第1話 美貌
私はディアナ。十八歳。
イサーク王国の大臣を務めるパーシヴァル伯爵の娘。
「国の宝」
「至高の美の体現者」
人々は口々に、畏敬と賛美を込めて私をそう称える。
私の髪の一房、瞳の瞬き一つでさえ、人々は詩人のように極上の言葉を尽くして歌い上げた。
国内で、私の名やその容姿を知らない者など一人もいない。
しかし、溢れんばかりの称賛を浴びるたび、私の心は冷たく凍りついていくようだった。
なぜって、その言葉のすべてが、私にとっては自由を奪う呪いでしかなかったから。
私の美貌は、ただ存在するだけで周囲の人間を狂わせる狂気そのものだった。
私の前では、どんなに理性的で高潔な貴公子であっても、瞬く間に正気を失ってしまう。
ほんの少し微笑みを見せただけで、男たちの闘争心を刺戟してしまう。
男たちの間には激しい愛の炎が燃え上がり、命がけの決闘へと発展する。
昨日もまた、私を巡って激しく争った二人の若き貴族が、剣を交えて大怪我を負ったという報せが届いた。
「お嬢様、お嬢様」
私より若い新人メイドのミリーが、ドタバタと足音を立てて部屋に入ってくる。
「またディアナお嬢様を巡って決闘ですってよ」
飼い猫が子を産んだのを伝えるのと同じ調子で嬉しそうに私に話す。
「そうですか……」
私はまた暗い気分になる。
「男の人たちの名前は、ええと、何て言ったかしら。ご立派なご身分の貴公子ですよ」
「もうその話は……」
「さすがはお嬢様。何人もの殿方を狂わすなんて、そんな女に憧れてしまいますわ」
「これ、不謹慎ですよ」
ミリーをたしなめたのは、先輩メイドのニーナ。
ニーナは一礼するとニーナを連れて私の部屋を出た。
私には、この王国の第一王子であるエリオット様という、誰もが羨む非の打ち所のない婚約者がいる。
将来の王妃となる身の上が確定しているというのに、男たちの愚かな独占欲と血の気が引くことはなかった。
凄惨な流血の報せを聞くたび、私の胸は引き裂かれるように痛んだ。
「なぜ、皆ただの皮膜にすぎない容姿に、ここまで狂い、傷つけ合うの……?」
この忌々しい美貌さえなければ、誰も争わず、誰も血を流さずに済むはずなのに。
私は鏡に映る己の完璧な容姿を見るたび、心底からそれを疎ましく、憎らしく思うようになっていった。
思い悩んだ末に、私はある恐ろしい決意を固めた。
誰もが立ち入ることを恐れる、深い森の最奥。
そこに、ひっそりと隠れ住むという魔法使いの老婆の噂を聞きつけ、私は月明かりすら届かない漆黒の夜、ただ一人でその庵を目指した。
何故私がその庵の場所を知っていたのか、自分でもよくわからない。
何かが私を導いていたのだろうか。
昼なお暗いと言われるその森は、夜を迎えて完全な闇に支配されていた。
絡み合う奇妙な形の枝葉が空を覆い尽くし、星の光さえも地上に届かない。
手にした古びたランタンの小さな灯りだけが、私の足元を頼りなく照らしていた。
一歩進むたびに、湿った土と腐葉土の重苦しい匂いが鼻を突く。
夜露に濡れた鋭い茨がドレスの裾を容赦なく引き裂き、容姿を損なえと言わんばかりに生い茂る木の枝が、私の頬や腕を激しく打ち据えた。
いつもなら悲鳴を上げて逃げ出すような不気味な獣の遠吠えや、正体のわからない生き物が這い回る物音が、闇の奥から絶え間なく聞こえてくる。
しかし、不思議と恐怖はなかった。
足から血を流し、息を切らしながらも、私の足が止まることはなかった。
むしろ、この不気味な森の険しさが、私の決意をより強固なものへと変えていく。
この足の痛みが、五感を脅かす闇が、私をあの狂気に満ちた社交界から遠ざけてくれる気がしたからだ。
どれほど歩いたか分からなくなった頃だった。
突如として目の前の木々が開け、歪んだ巨木の根元に押し潰されるようにして佇む、古びた粗末な庵が現れた。
窓からは、怪しげな紫色の煙と、かすかな蝋燭の光が漏れ出ている。
私は意を決して、苔むした木製の扉を叩いた。
「おやおや、お客さんとは珍しい」
現れたのは、濃い紫のフードに身を包んだ老婆だった。
「いきなり押しかけて申し訳ありません。私のこの姿を、誰もが目を背けるような醜い姿に変えてください」
私は、一筋の涙を流しながら、しかしはっきりとした声で老婆に懇願した。
老婆は、濁った昏い瞳を細めて不気味に笑った。
まるで私の訪問をあらかじめ知っていたかのよう。
「こんな綺麗な娘さんが……、まあ、とにかくお入り」
庵に一歩足を踏み入れると、まず鼻を突いたのは、乾燥した干し草と、鼻の奥がちくちくと痛むような未知の薬草が混ざり合った、強烈な匂いだった。
天井からは、形の歪んだトカゲや、干からびた得体の知れない小動物の死骸、そして黒く縮んだ植物の根が、まるで見せしめのように無数に吊り下げられている。
庵の壁際を埋め尽くす黒ずんだ木棚には、埃を被った無数のガラス瓶が乱雑に並べられていた。
その中には、どろりとした怪しげな原色の液体や、暗闇の中で時折ピクリと不気味に蠢く、正体不明の生き物の部位のようなものが詰められている。
部屋の中央には、一抱えもある大きな鉄製の釜が据えられていた。
その釜の下では、薪がパチパチと音を立てて緑色の炎を上げており、釜の内部からは、窓の外まで漏れ出ていたあの怪しげな紫色の煙が、ボコボコと不気味な泡を立てながら立ち上っている。
壁や床には、蝋燭の煤がこびりつき、床に落ちた蝋の塊が、かすかな光を反射して獣の目のように妖しく光っていた。
「醜い姿になりたいとな」
「はい。私は……」
私は、何かに急かされるように早口で事情を説明した。
「いいのかい?」
「はい」
老婆は、骨張った冷たい指先で、そっと私の額に触れた。
その瞬間、肌を激しく焼き焦がすような、凄まじい熱と激痛が全身を駆け巡る。
私は声を上げることもできず、その場に崩れ落ちた。
いつの間にか私は自分の家に帰ってきていた。
恐怖に耐え、恐る恐る鏡を覗き込むと、そこにはかつての「国の宝」と呼ばれた面影など、微塵も残っていなかった。
肌は灰色に濁り、酷い爛れが顔全体を覆う、見るも無惨で醜悪な容姿へと私は変わり果てていた。
これですべてが望み通りになる。
そう自分に言い聞かせた。
けれど、現実に待ち受けていた周囲の変貌は、私の想像を遥かに超えて冷酷なものだった。
「おお、なんということだ! 我がパーシヴァル家の誉れであり、最大の武器であったお前が、このような悍ましい化け物になるなど!」
私の父母は、変わり果てた私を見るなり絶叫し、激しい嫌悪と落胆を露わにした。
汚らわしい虫けらでも見るかのような目で私を本邸から追い出し、敷地の片隅にひっそりと佇む、埃塗れで荒れ果てた古い離れでの生活を命じたのだ。
私は、昨日までの贅沢な栄華も家族の愛も全て失った。
……いいえ、すべてを失ったわけではない。
愛犬のジュリー、そして……。
「お嬢様、温かいお茶が入りましたよ。今日からはこの静かな場所で、誰の目も気にせず心穏やかに過ごせますね」
そう言って、離れの軋む古い机の上に、そっと湯気の立つ紅茶を置いてくれた者がいた。
私の元からすべての使用人が逃げ出す中、唯一残ってくれたメイドのニーナである。
彼女は、私の変わり果てた恐ろしい顔を見ても、一度たりとも眉をひそめることすらしなかった。
私より少し年上のニーナは、本邸にいた頃から私に仕えてくれていたお仕着せのメイドの一人にすぎなかった。
それなのに、まさかこれほど忠実に、見捨てられた極貧の離れにまで私を慕ってついてきてくれるなんて想像もしなかった。
そればかりか、離れでの生活が始まると、彼女の驚くべき手際が明らかになっていく。
蜘蛛の巣と埃で荒れ放題だった離れは、彼女が細い腕をほんのひと振りするだけで、あっという間に清潔で居心地の良い空間へと生まれ変わっていった。
本邸にいた頃の私は、彼女を「少し仕事の早い、真面目で忠実なメイド」だとしか認識していなかった。
しかし、その手際の良さは見事としか言い様がない。
本当は、私の想像を遥かに超える、恐ろしいほどの才能を秘めた優秀な人間なのかもしれない。
本当に、どれだけ感謝してもしきれない。
ただ、世間知らずな私には、彼女が持つ能力の本当の凄さとその全貌が、まだ完全には理解できていなかった。
やがて、私の変貌に関する噂は、凄まじい速さで社交界を駆け巡った。
曰く「パーシヴァル伯爵家の至宝たる令嬢は、恐ろしい病に罹り、見るも無惨な醜い姿になった」と。
その噂が広まるや否や、世の男たちは手のひらを返した。
あれほど私の機嫌を伺い、群がっていた狂信的な貴公子たちは、誰一人として姿を見せなくなった。
それどころか、私の名前を口にすることさえ、まるで不吉な呪いであるかのように忌避し始めたらしい。
そして、決定打となる一通の手紙が届く。
それは、婚約者であったエリオット王子からのものだった。
「お嬢様にも読ませるようにと、お父上が。ですが、無理に読む必要は……」
私のことを気遣うニーナ。
「想像はついているけど……」
私はニーナから手紙を受け取る。
エリオット王子は、私の容姿が本当に変わってしまったのか、その目で確かめもしなかった。
ただ風の噂で流れてきた「醜悪になった」という事実だけを鵜呑みにし、体面を汚されたと言わんばかりに、一方的で冷徹な婚約破棄を告げてきたのだ。
静まり返った薄暗い離れの中で、私はその破棄状を、赤々と燃える暖炉の炎の中へと静かに投げ入れる。
これでいい。
これで本当に良かった。
もう、私の美貌のせいで、誰かが傷つき、愚かな血を流す必要などないのだから。
パチパチと音を立てて灰になっていく手紙を眺めながら、私は胸の奥に一抹の寂しさを感じつつも、それ以上に、ようやく手に入れた確かな解放感を抱きながら、深く息を吐き出した。




