第9話:余暇は、だいたい厄介なものを連れてくる
領地運営の改善――それは、思いも寄らぬ不具合を引き起こした。 屋敷の歯車が滑らかに回りすぎた結果、夫であるカシアンに、最も恐れていた「空き時間」が生まれてしまったのだ。
「リゼット、今日は午後からの公務が早く片付いた。君の話し相手になろう」
(今、まさに夢の世界へ旅立とうとしていたのに……! )
リゼットは、ふかふかの枕に沈めた顔を上げた。
カシアンは当然のように枕元に腰掛け、大真面目な顔で魔物の変異種に関する高説を始めている。
彼にとっては至福の語らいなのだろうが、リゼットにとっては、代休のない休日出勤に等しい。
【現在の状況:一方的な慈愛による長時間拘束】
【疲労度:急上昇。 このままでは強制的な意識の断絶を招きます】
(ごめんね、カシアン。 でも、あなたがここに居座ると私の安眠環境が構築できないの)
リゼットは布団の下で、こっそりとキーボードを呼び出した。
指先を小さく躍らせ、北側の森に張られた守護の術式に、ほんの少しだけ「不自然な揺らぎ」を混ぜ込む。
「……? 何だ、この魔力の揺らぎは」
即座に、カシアンの緋色の瞳が鋭く細められた。
さすがは辺境を統べる軍人、異常を察知する感覚は一流だ。
そこへ、慌てた様子の騎士が扉を叩く。
「カシアン様! 北の結界に異常が起きました! 」
(※私が十秒で仕込んだ、見た目だけは派手な偽装障害よ。 ごめんなさいね)
「何だと……。あそこの守りは強固なはず。 リゼット、すまない。 急用ができた、すぐに戻る」
「…… ええ。 どうか、お気をつけて。 旦那様」
カシアンは風のように部屋を出ていった。
成功!
リゼットは心の中で小さくガッツポーズを決め、重たい毛布を頭まで被り直す。
…… だが。
部屋の隅、気配を消したまま控えていた「影」が、静かに動いた。
「…… 奥様。 北側の結界は、つい先日、入念な点検を終えたばかりのはずですが」
ジャネットだ。
彼女はサイドテーブルを整えながら、独り言のように続ける。
「あのタイミングで、あれほど不自然な揺らぎが出るとは。まるで、奥様が旦那様を遠ざけるために、鮮やかな手際で『悪戯』をなさったかのようですわね」
(…… ジャネット。 あなた、私の行動を完全に読み取ってるわね!? )
「…… あら。 偶然って、恐ろしいわね。 ジャネット」
「左様でございますね。…… では」
ジャネットは一礼し、声を落として付け加えた。
「旦那様が森で『見えない原因』を探しておられる間に、奥様には滋養のつく極上のお肉料理をお持ちいたしましょうか。」
(ジャネット……! あなた、やっぱり最高の相棒だわ! )
リゼットは差し出された背徳の逸品を頬張りながら、深い安堵感に包まれた。
――しかし、彼女はまだ知らない。
北の森でカシアンが、「あまりに精緻で、かつ悪戯っぽく書き換えられた術式の痕跡」を発見し、戦慄していることを。
「これほど高度な干渉が可能なのは…… もしや、リゼットを精神的に追い詰めようとする、魔導暗殺者か……!?」
カシアンの瞳に、激しい怒りと「これまで以上の過保護」の炎が宿ったことを、リゼットは夢にも思っていなかった。




