3-2 運命の交差
今回は、王子が冬祭りに参加する場面です。
3-2
即位式を翌年に控えた冬。
年内の主な行事を終えた頃、王子は自室の窓から城下を眺めていた。
次期王の指名――その祝事を前に、どこか浮き立っている。
家臣も侍従も、皆どこか嬉しそうだった。
(何が、そんなに嬉しいのだろうか?)
(自分でも、幼い弟でも……結局、誰でも同じだろう)
そんなことを考えながら、どこか投げやりに視線を遠くへ向ける。
最近は、ふとした瞬間に思うことがあった。
(どこかへ行きたい――)
(ここではない、どこか遠くへ……)
そんな中、従者がふと口を開いた。
「今年の冬祭りに行きませんか?」
何気ない調子だった。
だが、その提案は初めてだった。
王子は、わずかに顔を上げる。
(そういえば、冬祭りに参加したことはなかったな……)
主に森を利用する町人たちの祭り。
王族が参加することは、ほとんどない。
しかし――近頃は、城を抜け出すことにも飽き始めていた。
最初に感じた新鮮さは、もう薄れている。
むしろ今は、帰城した後の虚しさの方が大きかった。
だからこそ、別の刺激を求めていた。
(今年は、確か隣国主催だったか……)
(当然、隣国の参加者も多いはずだ)
(隣国の祭り――)
魔の森の向こう。
魔狼や盗賊の噂だけは、何度も耳にしている。
(……面白そうだ)
自然と、そう思った。
来年には即位式がある。
今でさえ少しずつ外出の制限は増えているのだ。
即位後は、さらに厳しくなるだろう。
(これが、最後の機会かもしれない)
参加しない理由はなかった。
久しぶりに、心が強く動いた。
当日。
王子は、従者の用意した衣装に袖を通す。
布の質は良いが、装飾は控えめ。
貴族と商人の中間――身分が曖昧に見える装いだった。
従者の連れとして振る舞い、そのまま城を抜け出す。
外へ出ると、冷たい空気が頬を打った。
王子は、そのまま従者の用意した馬車へ乗り込む。
地味な外観だが、頑丈な造りの馬車だった。
扉が閉まり、車輪が動き出す。
王宮を離れるにつれ、景色が変わっていく。
整えられた街並みは、徐々に雑多な下町へ変わり――やがて国門を抜けた。
それだけでも、王子には珍しい体験だった。
しばらく進むと、森へ入る。
周囲が少しずつ暗くなる。
(噂の魔狼や盗賊が出るのでは?)
そう考えると、脇に置いた剣へ自然と手が伸びた。
木々はさらに増え、薄暗さも濃くなる。
窓の外では、馬車の揺れに合わせて影が揺れていた。
緊張と好奇心。
久しぶりの高揚感だった。
王子は、森を抜ける時間さえ楽しんでいた。
結局、何事もなく森を抜ける。
従者は小さく安堵の息を漏らしていた。
王子としては、少し拍子抜けだった。
それでも――
(祭りに着く前から、想像以上に楽しめている)
その気持ちのまま、祭りへの期待も自然と高まっていく。
ほどなくして、祭りの広場へ到着した。
会場は、人で溢れていた。
華やかな衣装。
様々な香料の匂い。
焼いた肉の匂い、甘い菓子の香り。
笑い声や呼び込みの声。
祭りの音楽も響いている。
中央には舞台があり、その上では何人かが打ち合わせをしていた。
何かが始まる――そんな熱気が会場全体に満ちている。
王子の期待は、さらに高まった。
だが――それは長く続かなかった。
一通り広場を回る。
人々の熱気も、売り物も、会話も、確かに祭りらしい賑わいはある。
しかし、下町の祭りと大差なかった。
むしろ、初めて参加した自国の祭りの方が、よほど新鮮だった。
(隣国の差も、あまり感じない……)
(いや、むしろ物は少ないか?)
(結局、特別な違いはないな……)
そう結論づけるまで、時間はかからなかった。
期待が大きかった分、落差も大きい。
興味は急速に薄れていく。
「隣国の祭りも、大きくは変わらないな……」
小さく漏れた本音。
そんな時だった。
従者が、奉納舞への参加を提案する。
「あの舞台で、優秀者を競います」
その言葉に、王子の意識が引き戻された。
(競う――?)
その感覚に、心が引っかかる。
(他者と競う……)
比較されることはあっても、本気で競った経験は、ほとんどない。
(面白そうだ)
そう思い、参加を決めた。
受付で番号を受け取った時、王子は少し興奮していた。
他人と競うという実感が、新鮮だった。
列へ加わり、舞の開始を待つ。
だが――
その期待も、すぐに落胆へ変わる。
(なんだ、この舞は?)
何組か見ただけで、違和感を覚えた。
王族として学んできた舞と比べるまでもない。
動きは粗く、軸もぶれている。
所作も揃わず、呼吸も間も噛み合っていない。
(この程度の舞の中で、踊るのか……)
他者と競う気持ちなど、完全に失せていた。
(本気で踊る気にもなれない)
自分の番が来た時には、半ば投げやりに舞った。
しかも――
それですら、称賛された。
(理解できない……)
評価基準が違いすぎる。
(もう帰ろう……)
(結局、“足りなさ”を痛感するだけだ)
舞台を降りた頃には、会場にいること自体が苦痛になっていた。
従者と合流する。
「帰りの馬車を手配してきますので、少々お待ちください」
「……頼む」
王子の空気を察していたのだろう。
従者は急いで去っていく。
だが、なかなか戻ってこない。
王子は、一人で待っていた。
もう祭りを見る気にはなれなかった。
――その時。
最後の組が、舞台へ上がった。
(どうせ、何も変わるまい……)
何気なく向けた視線。
惰性に近い動き。
だが――
そこに、一人の少女がいた。
貴族の衣装。
艶のある美しい黒髪。
そして、光を受けて静かに輝く簪。
(……ほう、なかなか美しい)
不安げに揺れる瞳。
化粧のせいか、少し青ざめた表情。
どこか壊れそうな儚さがあった。
(まるで、守りたくなるような――)
王子は、自然と興味を引かれていた。
(……ほんの暇つぶしだ)
(従者が戻るまで、見てみるか)
その程度の気持ちだった。
音楽が鳴り、少女が動く。
その瞬間――
王子は、少女から目を離せなくなった。
(儚さとは真逆の、力強くしなやかな舞だ……)
軸はぶれず、足運びも安定している。
全身に躍動感があり、その流れが腕から指先まで通っていた。
まるで、爪先から何かが零れ落ちていくように見える。
舞そのものは、下町の舞だった。
だが――
(動きが違う)
(先ほどまでの参加者とは、明らかに……)
(まるで、自身を神へ捧げるような舞だ)
王族の舞とも違う。
だが、そこには確かな精度と流れがあった。
その流れが、王子の心を洗い流していく。
もはや、少女の舞しか見えない。
周囲の人間が消えていく。
舞台も、観客も、意識から外れる。
柔らかな光の中、少女だけが舞っている。
(――真っ白な世界に、少女だけがいる)
王子は、息をすることすら忘れていた。
やがて舞が終わり、意識が現実へ戻る。
しばらくは、余韻から抜け出せなかった。
(素晴らしい舞だった……)
(もう一度、見たい)
そればかりを考えていた。
気づけば、王宮へ招く方法ばかり考えていた。
やがて、少女は優秀者に選ばれる。
(当然だろう)
王子自身も優秀者に選ばれた。
(あぁ、自分も参加していたのか……どうでもいい)
まだ意識は、現実へ戻り切っていない。
そして再び、舞台へ上がるよう促される。
(あの舞を、近くで見られるのか!)
その瞬間、あれほど嫌だった舞台へ戻りたくなった。
いつの間にか、従者が後ろへ戻って来ていた。
何か話している。
だが、言葉として認識できない。
王子の足は、自然と舞台へ向かっていた。
少女のいる場所へ。
まるで、少女の世界へ足を踏み入れるような感覚だった。
舞台の上。
二人だけの空間。
他の存在が遠ざかる。
少女がこちらを見る。
その瞬間、自然と笑みがこぼれた。
理由は分からない。
ただ――何かを見つけた気がした。
そして、少女と舞えることに、胸が高鳴っていた。
音楽が鳴る。
再び、舞が始まった。
同時に踏み出す一歩。
不思議なほど、呼吸が合う。
合わせようとしたわけではない。
自然に重なる。
当然、言葉は交わしていない。
それでも動きが噛み合う。
触れそうで、触れられない距離。
空気が、わずかに震える。
視線が絡む。
少女から、意識が外れない。
相手の動きが、自然と流れ込んでくる。
先を読む必要がない。
身体が、勝手に応えていた。
他者と心が重なる感覚。
心の中へ、光が流れ込んでくる。
その時、王子は初めて実感した。
(これが――生きているということか)
(この瞬間が、永遠に続いてほしい……)
城下で感じたものとも違う。
生まれて初めて感じる熱だった。
やがて音楽が終わり、舞も終わる。
名残惜しさの中、意識が現実へ戻る。
同時に、大歓声が押し寄せた。
拍手。
歓声。
ざわめき。
すべてが、一気に流れ込んでくる。
少女と顔を見合わせ、自然と微笑み合う。
互いの息の乱れや疲労まで、共有しているようだった。
舞っている間、意識が繋がっていた。
王子は、確かにそう感じていた。
その瞬間――
胸の奥で、何かが形を持つ。
(――逃してはいけない)
そう思った。
考えるより先に、言葉が出る。
「君を、迎えたい」
先ほど考えていた、王宮へ雇うという意味ではない。
少女自身を求めていた。
声が、自分のものとは思えない。
頬は熱く、心臓はうるさい。
観客へ顔を向けたまま、意識だけが少女へ向いていた。
少女が、わずかに揺れた気がした。
少女から熱を帯びた視線を感じる。
視界の端で、少女の唇が動く。
(――応えてくれる)
そう確信した。
だが――
次の瞬間。
少女の身体が、わずかに硬直する。
視線が揺れ、熱が冷めていく。
少女を包む空気が変わった。
(何が起こった?)
自分が何か間違えたのではないか――そんな不安が走る。
先ほどとは別の意味で、心臓が激しく鳴った。
周囲の音が消える。
時間だけが、引き延ばされていく。
少女の次の動きが、永遠のように長く感じた。
そして――
「あなたと私では、釣り合いません」
短い。
だが、決定的な拒絶だった。
その一言で、頭が真っ白になる。
王子は、一瞬だけ少女を見た。
少女は顔を伏せている。
表情は見えない。
ただ――声だけが、震えていた気がした。
(なぜだ?)
(応えてくれる気配は、確かにあった……)
理解が追いつかない。
同じ問いだけが、何度も頭を巡る。
王子は、その場に立ち尽くした。
(身体が、動かない……)
それでも、表情だけは必死に整える。
王族として、人前で取り乱すわけにはいかなかった。
(歓声が続いているはずなのに……)
(何も聞こえない)
音が届かない。
自分だけが、世界から切り離されたような感覚だった。
その後のことは、ほとんど覚えていない。
気づけば、帰りの馬車へ乗っていた。
揺れだけが、現実を示している。
行きに感じた高揚感は、どこにもない。
王子は外を見ることもなく、静かに目を閉じた。
次回【3-3 初めての意思】は、明日7時に公開予定です。




