9、
呆然と立ち尽くしたままの矢倉さんに背を向けて私は足早にその場から立ち去ろうとした。
その一歩を踏み出して、目の前に立っていた人にぶつかりそうになり顔を上げ絶句した。
(昔宮くん・・・・なんでここに?)
「今の人────“元彼”、ですか?」
「先方との打ち合わせは?」
昔宮くんの横をすり抜けて、誤魔化すように質問で返す私に昔宮くんは歩調を合わせてくる。
「延期になりました。それより、良いんですか?良かったんですか?本当はあの人のこと────」
「やめて」
厳しい口調になってしまい、一旦口をつぐんだ。
(知られたくなかった、────昔宮くんには。)
「今の話、全部聞いてたんでしょう?私が不倫していたことも。」
「───久遠先輩、」
「知らなかったとはいえ踏み込んで家庭を壊したのは私。もう二度と、恋なんかしない。もう誰も愛さないって、決めたの。」
(それが、私の───精一杯の誠意だ)
「これから会議だよ。昔宮くん、遅刻しないように」
黙ったままふいに立ち止まる昔宮くんにできるだけ明るくそう声をかけて、私は先にオフィスへと足を踏み入れた。
(はぁー・・・・泣きたい。)
「久遠先輩が、好きです」
そんな声が後ろから聞こえて、私は振り返る。
「・・・・ありがとう。昔宮くんみたいな子にそう言ってもらえて光栄よ」
昔宮くんなりに励ましてくれたのか、慰めのつもりなのかと────思って。
私はそう笑って返したんだけど。
「──香子さんが、好きです」
真面目な表現でそう言い直した昔宮くんに、心臓が大きく一回跳ねた。
(・・・・え?)




