第四十一話 『明蓮寺家』
夕方になった。
あの後、勉強会は何とか順調に進んだ。
時折、遠坂姉と哉の文句というか屁理屈が聞こえてきたが、何とかなった。
これならおそらく、赤点はギリギリ回避できるだろう、とは遠坂妹の言葉だ。
俺もそうだ。
赤点は無い。
そもそも、俺に関しては初めから赤点の心配すらいらなかった。
授業中、ずっと寝ていた俺はわからなかったが、どうやら今回のテスト範囲は俺が引きこもりしてた時にやっていたところらしい。
焦ることはなかったのだ。
こんなダメダメ二年生に比べ、一年生二人はかなり優秀だ。
自分の勉強はもうできているからと、遠坂姉と哉の勉強まで見てくれた。
習っていないはずなのにも関わらず、パパっと教科書を読んだだけで要領を掴み、的確な指導を入れていた。
それは二年生顔負けの教えぶりだった。
遠坂妹は、姉の隣で付きっきりで。
明蓮寺は俺の隣に座り、身を乗り出すようにして机の反対にいる哉に。
それぞれ、自分の勉強そっちのけで教えていた。
というか明蓮寺の奴、哉に教えるんなら哉の隣に行けばいいのに。
どうして俺の隣に座ったんだ。
おかげで、明蓮寺が身を乗り出す度にケツやら太ももやらが眼前に来て、目のやり場に困ったものだ。
しかしまぁ、本人は真面目に教えてるつもりなんだろうな。
初め、この二人はかなりできると思っていた。
のだが、かなりできるなんてもんじゃなかった。
二人は天才なのだ。
以前牧田から聞いた話によると、あの二人は学年でトップを争う天才二人らしい。
それに比べてお姉様は......
一位争いの姉妹だ。
まぁ、トップとワーストなのだが。
上と下を牛耳っている姉妹は、かなり凸凹に思える。
しかしまぁ、大丈夫だろう。
あんなに仲がいいんだ。
そう。
遠坂姉妹は、今も他愛のない会話を楽しんでいる。
例えるなら、俺と宙のように。
「翔琉先輩!」
俺の名前を呼んだのは明蓮寺だ。
明蓮寺は、なぜか嬉しそうな顔をして俺の名前を呼んだ。
「少し付いてきてもらえませんか?」
俺は身支度をしているみんなへ視線を向ける。
そう内の哉が俺に視線に気づいた。
「どうした?」
哉は俺に近づいてきて、そう言った。
「先に帰っていてくれ」
「分かった」
哉は、遠坂らの所に戻っていった。
「じゃぁ、行くか」
「はい」
てなわけで、俺は明蓮寺に付いていくことになった。
やたら広くて、少し歩くと迷子になりそうなこの家を、彼女に続いて歩く。
ここに住んでいるとはいえ、よくもこんな広い家を迷わずに進めるもんだな。
「お前、よく迷わずに進めるな
俺、ここに長く住んでも迷う気がするよ」
思ったことをそのまま言ったのだが......
「それなら住んでみますか?
私は大歓迎ですよ」
そう言えばこいつ、こういう奴だったな。
「女の子が、そう簡単に他所の男子と暮らすもんじゃない
だから俺はここには住まな―――」
「じゃぁ、ここに住むで決まりですね
今からお父様のところまで行って挨拶しましょう
楽しみですね。男と女の共同生活
たくさん致しましょうね
うちは広いので、多少は声を出しても周りの人には聞こえないので大丈夫ですよ
安心してください」
安心してください、だと?
出来ないよ。
そもそも、どうして一緒に暮らすことになっているんだ。
俺は住まないと言おうとしたのに、彼女がそれを無理矢理遮って話を進め出したのだ。
もう、俺の意思など関係なしだ。
てか、何が大丈夫なんだ。
大丈夫な部分など一つもないだろ。
「私は今からでも大丈夫ですよ
なんてったって、下着は―――」
勝負下着ってか?
「履いていませんので」
「......」
思わず言葉を失った。
こいつ、マジか。
マジですか。
履いてないのにもかかわらず、俺の目の前にケツ持ってきてたのか。
見てほしいのか。
見せつけてんのか。
......こいつなら、それもあり得るのが怖い。
この変態め。
「いつでも襲ってきていいんですよ
この布一枚で、他は何にも履いてないんですから」
そう言った明蓮寺は、スカートの裾を摘まみ、ひらひらと揺らす。
「何が『いいんですよ』だ
良くないだろ」
俺にとっても明蓮寺にとっても、どちらにとっても良くないはずだ。
「既成事実を作っちゃえばこっちのものかな、と」
「作らせるもんか」
俺の言葉に、明蓮寺は口を尖らす。
その姿だけは、立派な女性だ。
こいつ、喋らなければ完全な清楚系女子なんだけどな。
「ところで、今はどこに向かってるんだ?」
そう、俺は付いて来いと言われたから付いて行っているだけで、どこに行くのかは知らないのだ。
「お父様の所です
先輩を、私の彼氏として紹介したいと思いまして」
「おい!」
俺はお前の彼氏じゃないぞ。
捏造するな。
「半分は冗談ですよ」
明蓮寺は、少し残念そうにそう言った。
寂しそうにも見える。
半分は、か......
俺はどう紹介されるのだろうか。
「着きました
お父様はこちらにいらっしゃいます」
明蓮寺は、見るからに他の部屋より大きい部屋を手のひらで指す。
「お父様、連れて参りました」
「......そうか」
明蓮寺の問いかけに、低い声が帰ってきた。
家族にしては、随分と思っ苦しい口調だ。
アニメなどで、お金持ちの会話はこんな感じだったが、実際にもそうなのだろうか。
「失礼します」
明蓮寺は丁寧に、両手で障子を開ける。
二人が並んで入れそうなくらい障子を開けた後、彼女は両手を腹の前で重ねてから一礼する。
今の彼女に、いつもの明蓮寺の面影はない。
真面目そのもの。
無表情の清楚系お嬢様だ。
俺もそんな彼女につられ、一礼してから部屋に入る。
俺が、本が大量に置いてある広い部屋に目を取られている間に、明蓮寺は音を立てないようにして障子を閉める。
「お前が佐々木翔琉とやらか」
明蓮寺お父様の低い声が、この広い部屋いっぱいに響き渡る。
鳩尾にドスンと響くように届く声質。
若干の圧を感じる。
いや、若干じゃないな。
かなりだ。
重圧だ。
立派な机の前にある、立派な椅子に座る明蓮寺の父親は、異常なほどの威圧を放っている。
ドカンと椅子に座る体の大きなお父様は、俺を睨む。
「......はい」
その重たい声に気おされながら、俺は答える。
実際に、俺が佐々木翔琉なので、返答に間を開けるようなことではないのだが。
このお父様は声だけではなく、目でも圧を与えてくる。
その圧は口を開くことですら難しくさせる。
口を重たくさせるのだ。
「よくも娘をたぶらかしてくれたな」
何それ。
俺に言ってんの?
「たぶらかしたつもりはないんですけどね」
「うるさい!
口答えするな!」
いきなり怒鳴ったこの男の声に、俺は思わず顔をしかめる。
それを見たお父様は、より機嫌を悪くした。
「お前は、うちの方針とは違うことをうちの娘に吹き込んだらしいな」
「そうなんですか......」
この家の方針とか、知らないんだが。
そんなこと俺に言われても困りますよ。
「なんだその返事は
何か不満でもあるのか」
「,,,,,,いいえ」
嘘だ。
不満がない訳がない。
いきなり連れて来られて。
たぶらかしただの、うちの方針がどうだだの。
そんなこと言われれば誰だって不満は生まれる。
「......いいかよく聞け
お前にもこの世界について教えてやろう」
この世界について、か。
それは、俺が転生者だと知ってのことなのか家の方針としてだろうか。
まぁどちらにしろ、俺にとっては大した違いではないか。
「この世界は力が絶対
力とはすなわち能力だ
能力の弱い者は、人間としての価値がない
簡単に言えばこうだ」
「......」
こいつ、何を言っているんだ。
人間としての価値がないだと?
ふざけるな。
能力だけで人間としての価値が決められるなんて、たまったもんじゃない。
しかもその能力は、生まれつき決まっているときた。
要は、生まれつき価値が決められているということだ。
そんな考え、ふざけている。
「うちの娘は、ただでさえ能力を持たない
その上、能力は関係ないなどと言う甘ったるい考えに洗脳されてしまっては、人間としての価値など皆無に等しい」
「......」
こいつの話を聞いていると、腹が煮えくり返りそうだ。
明蓮寺に価値がないだと。
こいつは変態だがいい奴だ。
それを価値が皆無だと。
親だからって、何言っても許されると思うなよ。
「お前はその、甘ったれた考えでうちの馬鹿娘を洗脳した
一体、何様のつもりなんだ」
お前こそ何様のつもりだ。
自分の娘が、この優秀な子が馬鹿娘だと。
あろうことか人間としての価値が皆無だと。
ほんと、何様のつもりだ。
「どうせお前も、大した能力ではなかろう
お前のような甘い考えは、能力が弱い者の逃げ道だ
醜い言い訳に過ぎない」
「......」
俺はもう、声を発することすらできない。
怒りと呆れで、言葉が出てこない。
この男は、異常なほどの能力主義だ。
「いいか。これはごく普通の、一般的な考え方だ」
「一般的だろうと、間違っていることはあります
必ずしも、多数派が正しいという訳ではありません」
俺は負けずと言い返す。
のだが。
「黙れ!
口答えするな弱者めが!」
「......」
あまりの迫力に、俺は再度言葉を詰まらせる。
口が開かなくなる。
金縛りのように、動かなくなる。
これが、こいつの能力か。
しばらくの沈黙が訪れた後、俺の硬直が解けると同時に明蓮寺父は口を開く。
「まぁいい
お前は校内序列とやらもので5位らしいな
能力は弱くても、一応の強さはあるようだ
それに免じて、さっきの失言を許してやろう」
は?
どうして俺が許されなきゃいけない。
そもそも俺は、この世界では悪いことなどしていないつもりだ。
しかしまぁ、これ以上この人に突っかかると、確実に面倒なことになる。
俺の怒りは胸にしまうことにしよう。
溢れてしまいそうな俺の器に、無理矢理蓋をする。
「穂香」
明蓮寺父は、重たい声で自分の娘を呼ぶ。
「なんでしょうか」
相変わらず、親子にしてはぎこちない会話だ。
だが、今となればその理由も分かる。
俺も、こいつが親ならきっとぎこちなくなるだろう。
「こいつとは恋仲か?」
そこを聞くのか。
この質問にいつもの明蓮寺なら、元気よく「はい」と答えるんだろう。
いつもの明蓮寺なら......
「違います」
しかし今の明蓮寺はいつもと違う。
父の問いを、無表情で否定する。
「なら、思いを寄せているのか?」
この質問はさすがに......
「......違います」
これは意外だ。
この質問には首を縦に振ると思っていた。
しかし彼女はそうしなかった。
口では肯定しなかった。
彼女は、少し間を開けて否定した。
顔は心なしか暗い。
一瞬、俺の方を悲しそうに見た。
その目は「すいません」とでも言いたげな目だった。
分かっている。
が、しかし。
いつもくっついてくる子に、口だけとは言え好きではないと言われると、どこか寂しい。
別に俺は、明蓮寺が好きだと言う訳でもないのに不思議なものだ。
なぜか、体の中でモヤモヤが立ち上るのだ。
「そうか
ならよかった」
明蓮寺父は表情を変えず、一層重たい声でそう言った。
自分の娘を、どこの馬の骨かも知れないいけ好かない男には渡せないということだろうか。
馬鹿娘とは言いながらも、やはり娘は大切なのだろうか。
「なら、あの話はこちらで進めておこう」
あの話?
なんだろうか。
......いや、俺が気にすることではないな。
明蓮寺家の問題だ。
俺が横やりを入れるものではないだろう。
「......少しの間だけ、待っていただけないでしょうか」
明蓮寺は絞り出すように言った。
声は震えていて、小さい。
小さいと言うより、か弱い。
明蓮寺の言葉は、今にも消えてしまいそうだ。
それこそ、明蓮寺父の一声で。
明蓮寺自信も、震えていて小さくなっている。
いつもの明蓮寺は、見る影もない。
こんなにビクビクと怯える明蓮寺を、俺は初めて見た。
いつもは明るくて、元気で綺麗な女の子なのに。
「随分とわがままを言うようになったんだな」
妙に棘のある言い方をした明蓮寺父の目は、とても娘を見る目ではなかった。
汚いものでも見るような、そんな目だ。
信じられない。
「申し訳ありません
申し訳ありません」
明蓮寺は、自分の言葉が失言だったかのように必死に謝る。
何度も何度も、必死に頭を下げている。
まるで、上司と部下のようだ。
家族なのに......
「出ていけ」
冷たく、重く、低く放たれたその声は、威圧そのものだった。
これ以上のここへの滞在は許されない。
本能がそう悟る。
俺たちは明蓮寺父の一言に押し出される形で、部屋の外に出た。
「失礼しました」
明蓮寺は襖をピシャリと閉める。
「帰りましょうか」
明蓮寺は、俺に向って言う。
無論、ここは明蓮寺の家なので帰るのは俺だけだ。
俺たちは揃って、長い廊下を歩き始める。
静かに、互いに何も話さずに歩く。
そして、少し歩き例の部屋から離れた頃、明蓮寺が口を開いた。
「すいません
嫌な思いをされましたよね」
明蓮寺は悲しげにそう言った。
「いや、俺は大丈夫だ
お前こそ大丈夫なのか?」
正直なところ、俺は大丈夫じゃない。
蓋の隙間から怒りが吹き出しそうなほどのイライラが、俺の中で積もっている。
だが、それは隣にいただけの俺が、だ。
実の父にあそこまで言われた明蓮寺は、余程のものだろう。
「私は大丈夫ですよ。いつものことですから
むしろ今日は、履いていないことがバレないかでドキドキしていました
もう、グチョグチョです
見ます?」
「見ねぇよ!」
笑顔でスカートを揺らす明蓮寺は、いつもの明蓮寺だ。
突発的な変態、それが明蓮寺だ。
だが、それも今は無理矢理そう見せているのかもしれない。
どうも彼女の笑顔が、作り物に見えて仕方がないのだ。
「今日のことは、気にしないでくださいね」
「ああ」
そんなの無理だ。
気にしないでいられるはずがない。
あのクソジジイのことを気にしないなんて、絶対に無理だろう。
「テスト頑張りましょうね」
そうポツリと言った明蓮寺は、どこか遠くを見ていた。




