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【第一章完結】その魔法、合法ですか? ―召喚事故から始まる未整備魔法立法補助録―  作者: 榎本モネ
第1条 召喚事故における責任の所在

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第1項 召喚魔法事故発生


 魔法は、合法である。

 少なくとも、この国では、そう定められている。


 百年前、突如として人類の前に現れた魔法という現象は、奇跡の時代を経て、今では完全に「制度の中」に組み込まれていた。

 火を生み、水を操り、土を動かし、木を育て、光を放ち、闇を覆う。六属性魔法と総称されるそれらは、すでに学問として体系化され、資格制度も、使用制限も、事故が起きた際の処理方法も、法令として整備されている。


 魔法は、自由ではない。だが、管理されている。

 ——少なくとも、六属性魔法は。



 事故が起きたのは、国立魔法大学・第三研究棟だった。

 研究棟の中でも、特に奥まった位置にあるその部屋は、普段は教授クラスしか使用を許されない高位研究室である。

 床一面に描かれた魔法陣は、複数の円と補助式が重なり合い、専門外の者が見れば、どこからどこまでが一つの式なのかすら判別できない。


「……起動、確認できた?」


 緊張を含んだ声が、静かな研究室に落ちる。

 そこにいたのは、三人の学生だった。本来ならば、指導教員の立ち会いが必須な魔法陣だが、その姿はない。


「魔力循環は安定してる。理論値も問題ない」

「物品召喚だからな。生体じゃないし」


 そう言いながらも、誰一人として余裕はなかった。


 物品召喚魔法。

 指定した対象物を、指定した空間へと転移させる魔法であり、六属性のいずれにも明確には属さない。

 研究魔法、あるいは学術魔法として扱われ、基礎理論は確立しているものの、応用範囲が広すぎるため、細かな法整備は後回しにされてきた分野でもある。

 ——危険性が低い。そう言われてきた。


「……やっぱり、今日じゃなくてもよくない?」

「今さら何言ってるんだよ。起動式、もう回しちゃってる」


 最後の一人が、床に描かれた魔法陣の一角を見つめる。

 そこには、本来の設計には存在しないはずの補助式が、追加されていた。


「……この式、本当に大丈夫なのか?」

「理論上は、ね」


 その言葉が、研究室に残された最後の理性だった。

 次の瞬間、魔法陣が淡く光を放つ。

 低い振動音が床から伝わり、空気がわずかに歪む。召喚魔法特有の兆候だ。


「……来るぞ」


 学生の一人が、息を呑んだ。



 光が、弾けた。


 爆発ではない。だが、明確な衝撃が研究室を揺らす。

 魔法陣の中央、空間が裂けるように歪み、その向こうから“何か”が押し出される。

 最初に転がり出たのは、人影だった。


「……え?」


 誰かが、間の抜けた声を出す。


 床に倒れ込んだのは、成人男性だった。年齢は二十代後半から三十代前半。体格は平均的で、怪我らしい怪我は見当たらない。

 だが、服装が——明らかにおかしい。


「……なに、その格好」

「研究員でも、学生でもない……?」


 黒っぽい上下に、白い襟元。この国では見かけない形式の衣服——後に「スーツ」と呼ばれるそれを、彼は身に着けていた。

 人間であることは、間違いない。耳も、目も、手足も、完全に人間のそれだ。


「……成功、なのか?」

「いや、物品召喚だろ……?」


 混乱が広がる中、遅れてもう一つの存在が姿を現した。男性の肩口から、もぞりと、小さな白い塊が動く。


「……モモンガ?」

「白すぎないか?」


 それは、やけにふっくらとした、小動物だった。形状はモモンガに近いが、毛並みは白に近く、全体的に丸っこい。魔獣特有の威圧感はなく、どちらかといえば、愛玩動物に近い印象を与える。

 ただ一つだけ、違和感があった。——魔力反応が、ある。


「……生き物、出てきてないか?」

「物品召喚なのに……?」


 学生たちは、誰一人として声を荒げることができなかった。

 これは成功でも、失敗でもない。想定外だった。



 藤宮めぐるが意識を取り戻したのは、床の冷たさを感じたときだった。


「……っ」


 頭が、ぼんやりする。

 身体を起こそうとして、肩に妙な重みを感じた。


「……?」


 視線を向けると、そこにいた。白っぽくて、やけにふっくらした小動物が、彼の肩にしがみついている。


「……え」


 一瞬、思考が止まる。


「……モモンガ?」


 小動物は、きょとんとした顔でこちらを見つめ、「ヂヂッ」と、短く鳴いた。

 ——その鳴き声が、妙に自然で、めぐるは一瞬、現実感を失った。


「……いや、待て」


 周囲を見回す。知らない部屋。知らない天井。知らない人間たち。


「……ここ、どこですか?」


 日本語でそう問いかけた瞬間、場の空気が凍りついた…ような気がする。



 事情聴取は、研究室で行われた。

 大学側は即座に第三研究棟を封鎖し、管理部門の職員が呼び集められる。学生たちは別室へ。問題の魔法陣は記録魔法によって保存された。

 めぐるは、簡易的な椅子に座らされ、数名の大学職員と向き合っていた。


「……お名前を」

「藤宮めぐるです」

「年齢は」

「28です」


 職員たちは、無言で視線を交わす。


「……所属は?」

「え、えっと……法律事務所、です。事務員として働いています……」

「……魔法大学関係者ではない、と」

「ないです」


 通訳魔法が起動しているため、会話自体は成立している。だが、内容が噛み合わない。めぐるは、ここに至るまでの間で使われた魔法で、自分が異世界に来てしまったのだとわかってしまったが、相手はそうじゃない。

 相手に理解してもらうために、できる限り丁寧に、誤解を招くような発言をしないように、慎重に慎重を重ねて返答を続けていた。


「……召喚に心当たりは?」

「ないです。コピー取ってたら、いきなり……」

「コピー?」

「紙を複製する機械です」


 沈黙。職員の一人が、記録係に目配せする。


「……出身地は」

「日本です」

「……国名としては、該当がありません」


 めぐるは、背筋に冷たいものが走った。異世界に来てしまったらしい、とわかってはいたが、改めて明言されると、突然足場が崩れたような衝撃がはしったのだ。


「……」

「地図上に存在しない国名です。魔法文明以前の古称でもない」


 そこで、別の職員が静かに告げた。


「……あなたは、この世界の住民ではない可能性があります」


 ——異世界人。

 その結論に至るまで、まだもう一段階の確認が必要だったが、少なくとも、「ただの不法侵入者」ではなくなったことだけは、全員が理解していた。

 そんな人間側の事情など知らぬ存ぜぬの白いモモンガは机の上で丸くなっている。めぐるは、その可愛らしく呑気な小動物を見て、「あれ?」と思った。ネットで出回っていた写真で見たことがある気がする。なんで、ここにエゾモモンガがいるんだろう。



 藤宮めぐるが「異世界人」である可能性が浮上してから、大学側の対応は目に見えて変わった。

 それまでは、あくまで「想定外の侵入者」「召喚事故の副産物」という扱いだったものが、一転して「前例のない事案」「軽率な処理が許されない存在」へと変わったのだ。

 とはいえ、劇的な展開が起きたわけではない。

 魔法文明が百年続いたこの世界では、未知の事象に対しても、まずは書類を整える。保護するか、拘束するか、隔離するか。その判断を下すための会議が、淡々と、そして迅速に進められていく。


「結論から言いますと」


 大学管理部門の責任者である中年の職員が、書類から顔を上げた。


「あなたは現在、保護対象には該当しません」

「……え?」


 めぐるは、思わず聞き返した。


「魔法事故の被害者が未成年であれば、一時保護措置が取られます。しかしあなたは成人です」

「いや、それはまあ……28なので」


 年齢を申告したときの職員たちの微妙な反応を、めぐるは思い出す。


「また、暴力性や魔法行使の兆候も見られません。よって、拘束理由もありません」

「……じゃあ、どうなるんですか?」


 その問いに、責任者は一瞬だけ言葉を選んだ。


「制度上は——自活していただく形になります」


 静かな声だったが、その意味は重い。日本だったら、少なくとも、こんな静かな声で「自活です」とは言われないだろう。しかも、それは「事故に遭った人間」に向けて告げられる言葉だった。謝罪も、補償の説明もない。ただ、制度の話だけが淡々と進んでいく。

 自分が被害者であるはずだ、という感覚と、その扱いの軽さが、どうにも噛み合わなかった。


「……この世界で?」

「はい」


 めぐるは、思考が追いつかないまま、机の上に置かれた資料を見た。そこには、「召喚事故処理暫定指針」と題された文書がある。

 指針、とあるが、そのどこにも「被害者」という言葉は見当たらなかった。あるのは、大学側の対応、支援の範囲、期間。そこに書かれているのは、「起きてしまった事故を、どう処理するか」だけだった。


「生活基盤については、大学側が最低限の支援を行います。基本的な生活用品の提供、それに伴う3ヶ月分の生活費を支給します。ただし、それ以降の無条件給付はありません」


 めぐるは、嫌な予感を覚えた。


「……つまり」

「3ヶ月の間に職を見つけて、働いていただかなくてはなりません。もちろん、異世界から来たという事情から、通常の召喚事故被害と比べても、生活に馴染むのに時間ががかると思います。そのため、半年まで期限を延ばします」


 異世界に来ても、労働からは逃れられないらしい。めぐるはから笑いをするしかなかった。



 召喚魔法事故は、近年増加傾向にあった。理由は単純だ。魔法研究が進み、学生レベルでも高度な術式に触れられるようになったからである。

 しかし、法律・制度の整備は追いついていない。


 六属性魔法については、使用資格、禁止行為、事故処理が細かく定められている。だが、召喚魔法や複合魔法、派生魔法については、いまだ「研究魔法」という曖昧な枠に押し込められ、事故が起きるたびに個別対応がなされてきた。


「正直に言って……今回の件は、処理のしようがありません」


 別の職員が、疲れた声で言った。


「人間が出てきた」

「成人で」

「しかも、文化・言語体系が一致しない」


 めぐるは、自分が「守られる側」ではないことをひしひしと理解し始めていた。事故に巻き込まれたはずなのに、その前提が、いつの間にかどこかへ消えている。まるで、自分が「起きてしまった不都合そのもの」であるかのようだった。


「……異世界人の場合、法的地位はどうなるんですか?」


 その問いに、職員たちは一瞬、黙り込んだ。


「……現行法では、規定がありません」

「前例も、ほぼない」


 つまり。


「……一つ、確認させてください」


 全員の視線が、彼に向く。


「私は、自分の意思でここに来たわけではありません。少なくとも、“事故に巻き込まれた側”ですよね」


 ——被害者、と言い換えてもいいはずだ。

 誰も否定しなかった。


「では——」


 めぐるは、はっきりと言った。


「この召喚事故は、学生の不始末として処理される想定だったんですか。それとも、大学の管理責任ですか。あるいは——」


 空気が、張りつめる。


「最初から、誰も責任を取らない前提だったんですか?」


 その問いに、即答できる者はいなかった。



「——いい質問だ」


 低い声が、会議室の入口から聞こえた。


 ノックもなく扉が開き、背の高い男が入ってくる。無造作に結ばれた銀髪。長い外套。眠たげな目。


「レオン・ヴァーチェだ。魔法理論学者でね」


 そう名乗ると、彼は勝手に椅子を引いた。


「……本来なら、法律の話をする席に呼ばれる人間じゃない。今回の召喚陣の設計、ざっと見せてもらった」

「許可は——」

「事後承諾で十分だろう。どうせ、もう“起きてしまった”」


 職員たちの表情が、一斉に硬くなる。


「……起きてしまった、とは?」

「そのままの意味だ。これは“失敗”じゃない。少なくとも、魔法理論の上ではな」


 レオンは、机に置かれた魔法陣の記録を指先で叩いた。


「成功してはいけない設計で、成功しただけだ。——正確には、“成功しても、誰も責任を取らなくていい設計”だ。そして、その結果が——そこにいる」


 めぐるは、その言葉に引っかかりを覚えた。


「……成功?」

「物品召喚としてはな」


 レオンは、めぐるを見る。


「君が来たのは偶然じゃない。理論的必然だ」

「……じゃあ」


 めぐるは、はっきりと問い返した。


「この件は、誰の責任になるんですか」


 レオンは、一瞬だけ黙った。そして、口元をわずかに歪める。


「だから“問題”なんだ」



「魔法理論としては、破綻はしていない。だが、事故が起きたときの処理が、想定されていない。つまり、これは制度の欠陥だ。“事故が起きた場合、誰がどう責任を負うか”が、最初から定義されていない」


 レオンは淡々と語る。

 めぐるは、とんでもないことに巻き込まれた、と冷や汗が流れるのを感じた。制度として責任の所在が明確にされていない、ということは、自分は誰に対しても損害を請求できないかもしれない。


「だから俺は、今回のように法律で定められていない魔法のための“それっぽい”法律草案の作成を押し付けられている」


 レオンは、心底うんざりしたように言った。


「俺は魔法論理学者だ。つまり、魔法の理論についての研究が担当。

 魔法に精通しているという理由で法律立案に向けた草案を作れなどと言われたが、正直、迷惑極まりない」


 はあ、とため息をつきながら彼はぼそりと一言。


「法律なんて、結局は文章だろうに……」


 その言い方に、めぐるは引っかかりを覚えた。

 ――違う。正確には、「それだけじゃない」。

 法律の条文は文章だ。だが、その文章は、誰かに責任を負わせ、誰かを守るために書かれる。事故が起きたとき、誰が当事者で、誰が補償し、誰が裁かれるのか。そこまで決めて、初めて“法律”になる。

 目の前の男は、魔法を理論としては完璧に理解しているのだろう。だが、その理論が現実に落ちたとき、誰が困り、誰が守られず、誰が責任を押し付けられるか――そこまでを、まだ見ていない。


 めぐるは、そこでようやく理解した。この人は、法律を知らない。少なくとも、「現場で人を守るもの」としての法律を、知らない。そんな人が、法律を作ろうとしている。


「だが、君は違う」

「……は?」


一拍置いて、続けた。


「法律事務所という名前からして、君は“法律が現場でどう使われるか”を見てきた人間だろう?」


 めぐるは、反射的に頷いていた。


「魔法理論を文章にするのは私の仕事だ。だが、それが“人間社会に適用できるか”を見るのは、君の役目だ」


 めぐるは、言葉に詰まった。


「……つまり?」

「書類を読める助手が欲しいと思ってたんだ……正確には、“これを制度として成立させられる人間”がな」


 あまりにも雑な理由だった。けれど、雑に聞こえるが、その言葉は、妙に核心を突いていた。



 配置は、半ば強引に決まった。

 藤宮めぐるは、生活保障と引き換えに、レオン・ヴァーチェのもとで、まだ法律で制限されていない魔法事故に関する資料整理と法律草案作成補助を行うことになる。


 名目上は「助手」。

 実態は「使える人材の有効活用」だ。


 異世界人である以上、めぐるには法的な身分証も、職業資格もない。大学の庇護を離れた瞬間、「どこの誰か分からない成人男性」になってしまう。

 少なくとも、ここにいれば、「巻き込まれた異世界人」ことだけは保証される。


 事情聴取が終わり、「時間がもったいない。ついてこい」というレオンの後に続こうとしたところで、モモンガがヒスヒスとめぐるの方へ歩み寄ってきた。


「……君も来るのか?」

「ヂッ」


 モモンガはすばやく駆け寄り、めぐるの肩に跳び乗った。レオンは、それを一瞥し、興味なさそうに言う。


「その生き物も、重要な証拠だ」

「……証拠?」

「魔法は嘘をつかない。だが、人間は都合よく忘れる」


 めぐるは、「ついてくるなら持て」とドサっと渡された資料の山を見た。そこには、まだ名前のない法律の、無数の欠片が眠っているのだろう。


 責任の所在が決まっていない事故。被害者でありながら、保護されない当事者。そして、「想定していなかった」で片づけられそうになる制度。見過ごせるほど、他人事ではなかった。


 ——魔法は合法だ。では、この魔法は?

 誰が責任を負い、誰が救われるのか。それが決まらない限り、自分の立場も決まらない。


 その問いに答えるために、めぐるはここにいる。自分でも、まだよく分からないまま。

 まるで、「始まった」と告げるように、モモンガが小さく鳴いた。



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