10月31日(金)続・後悔のナポリタン
「──それで、お話というのは? やっぱり、お部屋で何かありました? なんだか痩せて見えるけど、高野さん、ご飯ちゃんと食べてますか?」
「あっはい、ええと、体調はぜんぜんいいです。体も軽くなったし」
アパートの近所、例のナポリタンが美味しい喫茶店。席に着いて注文を済ませるなり彼女──アパートの管理会社の中村さんは早口でまくし立ててきた。今日も大人なパンツスーツ姿、ボブヘアとメガネがクールな知的美人からのギャップでこちらを殺しに来る。
仕事帰りにエントランスで偶然顔を合わせ、部屋の件をそれとなく報告しておこうかと思い立ち「ちょっとお話が」と言った途端、引きずるようにここに連れて来られたのだった。
「本当に!? 無理してない!? 何でもお姉さんに話していいんだからね……!」
──あれから、二ヶ月が過ぎた。
翌日から今日まで、夏澄さんは姿を現していない。精魂尽きて勝手に僕のベッドに潜り込んで寝息を立てていた原田さん(しかたないので僕はダイニングテーブルに突っ伏して眠った)が朝起きたときには、すでに部屋のどこにも居なかったという。
なんでも霊溜がなくなったことで堰き止められていた霊がいっきに流れ込んだらしく、巻き込まれて流されてしまったのかも知れない、らしい。
ただし彼女はすでに成仏した霊魂であり、お盆という集団儀式のルールに則って一時的に現世に戻っている状態なので、おじさんたちと一緒のルートであの世に戻れるかはわからない、そうだ。
「それが、本当に体調は良くてですね。実はしばらく前に、変な夢を見てからすごく体が軽くなったんです」
「……夢?」
「あの部屋にですね、ヒャ……じゃないや、悪いキツネの妖怪的なやつが取り憑いてて」
「……きつね……」
「そいつをお祓いするときに、おじさんが力を貸してくれたんですよ。たぶん、僕の前に入ってたひとなのかなって」
まあこんな話、されても困るよな。今更ながらそう思えてきて、下を向きながらとにかくおじさんとの約束を果たすために話すだけ話そうと、言葉を続けた。
「ずっとこう……苦虫を噛み潰したみたいな表情だったけど、中村さんがちゃんと向き合えなかったこと後悔してたって伝えたら『そんなことない、気にかけてくれてありがとう』って。そのときだけ、すごく優しく笑ってくれて」
いっきに話し切って、とうとう相槌も聞こえなくなった中村さんの顔を見る。
──え!?
彼女の両目から、涙が溢れて頬を伝っていた。鼻も真っ赤に染まっている。
「あっ……あの……」
「……言って、なかったですよね……」
「え?」
慌てて差し出した紙ナプキンを受け取って、メガネをずらして涙を拭う彼女の声は震えていた。
「苦虫……いつも、ほんとにそんな顔してたの渋川さん。でも一瞬の笑顔がすごく優しくて……そう……そっか……」
ずびび、と鼻をすする。渋川さんというのが、あのおじさんの名前なのだろう。
「……伝えてくれて、本当にありがとう……」
そのあとのナポリタンは、また格別に美味しかった。
◇ ◇ ◇
「また、何かあればいつでも言ってください。あ、ちゃんとご飯食べてね」
「はい。いや、ちゃんと食べてますって」
店の前で中村さんと別れ、部屋に向かう。街中にはオレンジ色の装飾が見えた。
そういえば今日は10月31日、ハロウィンの当日だったはず。
原田さんから「興味ないと思うけど」と前置きされた上で同期中心の仮装パーティに誘われたけど、もちろん興味はなかった。
ちなみに彼女は今年はゾンビメイドになるらしい。あとで写真を送りつけると予告された。まあ正直、それはちょっと興味ある。
「ただいま」
そうして僕は、あの日から誰もいなくなった、一人きりの部屋に着いた。
……カタッ……




