第一章:第四十四話 今孔明の一手
屋根に登り、小春は双眼鏡で辺りを眺めていた。と――
「なにやってるの?」
「うわっ。半兵衛……!」
背後から突然声をかけられ、体がびくりとなる。
「それ、何?」
半兵衛が小春の持つ双眼鏡を指差す。
「こ、これは……戦を生き抜くための三種の神器……みたいなもん」
「へえ。そうなんだ」
納得してくれたようだ。使えるかもしれないと思って、現代から持ってきた。どうやらかなり役に立ちそうだ。これでいち早く敵の存在に気づくことができる。
……と、そこでふと思う。双眼鏡や望遠鏡は、戦国時代にあったのだろうか。確かまだなかったような気がする。疑問に思ったが、半兵衛が怪しんでいないようだから気にしないことにした。
「何か見えるの?」
「ううん。何も。でも遠くまで見えるから、敵が来たらすぐわかるでしょ」
「……なんで敵が攻めて来たら、なんて思うの?」
「え、それは……だって……」
「君もわかってるんでしょ?京を無防備にして美濃に帰ったらどうなるか」
「……うん」
少数の兵を残すのみで美濃に帰るなんて、京の無防備をさらしている。襲ってくださいと言っているようなものだ。
「信長はあえて本圀寺を手薄にした。まだ旧勢力残党がいるし、将軍様を餌に釣り出して叩くつもりなんじゃないかな」
「たぶんね。でも義昭を囮に使うなんて。なによりその囮と一緒に私を置いていくとは……許すまじ」
「姫様も置いてかれたみたいだよ。見捨てられちゃったね、姫様も小春も」
「死んだら絶対に化けて出てやる……信長の顔に焼き味噌塗りたくってやるんだから~!」
「それ逆に喜ぶんじゃない?」
「あ、そうか。まあ焼き味噌の無駄遣いを避けるためにも生き残らないといけないんだけど」
考えてみるが、何の案も思いつかない。
「半兵衛。何かいい策ない?」
「どうかな。もし大軍で囲まれたら、敵わないよねぇ。絶対に来られないはずの信長が来れたなら、勝機はあるかもだけど」
「今孔明って言われる半兵衛でも難しいか……こんな時に官兵衛がいたらなぁ」
それを聞いて半兵衛は不満そうな顔をした。
「俺じゃ頼りにならないの?」
「天才軍師が二人揃ったら最強なのに、ってこと」
「あのね。俺と官兵衛殿、いつも一緒にいるわけじゃないからね。きっとこの先、そういうことが多々増えると思うよ」
「でも二人だと天才頭脳が二倍でしょ。官兵衛も連れて来たらよかったのに」
「子飼いたちの世話で忙しいってさ」
「……絶対嘘だ。私に子守り押しつけたくせに」
官兵衛が生意気な子飼いたちを世話する場面が想像できない。ただ彼は、あの出で立ちからは想像できないほど優しい。小春にすら甘いから、意外に子どもにも好かれそうだ。
「まあ、本圀寺が襲撃されて危機に陥っても、そう簡単に将軍様は討たせないよ」
「やっぱり何か策があるの?」
「策って言うほどのものじゃないけど」
半兵衛は笑い、小春に向かって手を差し出す。
「俺にも見せて?」
「う、うん……」
双眼鏡を受け取り、半兵衛はピントを合わせて覗き込む。ぐるりと見回し、ある方向をじっと見つめて半兵衛の口元が弧を描いた。
「たとえ絶体絶命になっても、容易くやられはしないよ」
「何か見えるの……?」
訊ねると、半兵衛は双眼鏡を小春に手渡した。レンズを覗いて彼が見ていた方に向ける。
遥か遠くに、黒雲が動くみたいに何かが近づいてくる――人の群だ。掲げる軍旗には、三つ盛亀甲紋が描かれている。まさか……。
「長政っ!?なんで……?近江に帰ったんじゃなかったの?」
「実は、浅井に青い人と白い人がいてさ」
「誰それ……」
「彼らに話したんだ。信長が美濃に帰ったら手薄になった京に敵が攻めて来るかもしれない、って」
「もしかして、それで……?」
「どうやら長政さんに進言してくれたみたいだね。まあ長政さんなら信長の危機を知ったら見過ごせなくて助けに来てくれると思ったけど。優しすぎる人だからさ」
さすが今孔明と言われる半兵衛だ。相手をうまく動かし、浅井軍を京へ駆けつけさせた。
「まあそれでも敵に攻められたらヤバいんだけど」
「でも時間稼ぎにはなるよ。敵も浅井軍がいるとは思わないでしょ。さすが半兵衛だね!」
「あの松永久秀もいるんだから、警戒しないとね。久秀さんを居残り組にするなんて、ほんと信長って何考えてるんだか」
「それは同意だけど、たぶんわざとだと思うよ」
信長はわかっていて、あえて久秀を残したのだ。本圀寺が攻められる可能性も察していただろうし、久秀が何か仕出かさないとも限らない。自ら危機的状況を作り出そうとしている。
「やっぱりなんか愉しんでるっぽいんだよね……」
「大変な男の娘になっちゃったね、小春。どうするの?」
「襖の二の舞になるのは御免だからねぇ……あの時みたいに斬られかけるのは」
「襖の二の舞?」
「断ったら一刀両断されるってこと。だから――信長の願いを叶える」
首を傾げる半兵衛に、小春は頷いた。




