第一章:第四十二話 焼き味噌と火種
織田軍は本圀寺に移動した。足利義昭の仮御所をそこに置くことになったのである。
十四代将軍は廃され、義昭が室町幕府十五代将軍となった。
それを見届け、浅井軍は近江に帰ることになり、帰り支度を進めていた。
「……よし」
厨房にて小春はしゃもじで鍋から中身を取り、勝家に差し出した。
「焼き味噌、完成。味どうかな?」
「うまくできておる。お主、料理にも才能を発揮してきたな」
「やればそれなりにできるもんだね」
なかなかの出来に自分でも少し誇らしくなる。
「信長、喜ぶかな?」
「殿の好物じゃからな。小春が作ったと知れば、喜びも倍増じゃと思う」
あまり喜ぶ信長の顔は想像できないが、せっかくだから食べてもらおうと思った時――
「いい匂いがするのう!」
厨房に秀吉が入ってきた。
「あ、いいとこに来たね。秀吉も味見してみる?」
差し出したしゃもじから焼き味噌を指に取り、秀吉は口に運ぶ。
「こりゃうまい!小春はええ嫁さんになるわ。将来、夫になる男が羨ましいのう!」
「男を掴むなら胃袋を掴め。これでお主に良き縁談が持ち上がるはずじゃ」
「うん、頑張る。腕を磨いて、爽やかで物腰柔らかいオトナの雰囲気をしたイケメンをゲットするよ」
こっそり野心を燃やす小春の横で、勝家が秀吉を向いた。
「ところで、サル。何用か?」
「ああ!そうじゃった、柴田殿。そろそろ支度をせにゃ……」
「もうそんな頃合いか」
「支度?何の?」
「わしらは信長様と共に美濃へ帰るんさ」
「はぁっ!?」
秀吉の発言に、小春は驚きの声をあげた。
「美濃に帰るって、どういうこと!?」
「殿のご命令ぞ。間もなく出発する」
そんな話は聞いていない。勝家と秀吉は知っていたようだ。
「私は……?」
何も声をかけられていない。本圀寺に居残りということか。いや、そんなことよりも重大なのは、信長が美濃に帰ったら、本圀寺は襲撃されるということだ。
「信長!」
しゃもじを持ったまま厨房を飛び出し、廊下を歩く目的の人物を呼び止めた。
「小春。なにを慌てておる」
「美濃に帰るって本気なの!?」
「信長は本隊を率いていったん美濃へ戻る」
「私は!?」
「うぬはここに残れ」
「なんでよっ。私も連れて帰って!」
「ならぬ。ここの守備は光秀に任せる。うぬも光秀と共に守備をせよ」
「あんた、私を殺す気かっ」
後に本圀寺の変、または六条合戦と言われる戦。義昭とごく僅かな兵を残し、信長が美濃へ帰ったことで手薄となった本圀寺は攻められる。
大軍に囲まれるのは御免である。史実では織田軍が勝利したという。だが必ずその通りになる保証はない。なにより、誰が好き好んで危機的状況に身を置くか。
「ひどいよ、信長!私がどうなってもいいって言うんだね!私と信長、“泰平同盟”の仲間じゃん!」
「うぬは戦場でこそ輝く」
「なに適当なこと言ってんの。……って本当にマジでだめだよっ。今、信長がいなくなったら、本圀寺は……」
信長の腕を掴み、なんとか引き止めようとしてハッとする。彼は――笑っていた。
「まさかあんた、それをわかってて……?」
「守備は任せるぞ、小春」
「――待って」
再び歩き出そうとした信長を呼び止める。
「焼き味噌、作ったの。せっかくだから……食べてみてよ」
信長は静かに小春を見つめ、しゃもじに付いた焼き味噌を指で掬うと、ぺろりと舐めた。
「……で、あるか」
「なにその反応……おいしいの?おいしくないの?」
「この程度では、信長は満たされぬ」
「なんか腹立つ……今においしい焼き味噌作ってやるわ」
ムッとする小春に向かって、信長は口元を緩めた。
「本圀寺には光秀とうぬの他に、久秀も残す」
「え。久秀も……?」
「信長を愉しませてみよ」
妖しい笑みを浮かべる信長に、小春は問う。
「……それが信長の願い?」
小春の言葉を聞くと、信長は笑みを強めた。
「……よいぞ。信長の願い、叶えよ」
陣羽織を翻して去る信長の後ろ姿を見つめながら、小春は頷いた。
どうも彼は危機を愉しんでいる節がある。自ら敵陣に突っ込んだり、わざと手を緩めたり。信長に二度も敵対した久秀を許して傘下に加え、さらに手薄にする本圀寺にあえて残すのだから。
久秀のことだ。信長の留守中に何か仕出かす可能性はある。
そんな久秀が本圀寺に残ることを教え、信長を愉しませてみよ、と言った。その意味はわかっている。
「私を久秀に当てるつもりなんだね……」
久秀を見張れということか。彼の相手なんてやってられないのが正直なところだが、それが信長の願いだと言うのだから、仕方ない。
「……やってやろうじゃん」




