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第一章:第三十三話 まだ知らぬ名

 それからも小春の稽古をする日々は続き、今日は休憩の合間にねねが訪ねてきて子飼いたちのことを訊いてきた。


「ねえ、どう?あの子たち」

「いや、なんていうか……もうちょっと大きい子だと思ってた」


 婿候補にどうだと言っていたから、小春より年上か同い年ぐらいだと思っていたのだが。明らかに年下でまだ子どもである。


「小春様に似合うと思うけどなぁ、姐さん女房。うちは逆だけど、うちの人とあたしは十二歳差だよ」

「好きなら年齢なんて関係ないって言うもんね。まあでも私はあの子たち対象外かな。特にあの佐吉って子。ほんと可愛くない」


 小春はふと思い立った。先の戦で駆け付けた浅井夫婦は、まだ尾張に滞在している。市が小谷城に戻る前に、お茶をしておこう、と。

 せっかくなら、ねねも一緒に誘ったら楽しそうだ。そう考えると胸が軽くなる。


「そうだ!市が小谷城に戻る前に、まつも誘ってお茶しよって言ってるんだけど、ねねもよかったら」


 ねねは顔をほころばせ、楽しげに笑った。


「楽しそうだねぇ。あたしも行くよ」


 これでまた賑やかな時間が過ごせそうだ。



 あれから数日。両兵衛から学を教わるために羽柴邸を訪れては、子飼いたちとも話をするようになっていた。


「そういえば、鍛練をしてるって聞いたが、戦に出る気なのか?」


 四人で思い思い好きに過ごしていると、ふいに夜叉若が小春にそう訊ねた。


「この前の戦で初陣だったよ。これから上洛にもついて行くつもり」

「マジかよ!すげー!」

「さすが織田の姫だな」


 興奮する夜叉若と市松を横目に、佐吉はフンッと鼻を鳴らした。


「俺たちもいつか秀吉様の役に立てるよう、鍛練に励んでいる」

「早く初陣してぇー!ま、佐吉は貧弱だから無理かもだけどな」

「お前は頭が貧弱だがな、市松」

「なんだと!佐吉!」

「はいはい、喧嘩しない。人には得意不得意があるからね。お互いに補えばいいの。佐吉も市松もできないことがあっても気にしなくていいと思うよ」

「お前は少しは気にしろ。勝家殿に料理、裁縫を習っていると聞いたが?」


 小春は言葉に詰まる。まったく嫌なところを突いてくる子どもだ。


「……不得意なもので」

「それでは嫁の貰い手もないだろうな。可哀想な奴だ」

「大丈夫、大丈夫。久秀が言うには結婚できるらしいから」

「お前のような女と夫婦になる男の気が知れんな。行き遅れても私は娶らんぞ」

「私だってあんたみたいな生意気には嫁ぎたくないし!」


 そんなやり取りをしていると、従女が部屋に来た。


「失礼致します。小春様がこちらにいらっしゃると伺いましたが……」

「あ、はい。何か用ですか?」

「小春様宛の文が届きましたゆえ、お渡しに参りました」

「わざわざありがとうございます」


 文とは確か手紙のことだ。

 受け取り、小春は幾分にも折られた紙を広げる。当然ながら、文は漢文調で書かれていた。

 仮名書きの部分まで漢字を崩したような文字で、両兵衛に習っているとはいえ、小春はまだ完璧に読みこなせていない。

 これは解読に時間がかかる。


 佐吉に突っ込まれないように無言で立ち上がり、なに食わぬ顔をして部屋を出る。向かったのは官兵衛のもと。


「官兵衛。いる?」

「俺もいるよ」


 小春に厳しい半兵衛の声がして少し躊躇ったが、ここまで来て引き返せずそのまま部屋に入る。


「どうしたのだ?」

「実は、私宛に文が届いたんだけど……」

「読めぬのか」

「ちょっと自信ないだけ」

「あ、じゃあ貸して。俺が読んであげる」


 半兵衛に文を渡すと、彼は声に出して読み上げた。


「えーと……『あんたが心配するようなことは何もない。長政様とお市様は元気だ。変わらず仲睦まじく幸せそうだ』……ってさ」

「よかった。長政と市、仲良くやってるんだね」

「差出人は……藤堂高虎、だって。誰なの?」

「いや、私も知りたいんだけど」


 聞いたことがない。名前からして男だとは思うが……。


「長政さんとお市さんのこと書いてるから、浅井家臣だと思うけど、心当たりないの?」

「全然ない」

「たとえばお市さんの輿入れの時に小谷で知り合った浅井家臣とか」

「小谷、市の輿入れ、浅井家臣、か……」


 そのキーワードを元に小春は考える。


 市の輿入れで小谷城に行った日。祝いの席で盛り上がる部屋を抜け出して庭を散策していると、誰かに声をかけられた。顔を上げると、そこには知的で物腰柔らかいオトナの雰囲気をしたイケメン。しばし見つめ合った後、優しく手を差し出してくれて――


「……いやいや、どんだけ浮かれた妄想してるの。そんな運命的な出逢いなかったし」


 どう考えても小谷で市の輿入れの時に知り合った浅井家臣といえば、大谷吉継と手ぬぐいくんしかいない。

 しかし手紙をもらうような仲ではないし、仮に吉継なら小春に名乗った名前で書くはずだ。そして手ぬぐいくんは小春に手紙を出すようには思えなかった。


「ほんと心当たりない。でも……藤堂高虎かぁ。なんかかっこいい名前だね」

「見知らぬ男からの文か。その差出人が後に“運命の人”だった、って展開あったりして」

「その展開すごく憧れる!漫画みたいじゃん!藤堂高虎、どんな人かなぁ。知的で物腰柔らかいオトナの雰囲気をしたイケメンだといいんだけど」

「むさ苦しいおじさんかも」

「……夢ぐらい見させてよ、半兵衛」

「まあ、知的な美男子でもむさ苦しいおじさんでも、文をもらって返事を出さないのはまずいんじゃない?怪しい内容でもないし」


 確かにそうだ。相手が誰であれ、文は純粋に長政と市の近況を知らせる内容だった。


「どうやって返事書いたらいいかな」

「文には形式があってコツがいるんだよ。大丈夫、ちゃんと教えるからね。……官兵衛殿が」

「なぜ私に振る、半兵衛」

「俺、そろそろ昼寝したいから」

「……仕方あるまい」


 よろしくね~、と言って半兵衛は部屋から出て行った。


 早速小春は筆を持ち、紙を前にして考える。


「内容、どうしようか」

「思ったままを綴ればいい」

「思ったままね……よし」


 小春は筆を走らせ、できた文を官兵衛に見せた。


「こんな感じかな。どう?」

「……お前らしくていい」


 内容に目を通した官兵衛はそう言った。


「素直な心情が表れている。成長したな」

「やった!思ってること素直に書いてよかったよ。じゃあこれお願いしてくるね」


 官兵衛に合格をもらえた小春は、その文を藤堂高虎へ届けてくれるよう使者に託した。

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