第12話:紅い夢と、未知なる術式の温もり
カシアンは、深い眠りの中で、かつての記憶を辿っていた。
以前のリゼットとの関係は、冷え切っていたわけではない。ただ、互いにあまりにも遠かった。実家で「魔力を溜めるだけの置物」として扱われていた彼女を、カシアンは辺境伯としての義務で引き取った。そこに燃え上がるような愛はなかったが、彼は彼女を一人の貴婦人として尊重し、穏やかな生活を与えようとしていた。
リゼットもまた、自分を道具扱いしなかったカシアンに、静かな感謝を抱いていたのだろう。……「白い結婚」という適切な距離を保ちながら、二人の時間は淡々と過ぎていくはずだった。
だが、あの予知夢がすべてを変えた。
炎に包まれる屋敷の中で、人形のように感情を消していたはずのリゼットが、カシアンを突き飛ばして身代わりになる。
(なぜ、君は……)
消えゆく意識の中で、彼女は微笑んだ。 『……私を、外の世界へと連れ出してくださって……ありがとう、ございました……』
彼女にとって、カシアンが差し伸べた手は、地獄のような実家から救い出してくれた唯一の光だったのだ。
それからだ。予知夢が繰り返されるたび、カシアンは彼女を守ろうと必死になった。 だが、今のリゼットは以前とは何かが違う。
かつての彼女は、ただ守られるだけの存在だった。 だが今の彼女が紡ぐ魔法は、この世界の既存の術式――詠唱し、イメージし、魔力を放射する――とは根本的に異なっている。
(あれは、なんだ……? 魔法陣の構成が、あまりに緻密で、淀みがない。……まるで見えない文字で、世界の理を直接書き換えているような……)
カシアンは、魔導の専門家ではないが、戦士としての直感で気づいていた。 リゼットが使っているのは、この大陸のどの魔導書にも記されていない**【未知の術式】**であることを。
(どこで、あのような力を……。まさか、私や領地を救うために、禁忌の術にまで手を染めたというのか……!?)
彼にとって、リゼットの変貌と有能さは、「命の前借り」をしているようにしか見えない。 未知の魔法を使えば使うほど、彼女の魂が削り取られていくのではないか――その恐怖が、カシアンを過保護という名の妄執へと駆り立てる。
「……ん……。リゼット……」
膝の上で微睡んでいたカシアンが、ゆっくりと目を開ける。 そこには、UIで「お取り寄せスイーツ」の到着予定時刻を確認し、何食わぬ顔で「あら、お目覚めですか?」と微笑むリゼットがいた。
「……ああ。……悪い夢を見ていたようだ。君が、どこか遠くへ行ってしまう夢を」
「……また、不吉なことを。私はここに、こうしておりますわ」 (※脳内訳:スイーツが届くまで、この拠点を動くわけないじゃないですか)
カシアンは、膝枕をされたまま、リゼットの細い腰をぎゅっと抱きしめた。 その腕には、「この未知なる力を秘めた、儚き至宝を、今度こそ守り抜く」という、重苦しいまでの決意が込められていた。
【第三者視点:ジャネットの観察ログ】
私は、扉の隙間からお二人の様子を伺っていた。 旦那様は、奥様の膝の上で、まるで救いを求める子供のように縋り付いておいでだ。
(……旦那様。奥様が今、必死に『足のしびれ』を魔法で中和しようと、必死に指先をポチポチ動かしておられることにお気づきでしょうか)
奥様の瞳には、旦那様への愛というよりは、「……重いわ。これ、いつまで続くのかしら。おやつの時間が過ぎちゃう」という、切実な時間配分への懸念が宿っている。
(お二人とも、ある意味で必死。……この屋敷の平和は、お二人のあまりにも重すぎる勘違いの上に成り立っておりますのね)
私はそっと、届きたてのスイーツを隠して、執務室へと下がった。 しばらくは、この「聖なる沈黙(あるいは、リゼット様の我慢の時間)」を邪魔してはならない。




