第一章:第三十四話 不意を突く者
木刀がぶつかる乾いた音が、庭に響いた。小春は息を整える暇もなく、次の一撃を受ける。腕がしびれる。
「遅ぇぞ!」
怒鳴る声と同時に、また打ち込まれた。相手は容赦がない。利家の槍が鋭く振り下ろされる。
小春はどうにか受け止めたが、体勢を崩して後ろへよろめいた。
「これくらい防げるだろ」
「……今のはちょっと意地悪じゃない?」
「意地悪じゃない。お前が強くなるためだ」
肩で息をしながら抗議するが、利家は腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。
小春は口を尖らせた。どう考えても、手加減という言葉を知らない稽古だ。
しばらく睨み合ってから、小春はぼそっと呟いた。
「……まつに言いつけてやる」
その瞬間。利家の動きがぴたりと止まった。ゆっくりと、小春を見る。
「……なんで」
低い声が落ちる。
「その名前をお前が知っている」
小春はにやっと笑った。
「この前、一緒にお茶したの」
利家の眉がぴくりと動く。小春はさらに追い打ちをかけるように言う。
「利家、まつには甘いんでしょ?」
得意げな顔だった。
利家はしばらく黙っていたが、やがて深いため息をついた。
「小春……」
「なに?」
「鬼の首でも取ったみてぇな顔してやがる」
小春は肩をすくめる。
「だって利家の弱点見つけたし」
「弱点じゃねぇ」
利家は槍を肩に担いだ。
「ただの女房だ」
「はいはい」
小春は笑う。
「じゃあ今度、まつに聞いてみよっかなー」
利家の眉間に皺が寄った。
「……聞くな」
「なんで?」
「いいから聞くな」
小春はくすくす笑う。完全に面白がっている顔だ。
利家は頭をかきながら、もう一度槍を構えた。
「ほら、構えろ」
「え、優しくなるんじゃないの?」
「ならねぇ」
次の瞬間。また槍が振り下ろされる。小春は慌てて受け止めた。
「利家!」
「まつに言いつけるんじゃなかったのか」
利家はにやりと笑う。
「言えばいい」
槍がまた迫る。
「その前に倒れなきゃな」
庭に、また乾いた音が響いた。
▽ ▽ ▽
「よし。この辺にしようか」
「今日もありがとう、二人とも」
利家と慶次に向かって小春は礼をし、汗を拭いた。
「上洛開始は近い。気を引き締めていけよ」
「うん!」
「元々体力もあるし、格段に腕も上がってきた。大丈夫だろう。なあ、叔父御?」
「おう!あと他に言うことは……と」
少し考えた後、利家が言った。
「お前は武芸を始めてまだ日が浅いし、女っていうのは力的にどうしても男に敵わねえ。経験不足や力の弱さは、相手の不意を突くなり頭を使って補え。戦力的に不利でも策を巡らせば、強敵に勝てる」
「う、うん……」
「打ち合いはなかなかいい。よほど相手の力が強くなければ、刀を弾き飛ばされることはねえだろうな。だが得物を交えたまま睨み合うのはやめた方がいい」
「なんで?」
「力で押し切られる場合が多い。戦は男だらけ。普通に考えりゃ、小春より力が強い奴ばかりだ。だから得物を受け止めたままいるのはやめろ。受け止めてもすぐ横に流すか、後ろに退いて間合いを取れ」
「うん……わかった」
前の戦でのことを思い出す。
一人の兵士と得物を交えたまま睨み合ったとき、確かに押されていた。
力では到底敵わないと実感したのだ。
不安な顔をする小春の背中を、利家が叩いた。
「大丈夫だ。それを見越して稽古してきたんだからよ。動きはできてる」
「問題は胆力かねえ。前の時みたいにぶっ倒れちまわないようにな」
「その件は本当にごめんなさい……」
鍛練が終わり、小春は着物に着替えた。汗をかいたため湯浴みをしたいところだが、そんな暇はない。
次はいつものように羽柴邸で両兵衛に学ぶのだ。待たせると半兵衛は昼寝の時間が減ると言ってうるさい。
仕方なく今日も制汗スプレーを身体に吹きかけた。リュックに入れていて本当によかったと思う。
信長は今、上洛準備を進めている。戦は近い。そして簡単に上洛は成らない。邪魔が入ることを小春は知っている。
それと関係あるかはわからないが、先の戦で捕縛した久秀を信長が許したところ、彼は姿を消したという。
なんとなくまた敵対したりする予感がしないでもないが、怯えてはいられない。
信長は利家や慶次に留守を任せるつもりなのだろう。上洛の陣触れに二人の名前はなかった。いきなり頼っていられない状況。
しかし体力もついた。腕も上がっている。それは利家と慶次も認めてくれたし、小春も実感している。
覚悟もできている。怖いことに変わりはないが、先の戦のようなことは繰り返したくない――繰り返さない、絶対に。
“経験不足や力の弱さは、相手の不意を突くなり頭を使って補え。戦力的に不利でも策を巡らせば、強敵に勝てる”
利家の助言が頭に浮かぶ。正々堂々勝負するのは利家や慶次のように強ければの話だ。死ぬわけにはいかない。
頭を使うのはあまり得意ではないが、何かないかと考える。相手の不意を突く方法――
小春はハッとし、手に持つ制汗スプレーを見つめた。
「……これ、使えるかも」
▽ ▽ ▽
織田軍と六角軍がせめぎ合う戦場を、藤堂高虎は小高い丘の上から眺めていた。
織田から長政に文が届いたのは、数日前。それを読むや否や戦支度を整え、長政は軍勢を率いて小谷を出発。昼夜問わず駆け、先ほど着いたばかりだ。若い主君に従い、高虎もこの場に駆けつけた。
「何をしている、高虎」
後ろから声がかかる。振り返ると、長政と市の祝言を機に浅井に残った大谷吉継だった。
「誰か探しているのか?」
「……ああ」
「やはりそうか。例の恋文の相手か?」
「恋文?」
吉継の言葉に高虎は顔を顰める。
「お前が織田の者に文を送ったのは知っている。長政様やお市様に字や文の作法を教えてもらっていたな。恋仲か?」
「確かに文は送ったが、恋文でも恋仲でもない。くだらぬ内容だ」
「ほう……くだらぬ内容をやり取りするような仲、ということか。恋仲より興味深いな」
「別に大したことはない」
高虎は懐から文を取り出し、吉継に見せた。受け取った吉継は文の内容を読み上げる。
「……『文をありがとうございます。せっかくもらったんですが……あなた誰?私と話したことあったっけ?記憶にないんだけど。小春より』。……ひどいな……」
「学のない俺が、長政様やお市様に教えてもらってまで書いたというのに、あの女……俺のことを忘れてやがる」
「これは玉砕だな、高虎」
「何を言ってる」
「この流れでは無理そうだが、諦められぬのであれば流れに逆らってみたらどうだ。私も協力するぞ」
「本当に何を言ってる、吉継」
怪訝な顔をする高虎に、彼がこの手の話に疎いのだと吉継は察する。あるいは色恋に興味がないか。
「まあいい。あいつは信長の上洛に従っているはずだ。必ず会える」
高虎は不敵な笑みを浮かべ、再び織田と六角がぶつかり合う戦場を見つめた。
「――待っていろ、小春」




