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第1話 今更前世の記憶を思い出してももう遅い

「俺はただ、自分が楽しく暮らせたらそれで良かったのに……」


 俺は王国の北部を守護するウィンターソン公爵家の一人息子として生まれた。


 幼い頃から、後継者としてもてはやされ、周囲の人間は誰もが俺を敬った。


 俺は昔からなんでもできた。

 毎日好きなときに寝て起きて、好きなだけ食べられる。

 欲しいものがあれば、何でも買える。

 気に入った女がいれば、いつでも抱ける。

 婚約者、使用人、他家の貴族令嬢、平民などなど。

 俺が命令するか、力ずくで押し倒すか、弱みを握ってやれば、誰でも俺を受け入れた。


 逆に、気に入らない奴がいたら言葉一つで排除できる。


「あなたのやり方は間違っている」

「無駄遣いは良くない」

「もっと剣と魔法の訓練をすべきだ」


 うるさいことを言う生意気な家臣は、全員クビにした。


 そうして権威を示したら、誰もが俺に平伏した。


 十五歳の時、両親の公爵夫妻が事故死した。

 その時に、俺が思ったことは。

 

 ——失いたくない。


 この自由で楽しい暮らしを。

 だから、若くして公爵の地位を継いだ俺は、その座を守ることに注力した。


 まだ公爵家に残っていた、先代の信用は厚かったが俺に対しては口うるさい連中を粛正。

 代わりに、昔から俺に生意気を言わずに敬ってくれた者たちに公爵家の仕事を任せた。


 公爵家お抱えの騎士団は金がかかる。

 何より俺に仕える者たちの仕事を邪魔したので、規模を大幅に縮小した。


 領民から忠誠の証として先代の時と比べて三倍の税を徴収した。

 はじめは苦労したが、積極的に回収を手伝ってくれる者がいた。傭兵や腕っ節に自信がある荒事に長けた連中だ。


 俺に忠実な家臣が奨める商人との付き合いを絶やさぬように。

 何より、公爵家の品位を落とさぬように、大量の宝飾品を買い漁った。


 婚前に孕んだ挙げ句、流産して十六で子供を産めなくなった女との婚約は破棄して、代わりに別の美しい貴族令嬢と婚約した。


 そうして俺は十八歳になり、公爵としての役割を順調に全うしていた、ある日。

 北の山脈の向こう側にある魔界から魔王の軍勢が公爵領に侵攻した。

 

 俺は自由で楽しい暮らしを守るために、即座に降伏した。

 家臣たちも、そうした方がいいと言ってくれた。

 国境線の要塞は開け渡して、領内の通行を全面的に許可した。

 食料を要求されたので、領民からさらに徴収した。

 出兵を要求されたので、領民に適当な武器を持たせて戦場に送り出した。

 不満を言う奴もいたが、魔王の軍勢が俺の代わりに始末してくれたので都合が良かった。


 公爵家の屋敷に引きこもって、言うとおりにしていれば俺は今までのように暮らせる。

 そう、思っていた。


「本当に……アンタは自分のことしか考えていないのね」


 公爵家の屋敷。

 自室のベッドに隠れていた俺に、一人の女が剣を向けている。


「う、うるさい……!」  


 様子がおかしくなったのは、この女……勇者が現れてからだ。

 魔王の軍勢はあっという間に蹴散らされ、公爵家は王国から人類の敵として扱われた。

 気づけばその頃には、俺の周りで仕事をしていた者たちは、公爵家の財産と一緒にどこかに消えていた。


「誰かいないのか! 侵入者だぞ! 公爵家の主である、このディオ・ウィンターソン様の前に賊を通すとは何事だ!」

「惨めなものね」

「なんだと!?」

「今更アンタに忠義立てする人間なんて、誰もいないわ」


 女勇者は俺を嘲り笑って、続けた。


「アンタを愛してくれる人なんて、誰もいない」

「あ」


 言われてみれば今の俺の周りには、確かに誰もいない。

 

 孤独。

 その絶望的な感覚が、少しずつ俺の中に湧き上がってくる。

 この状況において、俺は。 


「な、なんだその態度は! おい、本当に誰もいないのか! 俺は公爵だぞ!」


 虚勢を張るしかなかった。


「だからその誰かは、アンタが全員追い出すか粛正したでしょう?」

「クソ、役に立たない奴らめ……!」

「アンタは、そうやって私の姉さんも捨てたのね」

「お前の姉……!? 知るかそんな奴!」


 俺は吐き捨てた。


「私の姉さんは、アンタのせいで死んだ……アンタの元婚約者よ」

「元婚約者って……ああ」


 確か、あいつには双子の妹がいたんだったな。

 今更、あいつの話が出てくるとは思わなかった。

 改めて見れば女勇者の顔は元婚約者にそっくりだ。


「アンタが姉さんを大切にしていれば、とまでは言わないわ。ほんの少しでも婚約者としてふさわしい扱いをしていれば、姉さんは……!」

「そう言えばあいつ……どうなったんだ?」

「死んだわ。アンタのせいで」


 俺のせい。

 そうやって責められることに対して、無性に苛立った。


「もう婚約者じゃないんだ、俺とは関係のない話だろ!」

「アンタは、人を愛するということを知らないのね」


 向けられたのは、これまでの人生で何度か感じたことのある視線。

 俺がクビにした使用人や、粛正した家臣が、同じ目をしていたのを覚えている。


「な、なんだその目は……無礼だろう!」

「ただ人の築き上げてきた貪るだけの害悪を、軽蔑していたのよ」


 軽蔑。

 公爵として人の上に立ち続けてきた俺には、屈辱だった。


「ふざけるな……!」

「何もできないくせに、この期に及んで口だけは威勢が良いのね」

「は……?」


 俺は昔からなんでもできた。

 そう、思っていた。

 だが、どうやらそうではないらしい。


 俺が好きなように振る舞えていたのは、歴代の公爵家が築き上げてきた財産と威光の継承者だったから。

 しかしその、俺に遺された数少ないものは、根こそぎ奪い取られた。


 俺の前でだけは忠義に厚い善人のような顔を取り繕った、盗人たちに。

 愚かにも、この期に及ぶまで自身の置かれた状況を全く理解することなく。

 誰かを愛することも、誰かに愛されることもなく。


 他人に敷かれた破滅への道を、ただ進む。

 それが俺の人生だった。 


「……最期に一応聞いておくわ。何か言い残すことは?」


 女勇者は俺の首に剣を突きつけた。


「もしこうなるとあらかじめ分かっていたら、違う選択をしたのに……!」


 どうしてこうなった。 

 なぜ俺は、今まで何の疑問も持たずに生きてきたんだ。


 嫌な汗が全身に滴り、血の気が引いて。

 俺の脳内に、とある記憶が蘇った。


『お前がもっと違う生き方をしていれば、こんなことにはならなかったのに』


 公爵家の屋敷で、降伏に関する取り決めを交わした際。

 魔王が呟いた言葉だ。

 

「クソッ……どいつもこいつも!」

「アンタが同情の余地もない害悪だったのは、せめてもの救いね」


 物憂げな無表情で、女勇者は剣を振り上げた。


「あ」


 思い出した。


 俺は日本の東京で働く二十代後半の社畜だった。

 そしてここは、俺が前世で好きだったファンタジー系RPGエロゲーの『ディシディア・ファンタジー』の世界で。

 今の俺はそのエロゲーに登場する悪役モブキャラ、ディオ・ウィンターソンだ。


 どうやら前世で死んだ俺は、エロゲーの世界に転生したらしい。

 俺はこれまでの人生を、ゲームの登場人物であるディオとして、原作の展開通りに生きてきた。

 

 まるで、決められた人生から脇道に逸れる選択肢すら与えられずに。

 クズで怠惰な悪役らしく、ろくでもない人生を過ごしてきた。


 そして今ようやく、前世の記憶が蘇った。


 婚約者の妹である女勇者に、魔王の手先を討つ名目で復讐されるのも当然だ。

 頭の中に、そんな考えがよぎった時には。


「……復讐なんて、虚しいだけね」


 女勇者の剣が、首元に迫っていた。


「ま、待ってくれ……!」

「今更、命乞いなんて聞くつもりはないわ」

「違うんだ……!」

「何が、違うっていうの」


 女勇者の声色は冷え切っていた。

 剣の先が、俺の首筋を掠める。


「今の俺は、これまでのディオとは違うんだ」

「そうは見えないけど」

「見た目は同じだけど、中身は違うんだ……! 俺は、変わったんだ」


 前世の俺は、真っ当な倫理観を持つ日本人だった。

 この記憶があれば、原作のディオみたいに悪役貴族として好き勝手に振る舞って他人を害することはない。

 これまではともかく、今の俺であれば。

 しかし、そんな藁にもすがるような思いは、勝手な俺の都合だった。


「言い逃れにしても、不愉快ね」


 女勇者は、もう一度剣を構えた。


 今更、前世の記憶が戻ったところで。

 それを、まさに俺を殺そうとしている相手に伝えたところで。


 まともに受け止めてもらえるはずがない。

 なぜなら俺は、悪役モブのディオ・ウィンターソンなのだから。


 わざわざ転生したところで、散々やらかした後の死に際に前世の記憶が蘇っても、もう遅い。


「とっくに、取り返しの付かない状況に至っている……ってことか」


 ようやく俺が、そう理解した時には。


「ええ。本当に変わったとしても……遅すぎるわ」


 俺の頭は、胴体から切り離されていた。

 死に際に視界に映ったのは、ゲームのメインヒロインである女勇者の悲しげな表情だった。




 ああ。

 せめてもう一度、やり直すことができたら。


 もっと真っ当に生きられるのに。

 少なくとも、原作通りの展開にはさせないのに。

 ヒロインに悲しい顔をさせたりなんて、しないのに。


 俺はあの作品に登場するヒロインたちが好きだ。

 だけど彼女たちは、エロゲーのシナリオにおいて、不幸な運命を背負うことが決まっていた。


 もし俺が、シナリオの都合で動くモブキャラ、ディオではなく。

 一人のディオ・ウィンターソンという人間として。

 もう一度、あと一度だけ人生をやり直すことができたら。


 その時は必ず。

 女勇者も魔王も、婚約者も。

 俺の周りの女の子たちは、みんなまとめて幸せにしてみせるのに。

 誰かを愛して、誰かに愛されるような人物として、生きてみせるのに。


 そんな後悔を抱えながら、俺は。

 全てを失って、二度目の人生を終えた。

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