第4話 つくしとの勝負
狭い玄関で靴を脱いで上がると、六畳二間が目の前に広がる。
田舎らしい低家賃の音漏れ必至の1DKのアパート。そこで花咲は一人暮らしをしていた。
親の有難みを知れ。それが父親の言い分だった。
親に頼り切った自堕落な生活を送る花咲を見て、半分冗談で言った父親の言葉を母親が面白がって勝手に決めたのだ。初めは父と同棲だったはずが、母に泣きついた父だけ実家に戻り、母がたまにアパートへ様子を見に来るという、むしろ母親の面倒が増える結果になったのだが。
一人暮らしとは言っても、このアパートは実家から徒歩十分程の距離にある。家賃払うだけ無駄なように思うが、親は自立するうえでの必要経費ぐらいにしか考えていないようだった。
「ただいま」
高い声が後ろから聞こえてきた。
「……………………」
「どうしたの?」
無言で振り返った花咲を、狐女こと春野つくしが不思議そうに見つめていた。
「つくし、ここは俺の家なんだが」
「そうだね」
「どうして平然と上がってきてるんだよ」
「だって、帰る家なんて他にないし」
「ここだって、つくしの帰る家じゃないぞ」
花咲の棘のある言葉につくしが唇をかみしめる。言われると思っていた表情だ。
「……そうなるよね」
つくしの声のトーンが明確に下がる。
表情は曇ったまま、視線を合わせてきた。
「私は花咲君の家に居候してるの。この一年間ずっと」
「……そうなんだろうな」
つくしによれば、一年もの間、一緒に居たにもかかわらず、花咲はつくしに見向きもしなかったとのこと。
居間も部屋も整理されて、机や棚に埃もない。きちんと掃除されている証拠だ。
冷蔵庫もパックしなおされた豚こま肉や野菜が整然と並んでいる。
ものぐさな男子高校生が一人暮らしをしながら家事掃除を、これほど丁寧にこなせる訳もない。自分自身へ呆れながらも花咲は認めた。
「俺の代わりに家事してくれてたんだな」
「そうだね」
返事は軽い。つくしにとって、ここで家事をすることは普通で、今更話題にすることでもないのだろう。
でも、それは花咲が見えていなかった時の話だ。
知らぬが仏でも、知ってしまった以上は対処しなければいけない。
花咲はつくしの居候を許すつもりはなかった。
「帰る家が他にないっていうのはどういうことなんだ?」
「昨日も言った通り、私は『神隠し』だからさ。私のことが見えて会話できる人なんて、花咲君くらいしかいないの。それに、この身なりで過ごすことには制限もある。少なくとも、無関係の人の家に上がりこむことなんて許されない」
「どうして俺にだけつくしのことが見えてるんだ?」
「生まれ持った素質だって、シキ様は言ってた。そして、その素質を持った人間はめったに現れないから」
シキ様とは、神様のことなのだろう。
どうせなら、もう少し有用な素質が欲しかったところだ。記憶系の能力があれば、勉強なんてせずともテストで無双できたものを。
「神の遣いなんだろ。そのシキ様とやらのところで寝泊りさせてもらえばいいじゃないか」
「そんなことできる訳ないじゃん」
花咲の軽口を一蹴しながら、つくしはすたすたと部屋を突き進むと、ダイニングの隅に鞄をおろした。
帰宅後のルーティンのような動きは、まるで住人であることを花咲に黙示しているようだった。
「ちょっと待て。俺はお前の居候を認めてないぞ。神隠しにあっている奴が近くにいるだけでどんな災難が降ってくるかわかったもんじゃない」
「認めるも何も、花咲君だけで生活していけないでしょ」
開き直ったつくしが花咲へ詰め寄る。
家事を指摘されると花咲は弱い。
まず手料理はほとんどしないだろうし、掃除だって一か月はほったらかすだろう。
洗濯物は時間を置けば生乾き臭がすることがわかっていても、干すのが億劫になってきっと後回しにするのだ。というか、かつてそうだった。
思い出したくない記憶を掘り起こされ、むかっ腹の立った花咲が口を滑らせた。
「つくしがいなくても生活くらいできるっての。むしろ俺がいなくて困るのはつくしの方だろうが。頼む立場で何言ってんだ」
「それは……そうなんだけど。……そうだね、ごめん」
言いながら、つくしが丁寧に頭を下げた。
素直に謝られると毒気が抜かれるもので、花咲は追及する気も失せてしまう。
「俺も……怒鳴ってごめん」
これではイニシアチブがどちらにあるかわからない。
収集のつかない会話にどうしたものかと花咲が頭を掻いていると、顔を上げたつくしが沈黙を破ってくれた。
「まぁ、でもさ。私たちwinwinだと思うんだよね」
「それは……」
「花咲君は家事をしてもらえる。私は衣食住の伴った生活ができる。ほらね?」
言われなくても花咲はわかっていた。
衣食住の保障された生活。居候というより、もはや家政婦だ。悪い話ではない。むしろ、一人暮らしの学生にとって最高の条件だろう。
だが、胡散臭い交渉を持ちかけられているようで、花咲は気乗りしなかった。
一緒にプライベートの空間を共有するには、あまりにつくしを知らなさすぎる。
「すまんが、悪い誘いには乗らない主義なんだ」
「良い話のつもりで言ったんだけど!?」
「この世の良い儲け話なんて、十中八九詐欺だろ。儲け話でなくたって、そういう話にはだいたい裏があるもんだ」
「信用ないなぁ……」
ふてくされたようにつくしが口をすぼめる。耳としっぽも一緒に動くのが可愛らしい。
と思えば、何かを思いついたかのように目を見開いて、黄色のかった大きな瞳を見せつけてきた。
「そうだ。それなら料理でうならせてあげよう!花咲君が満足しなかったら、花咲君の言う通りにする」
唐突につくしがそんなことを言い出す。
「居候するなら、まずは胃袋をつかめっていうしね」
「言わないだろ。恋愛ドラマじゃあるまいし」
テキトーな格言を持ち出したつくしに花咲が正論でつっこみを入れた。そんな他愛無いやり取りを面白がるように、つくしが破顔する。
「で、どうなの?」
覗き込むようにして、つくしが聞いてくる。
手料理によっぽど自信があるらしい。なんというか、そういう自信は砕きたくなる。
「良いよ。面白そうだし、それで行こう」
美味しかろうと不味かろうと、決定権は花咲にある。随分と不利な勝負に賭けたものだと、花咲は鼻で笑った。
「花咲君ならそう言うと思ったよ。こういうときノリが良いから」
「何を知った風に」
「私は花咲君を知っているからね」
少し棘のある言い方だった。『あなたと違って』そう強調したいような言い回し。
「俺はつくしのことを知らないけどな」
「だから、知ってもらおうって思ってるんだよ。まずは料理の腕からかな」
なぜ、料理の腕前から知らなければならないのか。そう思う花咲だったが、話が進まないので口にはしなかった。
「ちなみに俺が満足したならどうなるんだ?」
「私の居候を認めてもらう」
「まあ、そうなるわな。良いよ、その条件で」
「決まりだね」
「言っておくが、女子に作ってもらったからといって、控え目なお世辞を言えるほど俺はできた奴じゃないぞ」
「望むところよ」
自信満々を絵にかいたような表情。少し楽しみだ。
「よいしょっと」
つくしが白衣の上からエプロンを羽織る。
少し大きめの衣装は料理には不向きそうだ。着替えれば良いのに、と思いながらキッチンに立つつくしを見ていると、花咲の視線から察したのかつくしが白衣の袖を掴んで見せつけてきた。
「便利なんだよ、この服。一切汚れは付かないし、外がどれだけ暑かったり寒かったりしても快適だから」
「へぇ、それは良いな。でも、それならエプロンする意味はないな」
「野暮なこと言うねぇ。この方がテンション上がるんだよ」
決め顔でそんなことを言う。
「けど、一生脱げないから着替えられないのは嫌かな。あと、このリボンとか」
「気に入ってはないんだな」
「ほどほどってところ」
そうはぐらかすと、冷蔵庫を開けてつくしは準備に取り掛かった。
鼻歌混じりで機嫌が良さそうだ。
ほどなくして、料理が出てきた。
時間にして二十分ほど。その時間で大方洗い物まで済ませるのだから、早いように思う。
出てきたのは、ご飯、みそ汁に青椒肉絲。
ご飯は今朝の残りをレンジで温めていた。
「冷めないうちにどうぞ?」
本人としても出来栄えは悪くなかったのか、料理ができた後もつくしの自信は揺るがないようだ。
「では、さっそく」
いただきますの一声とともに、まずはみそ汁から啜る。
じゃが芋とわかめの味噌汁。赤味噌のまろやかな旨味の中に、じゃがいものほのかな甘味が加わって味噌汁全体の美味しさを引き立てている。わかめ特有の風味や食感も良い。
「どう?」
「……まだ味噌汁を飲んだだけだから」
「負けを認めたらいいのに」
もはや勝ち確とでも言いたげなドヤ顔だ。敗北を認めてもいいのだが、きっと負けを口にすればつくしは誇らしげな顔のまま色々と吹っ掛けてきそうな気がする。まだつくしの人となりを知らないが、そんな予感がして花咲は何も言わないまま青椒肉絲に手を付けた。
「それ、花咲君のお母さんがあく抜きしてくれたものなんだよ」
箸で掴んだたけのこを指差して、つくしがそう言った。
「へぇ、そうなんだ。だから、青椒肉絲にしたのか?」
「それもあるね」
「それも?」
他にもあるような言い方だ。聞いて欲しいのかと思って、疑問形にして答えた。
「言わないけどね」
「なんだよ」
「で、どうなの?」
つくしの中では勝ちムード一色だ。なんだか少し悔しくて、つくしを無念な表情にさせたくなる。
けれども、それ以上に。
「……美味しかったよ」
細切りされたピーマンと豚肉の炒め具合。オイスターソースと酒によるシンプルな味付けは、濃くも薄くもなくバランスが取れている。正直、家庭料理でこれを出されれば、専門家でない限りは文句が出ないのではなかろうか。
満足そうな笑顔のまま、つくしは花咲の言葉の続きを待っていた。
座っているせいで尻尾をうまく振れないのか、尻尾の先だけが揺らめいている。
ため息で自身の気持ちを鎮めると、花咲は口にする。
「つくしの居候を認めるよ」
「謹んでお受けいたしましょう」
「どの立場なんだ」
「花咲君が私に居候してって頼んだんでしょ?」
「違うわ」
花咲の反応が面白いのか、会話の一つ一つにつくしがけらけらと笑う。谷と同じだ。違う点を上げるなら、谷にはない上品さがあることだろうか。
それを人は綺麗という。……………………。
「つくしは食べないのか?二食作ったんだろ?」
つくしと目を合わせるのが恥ずかしくなって、花咲は食事に視線を戻して言った。
「それは私と一緒に食べたいってことかな?」
「……そういうこと」
「あ、今めんどくさいとか思ったでしょ」
「……思ってない」
「もう素直なんだか、素直じゃないんだか」
自分の分のご飯や味噌汁をよそいながら、つくしがぶつぶつ言っている。
つくしが席に戻ってきたときには、もうすでに花咲は食べ終わってしまっていた。
空になった茶碗を見る。作ってもらっておいて、洗い物を後回しにするのは良くないと思って席を立った花咲を、つくしが目で制する。黄色の瞳は綺麗だが、若干怖い。
「どうした?」
「私食べ始めたばかりなんだよ」
もう少し付き合ってくれてもいいのに。そんなニュアンスの一言。
「あ、おかわりもあるよ?」
つくしが言う。食べろということだろう。
「じゃあ、もらおうかな」
つくしの盛られたご飯は小盛程度だった。もう少し食べたいという本音もある。
「よほど美味しかったと見える」
「育ち盛りは腹減るんだよ」
「減らず口を」
「敵キャラかよ」
アニメの見過ぎだと言おうとして、一つの疑問が花咲の脳内を過った。
つくしは花咲に認識されるまで一年かかった訳だ。その一年もの間、つくしはどう生活していたのだろうか。
それを考えてしまったが最後、花咲の脳内に疑問が降って湧いてくる。
なぜ付き人のようにずっと花咲をストーキングしていた?
つくしの趣味は?孤独をどう紛らわせていたんだ?
そもそも『神の遣い』ってどういうものだ?
認識できるのが花咲だけだとしても、それは見えるようになってからの話であって、この一年間は花咲だって他の人たちと変わらなかったはずだ。それでもずっと一緒にいたのはどうしてだ?
さらに言えば、居候を始めた一年前よりももっと前は何をしていたのかも気になる。
もつれていた疑問がほどけたように、花咲の脳になだれ込んで蓄積されていく。
「つくし、あのさ……」
「ん?」
捌き切れなくなってつい口を開いてしまった。
ただ、今聞くべきことではないような気もして花咲は言い淀んだ。
深く関われば、その分だけ巻き込まれるリスクだってある。
要らない面倒ごとは避けるに越したことはない。そう花咲は考え直して、
「なんでもない」
と取り繕っておいた。
つくしは特に気にする様子もなかった。
残りの青椒肉絲や味噌汁をよそって席に戻る。
つくしの食べるスピードはゆっくりだった。
猫舌なのだろう。味噌汁を吐息で冷ましながら啜っている。狐なのに猫舌なのか、狐だから猫舌なのか。
食べ終わると、二人で片付けをしたりシャワーを浴びたりと何てことのない時間を過ごし、割と早めに寝床へ就いた。
普段、つくしは来客用の布団で寝ているようだった。来客用と言いつつ、実家で余った布団を体よく母が放置しているだけなのだが。
「改めてだけど」
電気を消そうとしたとき、つくしが唐突にそう切り出した。
「よろしくお願いします」
突然の言葉、そしてこれから寝ようとしていたタイミングでの言葉に、花咲は思考が揺らいですぐに答えられなかった。
「どうしたんだよ、急に」
「必要だと思って言っただけ」
「そっか。こちらこそ、その……よろしく」
少し照れているのがバレたくなくて、花咲は急いで電気を消した。
「おやすみ」
そうは言ったものの、花咲は今日も寝れる気がしなかった。




