第46話:白衣の死神と、偽りの奇跡
王都の中心にそびえ立つ、豪奢な白亜の王国教会。
その最上階にある大執務室は、神聖な祈りの場というよりは、金と権力が渦巻くものたちの巣窟であった。
「――それで、隣国の聖女が失踪したと?」
分厚い報告書に目を通しながら、銀髪の青年がふんわりとした微笑みを浮かべた。
王国教会の若き枢機卿、シリル・ヴァン・アスター。
純白の法衣を纏い、常に柔らかな笑みを絶やさないミステリアスな美青年だが、細められた糸目の奥には、氷のように冷たくシニカルな光が宿っている。
「は、はい、シリル卿! 魔物の群れが砦を破った際、忽然と姿を消したとか。しかし奇妙なことに、魔物たちは人間を襲わず、ただ隣国の国境……バウムガルト領から『逃げるように』走り去ったそうです」
報告をする神官が、額に汗を浮かべながら言葉を継いだ。
「現在、そのバウムガルト辺境伯領は、異常なほどの繁栄を見せております。一部の民の間では、『辺境に本物の女神が降臨した』などというカルト的な噂まで流れ始めておりまして……っ」
「ほぉ」
シリルは報告書を机に放り投げ、喉の奥でくくっと笑った。
(本物の女神、ね。下らない)
シリルは、教会上層部の腐敗を知り尽くしていた。
奇跡だの、神託だの、聖女だの。
それらはすべて、無知な民衆から思考を奪い、都合よく支配するための『道具』に過ぎない。
隣国が魔力の多い平民の小娘を「聖女」に仕立て上げ、結界の維持という名目で命を搾取していたことも、当然把握している。
「辺境で神格化される女、か。……危険ですね」
シリルは美しい指先で、トントンと机を叩いた。
もしそれが意図的に仕組まれたものであれば、国家転覆レベルの新興宗教になり得る。
教会の権威を揺るがす、極めて厄介な事案だ。
「しかし、あのカシアン辺境伯が、領内にそのような怪しい女を匿うでしょうか?」
「それが……辺境伯は、妻であるリゼットという令嬢に、異常なほど執心しているとか。噂では、その妻のために恐ろしい神獣を飼い慣らし、王命すら後回しにして彼女の平穏を優先しているそうです」
「……愛妻家ですか」
シリルは呆れたように小さくため息をついた。
(辺境で女神扱いされる女、か)
胡散臭い。実に胡散臭い。
だが――。
教会が作る『偽りの奇跡』と、民衆が勝手に作り上げる『偶像』。
どちらが厄介かと言われれば、間違いなく後者だ。
シリルにとって、宗教とは人を操るための盤面に過ぎない。
自分たちの権益を脅かす正体不明の不確定要素など、その裏を暴いて早急に異端認定し、法的に排除するに限る。
「ご苦労様でした。……私が直接、辺境へ赴きましょう」
神官が安堵の息を吐く。
シリル卿が動けば、問題はすぐに片付く。
これまでにも彼は数多くの『奇跡』を暴き、異端を裁いてきた。
その笑顔のまま。
その穏やかな声のまま。
法と教義の名の下に。
「シ、シリル卿自ら、査察に行かれるのですか!?」
「ええ。民を惑わす『偽りの奇跡』は、教会の名の下に正しく調べ上げ、浄化して差し上げませんと」
シリルは立ち上がり、純白の法衣を翻した。
「待っていてくださいね、辺境の女神殿。……本物の神など、この世には存在しないということを証明してあげましょう」
誰もいなくなった執務室で、若き枢機卿は氷のように冷たい声で一人呟いた。
カシアンの予知夢において、リゼットの【処刑執行のサイン】を書くはずだった男が、ついに動き出したのだ。
***
その頃。 遠く離れたバウムガルト領では。
「すぅ……ふすぅ……」
リゼットが、ひんやりと体温を調整した黒嶺竜のノアの腹を極上の枕にして、最高に幸せそうな顔で昼寝を満喫していた。
彼女はまだ知らない。
自らの処刑を決定した男が、今まさにこちらへ向かっていることを――。




