第一章:第三十八話 三人なら、それなりに
長政と市の姿が見えなくなったところで、高虎は小春を振り返る。その顔は不愉快そうに歪められていた。理由はわかる。
「……いつの間に俺はあんたの婿候補になった」
「気にしないで。長政と市の勘違いだから」
高虎にそう言い、次いで小春はこっそり顔を伏せた吉継を向いた。
「なに笑ってんの、吉継」
「わかってしまったか」
「口元隠してるからってバレないと思わないでね。さっきも笑ってたでしょ」
「すまぬ。まさか私までお前の婿候補に推されるとは。つい愉しくてな」
「絶対に吉継が愉しくなる流れにはならないから。そもそも信長が下級武士との結婚許すはずないし」
顔を緩ませる吉継は、愉しそうな口調で小春に訊いた。
「だが、高虎が死んでは小春が悲しむと長政様は言っていたが」
「あれは長政が勝手に言ってるだけ」
「高虎が死んでも悲しまないのか?」
「あー死んじゃったんだ……くらいは思うよ」
「意外に冷たいのだな」
「いや、正直そんなに親しくないからね?」
驚きはするだろうけど、泣くほどの仲ではない。
「俺もあんたが死んでも悲しくない」
「ま、そうでしょーね」
「だがいつか、俺の死があんたに強い動揺をもたらすほどの存在に、俺はなる」
「どこに闘争心燃やしてんのよ」
「うむ。そうなれば高虎はもう一介の士ではない。立派な武士だ」
確かに歴史に名を残すような者が死んだとなれば、親しくなくても驚くかもしれないが。それだけのし上がるということか。
「でもまあ、今から進軍するけど、下級武士二人と一緒で大丈夫かな」
「おい。俺たちのことを馬鹿にしているのか」
「馬鹿にしてるんじゃなくて、真面目な話。高虎も吉継も一介の士にすぎないよね。戦の経験は?」
「これが初陣だが……」
「でしょ。私も二回目だし、まともに戦えないし」
小春は武の稽古をしている。高虎と吉継もそうだとは思うが、三人とも戦に関しては素人だ。
「確かに俺たちは経験が浅い……どう思う、吉継?」
「三人なら大丈夫だと思うぞ。たぶん……それなりには」
「なんでそんな自信なさそうなの」
士気を上げるためにも、三人なら大丈夫、と言ってほしいものだ。
「私たちが激戦を生き残れる確率は低い」
「悲観するな、吉継。三人なら大丈夫なんだろう?」
「ああ……それなりにはな」
「俺は果てない。敵を倒し、織田軍も救い出し、手柄をあげる。もっと上を狙う。三人ならなんとかなるんじゃないか?」
「高虎……」
吉継は感嘆の息を吐いた。意外にも高虎の鼓舞により、士気が上がったように思う。小春も不思議と勇気がわいてきた。
「そうだね。みんなを助けよう」
「私もその流れに従う」
「よし。行くぞ」
先頭を高虎。後ろが吉継で小春を真ん中に挟む形をとる。辺りを警戒して進むが、幸いなことに敵に会うことはなかった。
だがやがて、激しく得物を交え合うような音が聞こえてきた。
「敵か……」
「うわー……最悪……」
「何を言ってる、二人とも。手柄をあげる好機だ」
意気込む高虎に続いて小春と吉継も先へ進むと、敵味方双方の兵士が転がっていた。敵兵は皆血を流して倒れている。だが不思議なことに、織田の兵は血を流していなかった。地に伏せているが、息はあるようだ。
そのすぐ先で、激しく打ち合いをしている者がいる。一人は光秀。そして、もう一人は――
「あなた……確か矩影、だっけ?」
「おや。あなたは、斎藤の軍師の奥方……でしたか」
それを聞いて微かに目を見開いた後、吉継がちらりと小春を見た。
「小春。結婚していたのか。初耳だ」
「私も初耳だよ」
「旦那はどうしたんですか?若い男二人も引き連れて、意外にふしだらなんですね……浮気者」
「すっごい誤解してるよ」
「誤解?どの辺が?」
「全部だよ!結婚も浮気もふしだらも誤解!」
「……何をごちゃごちゃ言ってる!」
小春と矩影のやり取りは、高虎の怒声により終わった。
「覚悟せよ!」
「あ、ちょっと!」
止める間もなかった。高虎は刀を手に矩影に向かう。それに呼応して吉継も走った。
高虎が振り下ろした刀を矩影が受け止める。その間に、吉継が矩影の腹を狙って得物を突き出した。しかし後方へ倒れ込むように逃れ、矩影は吉継の攻撃をかわす。
「なかなか息が合った攻撃ですね、二人とも。だけど……」
「――私のことをお忘れですか?」
いつの間にか矩影の背後に光秀が迫っていた。刹那、一本光る線が走ったように見えた。
「……ッ、危ない……」
すんでのところで、刀を避ける。矩影の髪がはらりと落ちた。間合いを取る矩影を睨みつけたまま、高虎は小春に声をかける。
「おい、あんた。なんで参戦しなかった?」
「え、いや、突然でついていけなかった……ていうか私も頭数に入ってたの?」
「当然だろ」
「お前はただの姫ではないからな。そういう流れだ」
「どういう流れなの……まあ、ただの姫になるつもりもないけど」
小春も刀を構え、矩影と対峙する。
「あなたまで参戦するのですか。面倒が増えましたね。動きは見切れるけど考えが読めない若いのが二人に、手練れが一人。私相手に寄ってたかってだなんてそんな」
困ったように矩影が笑う。そして――
「十分戦ったので……私はこれで」
「くそっ。待て!手柄が逃げる!」
「待つのはお前だ、高虎」
追いかけようとした高虎の肩を、吉継が掴んだ。
「私たちが敵う相手ではない。追撃してもやられるだけだ」
「賢明な判断です。あの男、ずっと剣を抜いていなかった」
光秀が頷く。矩影は太刀を振り回していた。攻撃も守りも、太刀は鞘に収めたまま。織田の兵士も誰一人斬っていなかった。斬れないのではない。斬る必要がないのだ。敵を斬らなくても、対処できる。それほど矩影は腕が立つということ。
そんな彼が抜刀したら、どうなるか……おそらく、簡単に斬られてしまうだろう。




