頭が真っ白になった。
そして――
忘れていた記憶が、一気に溢れ出す。
少女と笑い合った日々。
追いかけた後ろ姿。
好きだった気持ち。
全部が押し寄せてくる。
(……私は、何をしてたのかしら)
その問いが、自然と浮かんだ。
(どうして、お義姉さまを傷つけ続けていたのかしら……?)
言い訳も浮かぶ。
父の没落。
母の変化。
初恋の喪失。
だが、その全てが崩れていく。
(違う……)
(私は、自分を守りたかっただけだ……)
最初は、少女を守るつもりだった。
だが、いつの間にか、自分から傷つけていた。
気づかないふりをしていただけだ。
本当は、最初から分かっていた。
(本当は……大好きだったのに)
その感情が、今ようやく形になる。
同時に、嫉妬の正体にも気づく。
常に少女と比べ、負けていると感じていた。
だから、責めていた。
そうすれば、自分の弱さを認めずに済むから。
その事実を理解した瞬間。
足元が崩れる感覚に襲われた。
自分の立っていた場所が消える。
奈落へ落ちていくような感覚だった。
落ちながら、自分の過ちが次々浮かび上がる。
もう、目を逸らせなかった。
その後の祭りのことは、ほとんど覚えていない。
義妹は、ただ茫然と母の隣に座っていた。
次回【2-2 贖罪の始まり】は、明日7時に公開予定です。




