玉依(38)
初美は午後の街を流していた。
結局、尊子まで行ってしまった。裏切り者め、初美は思う。母の尊子だけではなかった。好きにしろ、と皆は初美に言うが、いざ初美が何かしようとすると、よってたかって止めたあげくに、誰かが初美のしたいことをしてしまう。
大人はズルい、ということで片づけられれば簡単だ。初美が大人になれば問題が解決してしまうからだ。
初美の場合はそれほど話が簡単ではない。
たとえ初美が大人になろうが、結婚しようが、あるいは死んでしまったとしても、皆が口を挟んでくることは確実だ。
家出という手段が取れない上に、自殺してみたところで、たぶん、生き返される。そして、もう一度、よく考えてみようよ、などと言われるのがオチだ。
自由なんていうのは幻想なのよ、などとうそぶいてみても心は晴れない。
ケーキでもやけ食いしてやろうと外に出てみれば、お気に入りの店は臨時休業である。ケーキまでアタシをバカにしている。気分は最低だ。
ふと、久遠寺の顔が浮かんだが、あまり頻繁に顔を出すと、懐いてると思われそうでイヤだ。
友だちほしいなあ、声にならなかった言葉が、白い息になって冬空に上っていく。
「カミサマ、ヤスイヨ。カミサマ、イカガ。オマケスルヨ。ヤクニタツ、カミサマ。イッパイ、カッテ、カッテネ」
聞き覚えのある声にひかれて、人混みを分け入って輪の中に入る。
シモーネ・マッツァリーノがジャグリングをしていた。
起毛の白いボールに目鼻とワッカのついたヒヨコみたいなものを、空中に放り投げている。最初は三個、四個、五個とひとつずつ増やしていき、六個になったところで、両手に三個ずつにわける。
白いヒヨコはマッツァリーノの前の段ボール箱に堆く積まれていて、カミサマ300エン、と値札がついていた。
「何やってんの? シモン」
「オー、ショミさんデス。コンニチワ。カミサマ300エンデス。カイマショウ」
ととと、と空中を飛んでいたカミサマがマッツァリーノの手にもどる。
「買わないよ。こんなの」
「ヤクニタツヨ」
「何の役にたつのよ」
「グチトカ、ワルグチトカ、ダレニモイエナイハナシ、キイテクレル。サミシイトキ、イッショニネテクレル。ナゲテモ、タタイテモ、オコラナイ。トッテモ、ベンリデス」
「願い事も叶えてくれる?」
「ネガイは、ジブンデ、カナエルモノ」
「ちぇ」
「カミサマ、カッテクダサイ」
「神父さんが神様なんか売っていいの?」
「ノー、シモン、シンプサン、ナイ。オボウサンデス。シュンコさんト、オナジダヨ」
「何それ?」
「シュンコさんイッテタ」
あのオバサンの言うことは聞かない方がいいと思うけどなあ、初美は忠告しようとして、口を開きかけたが、ふとまわりをみると、さっきまでの人だかりが消えていた。
初美が話しかけて、マッツァリーノがパフォーマンスをやめてしまったので、見物人がいなくなってしまったようだ。
「ごめんね、シモン」
初美は謝った。
「お客さんいなくなっちゃたね」
「オキャクサンチガウ」
シモンはそう言って、白いヒヨコもどきの頭をなでる。
「アノヒトタチ、ヤジウマ。カミサマ、ウレマセンデシタ。カナシイデスカ? イイエ、カミサマ、カナシクアリマセン。ミンナ、シアワセ、カミサマモ、シアワセ」
ヒヨコをなでるシモンに、初美はなんとなく和んだ。
「シモン、っておもしろいね」
「ソウ、シモン、オモシロイヨ。カミサマ、ホシイ? 300エンデス」
初美は吹き出した。ひとしきり笑うと、財布から百円玉を三枚出して、マッツァリーノに渡す。
「はい、シモン、いちばん幸せな神様をちょうだい」
「アリガトウゴザイマス。チョット、マッテテネ」
マッツァリーノはダンボール箱を底までさらって、カミサマを一個ずつ見比べた後、丸くてかわいらしいのを初美に渡した。
「じゃあ、シモン、またね」
カミサマを受け取って回れ右をした初美にマッツァリーノが声をかける。
「シモン、オシゴトオワリマシタ。カミサマウレタ。オシゴトオワリデ、ヒマダカラ、オクリオオカミスルヨ。イッショ、イキマス」
え~、送り狼はいいよ、初美は言ったが、マッツァリーノはダンボール箱を抱えてニコニコしながらついてくる。
「シモンハ〜、オシゴト、シュウリョウ、ショミさんヲ~、オクリオオカミシマ~ス」
ヘンなメロディをつけて歌いながら、ダンボール箱を抱えてついてくる。
送り狼の意味、わかってんのかな、初美は思った。産まれはともかく育ちはイタリア人だしな、などと考える初美は、おそらくイタリア人のことを誤解している。