2. 創作とは? ー苦手だったことと、大きな収穫ー
〝創作〟というものの構造は、ジャンルが何であれ、似ているところがあるんじゃないかな?
これまでに何度かSNSに書いてきたことだけれど、心の中に、そんな大きな気持ちがある。
例えばJ-POPと呼ばれた音楽の多くが、Aメロ、Bメロと来て、Cメロというサビでその曲が盛り上がる、という風に。
クラシック音楽でも、ラヴェルの〝ボレロ〟は同じ旋律を楽器を加えながら繰り返して、静かな始まりから徐々にボルテージを上げ、山場で転調して劇的に最後の小節につなげていく。
私はバレエが好きなので〝白鳥の湖〟をよく観るのだけれど、序章があり、第一幕があり、第二幕があってクライマックスに近づいていく。
その流れは物語の〝起承転結〟そのものだという気持ちで観たり聴いたりしている。(まあ、白鳥の湖は物語自体がそもそも小説的だということはあるのですが、それでも。)
十代前半で氷室冴子さんに傾倒して以来、コバルト文庫が好きだった私は、学生時代から三十代前半にかけ、コバルトノベル大賞やコバルト短編小説新人賞に何度か応募していた。
その原稿はもう残っていないけれど、当時、今以上に〝物語を終わらせること〟が苦手だった私、応募総数は十回程度だったのではないかと思う。そして結果も、何度か〝もう一歩で賞〟みたいな欄に名前が載ったくらいだった。
そして当時、物語を終わらせられないことが、自分にとっていちばん大きな課題だと思っていた。
その後、様々な人生的なイベントが重なったり、ジャンルがかなり違うサイトで感想をもらった結果、しばらく書けなくなるようなことなどもあり、十五年ほど筆を折っていた期間があった。
でも、その間も実は、私の中で別の〝創作〟は進んでいた。
OLだった最初の頃、マルチタスクが不得手な私は、営業事務という職に今ひとつ向いておらず、がんばりながらも厳しい日々を過ごしていた。その後、それこそ色んな出来事が組み合わさり異動した先で、流行していたパワーポイントを使って企画書を作ることが多くなった。
そこで私は、はたと気付いた。
企画書を作るときに意識しなさいとよく言われていたPDCAサイクル、PLAN(計画)・DO(実行)・CHECK(評価)・ACTION(改善)という流れは私にとって、まさに小説の起承転結に通じる! と思えるところがあったのだ。
そしてそれは、企画書作りが好きかも、と思えた点で、会社生活が少し楽しくなった瞬間でもあった。
その後、結婚退職した私は、家族の転勤で金沢に住むことになり、生まれ育った九州を初めて出ることになった。
九州の平野部は、時々雪も降るけれど、日本の中では南の地だ。
そして金沢で暮らし始めた最初の冬は、最低気温がマイナス四度、最高気温が0度という日が続いた年だった。
南国育ちの自分にとっては、一種のカルチャーショックである。
家族が通勤のとき寒すぎると言うので、当時毎朝眺めていたサイトでマフラーのキットが発売されていると知り、それを買って編んでみた。
その後、徐々に編みものにはまった私は、二〇一〇年代前半に編みもの界で大変流行していたRavelryというアメリカのサイトに登録し、トップダウンという編み方に魅了されていくことになる。
次第に自分でも作ってみたい欲が出て、編みものインディペンデントデザイナーという、個人で英語の編み図を販売するようになるのは、それから数年後の話。
それをやっていくうちに、私は次第に思うようになっていた。
この編みものにおけるトップダウンという海外で主流の編み方は、最初にネック(首)を編んでヨーク(胸元)をぐるぐると輪にした状態で編んで行き、袖分けをした後裾まで編んで、最後に袖を編む。
これは私にとって小説の起承転結とほとんど同じではないか、と。
そして編みもの界のたくさんの皆さまのお力添えで、最初はストールやショールなどの小物から始めた私は、徐々にセーターの編み図を作れるようになり、気付けば作った編み図の総数は五十パターン近くになっていた。
とは言え、何事もなかなか順風満帆とは行かないもので、海外の雑誌のパターン募集に落選が続いていた昨年夏、再び私ははたと気付いた。
親も家族も、自分も年をとってきた。
私はもう十五年くらい、小説は書けなくなったと思っていたけれど、高校の頃から心の奥にずっといる、薫と玲を、夏野や滝を世の中に出してあげなければ、私は死んでも死にきれないんじゃない?
そう思って、小説を書くことを再開して驚いた。
各エピソードを終わらせることが、以前ほど苦ではなくなっていたのだ。
企画書作りや、編みもののパターン作りを起承転結と考えながらやってきたことで、知らず知らずのうちに、物語を終わらせる技術も上がっていたようだった。
そして、〝身代わり姫と複雑王子〟の第一部を、八一話書いた後で思った。
各エピソードの終わりは、フックを作っている時もあるけれど、ひとつひとつの短編の終わりと考えていいんだ……。
私が編みものを始めた初期によく編んでいて、敬愛しているデザイナーの三國万里子さんが、その著書の中で〝編みものは自由だ〟と言われていた。
そう。編みものは自由。
そして、小説をどこで終わらせるかも、好みはあれど、それは作家の自由であると言えた。
もちろん、読んでくれる方達のことをずっと考えているし、自分の基本的なテーマは、読んだ方が最後に、ほんの少しでもよかったとか、時間を忘れたとか思ってもらえること。
そして、物語は都度終わらなければそれも読み手のストレスになると、ずっと読み手だった自分もわかっている。でも、それはそれとして。
会話で終わらせてもいいんだ。微笑んで終わったっていい。
フランス映画みたいに、絶望的な場面で終わっても、別にいいんだ。
完全なオチじゃなくてもいい。読み手のニーズも視野に入れつつ、落としどころを探せばいいのか。
そして、終わらせれば終わらせるほど、ある種の達成感がある。
どうやら若い頃の私にとって、ひとつの物語が終わることは、そこに出てくる登場人物たちとの別れに通じて、それが苦手だったみたいだった。
ひとつの話をどういう風に終えても、次の話を書いたっていい。
その人たちに会いたければ、また書けばいい。
戻りたければまた、戻ってこれる。
そう気づけたことは、小説を書くことを再開した私の、とても大きな収穫だった。
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