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砂の花  作者: 高千穂ゆずる
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偏愛の先 第1話

 静かな朝――。

 ルイスは、つらつらと夢と現実との狭間で意識を遊ばせていた。目の前には、枕に顔をうずめてレナが眠っていた。

 ときどき眉を寄せているが、いったいどんな夢をみているのだろう。ルイスは脂下がった表情を浮かべ、そっと義姉……いや、恋人の頬に触れた。

 ふいにレナが片方の目だけをぱちりと開けて、にやりと意味深に笑った。

「それだけでいいの」

「そ、それだけとは」

「キスしたいとは思わないんだ」

「寝込みを襲うようなことはしないからな。こっそりキスなんてしないぞ」

「しないんだ」

 いたずらに細められた朝焼けの瞳にルイスは唇を噛んだ。

「そうやって俺を誘導するのはやめてくれないか。たまには……レナからしてくれても」

 ルイスが唇を尖らせて拗ね始めると、レナはごそごそと移動して弟の腕の中から顔をひょこっと出した。

「じゃあ、そうさせてもらおうかな」

 ぱくりとパンにかぶりつくようにレナはキスをした。

 唇を離しては合わせ、合わせては離しを繰り返し、応えようとするルイスを意地悪くかわしていく。その内レナの口から笑い声が零れだした。

「ふふっ。ルイスってば必死すぎ」

「レナが焦らしているからだろ。俺をからかって面白いのか? キスくらいゆっくりさせてくれ」

「じゃあ、どうぞ」

おとなしくなったレナの唇に改めて唇を重ねた。

「今日仕事が休みなら、どこか出かけない?」

「仕事、か……」

 捜査班から外されている身のルイスは、出勤しても事務方の仕事くらいしかない。あとは、上司の目を盗み独断で捜査している程度だ。

 まともな休みはいつから取っていないだろう。犯人の意図も、目星もついていないまま捜査は難航している。もしかすると少しは進展しているのかもしれない。すぐにもローランから連絡が――そう思ったところで、ルイスの携帯から呼び出し音が鳴りだした。

 枕元にあったはずのスマホはいつのまにか床に落ちていて、拾い上げてすぐに目に映ったのはローランの名前だった。

 約束でもしていたか、それとも遅刻したか――と、ルイスは慌てて時間を確認した。

しかし違った。

通話口から聞こえるローランの声の向こうはかなりザワついていて、大勢の人間が忙しなく話している様子から緊迫した空気が伝わってきた。

 ルイスの予感は的中した。

「被害者が出た」

 喉の奥を詰まらせたようなローランの声は、続ける言葉を逡巡している響きだった。

 ルイスはレナをちらりと見やり、

「仕事の話だから向こうへ行ってる」

電話はローランからだと伝えてルイスはベッドを出た。脱ぎ散らかした服の中からシャツを探し出して羽織った。

 寝室を出ると甘酸っぱい匂いが漂っていることに気づいた。人工的な香水の香りでもないその匂いは瑞々しさを放っている。

「俺が知っている人間なのか?」

 ローランに被害者について訊ねながら、匂いをたどるようにルイスはリビングへ向かった。

 暖房がまだついていないリビングから、刺すような冷たい空気といっしょに一層強くなった甘い匂い。ひた、とリビングの床を踏む――同時にローランの声が被害者の名前を告げた。

「ベンノ・ブレヒト。夕べ、俺たちがいっしょに酒を飲んだ彼だよ」

 ルイスは驚愕の表情のまま立ち尽くした。

 リビングには色とりどりの花が飾られていた。テーブルの上、窓、床にはあらゆる容器に入れられたおびただしい花々が所狭しと置かれている。それらは生き生きと咲き、芳しい香りを冷たい部屋の中いっぱいに放っていた。

「現場は?」

「おまえのアパートのゴミ集積場。今回も花が添えられてる」

「花、か」

 被害者に添えられた花――。

 レナの部屋のおびただしい数の花――。

 犯人はこの家に出入りしているのか――――――――

 ルイスの全身が怒りで総毛だった。

「添えられていた花はシレネ。偽りの愛って意味だよ」

 ため息混じりに情報を伝えてくるローランに、ルイスは頼みがあると言った。

「頼み? このタイミングで?」

「ああそうだ。今すぐレナの家に来てくれ。ローランに見てもらいたいものがある。犯人の目的は……やっぱりレナかもしれない」


 駆けつけたローランを前に、レナは、

「アンタ達2人とも大げさねぇ」

ケラケラと声を出して笑った。

しかし、ルイスにぎろりと睨まれて肩をすくめると、おとなしくキッチンへ向かった。

 リビングの有様を目にしたローランは、言葉を失ったように黙り込んでいる。

「この量は常軌を逸していると思わないか」

 ローランの横に立ち、ルイスは腕を組んだ。

「レナはこの花を誰から贈られたものだって言ってんの」

「ラファエルだと言っている」

「ラファエル? 夕べの花屋の? ……たしかに彼の口ぶりから察すれば、レナが好きだっていうのはわかるけど、さすがにこれは……肝心のあの子はなんて言ってるわけ」

「なにも」

「なにも? そんなわけないだろ。ここまで花を贈り続けてくる相手になにもって……鈍感というか無防備というか」

 ローランは嘆息しながら頭を抱えた。

「ここの花にも、被害者に添えられた花と同じように意味があるんだろうか」

 すぐ傍のガラスの器に生けられている赤や紫、うっすらと黄色がかった花をルイスは指した。

「アネモネか……Ich möchte ganz bei Dir sein.――きみの傍にいたい」

「じゃあこっちのは?」

 甘さの強い香りを放つ白い花を、ローランがじっとみつめる。

「ジャスミン。Du bist bezaubernd.――きみは魅惑的……。ルイス、俺としてはこの花が一番気になるね」

 ローランは白と淡いピンクの小さな花が集まった、愛らしくも野趣のあふれたカノコソウを手にした。

「Ich werde dich beschützen.――きみを守ってあげよう」

 ルイスは喉の奥で唸った。キッチンからは能天気な調子はずれの鼻歌が聞こえてくる。

「誰から守ろうと言うんだ」

 苦々しい呟きが吐かれる。

 実際に殺人を犯しているのは貴様だろう――ルイスは吐き捨てた。

「アイツは容疑者の中に入っているのか?」

 レナがコーヒーを持って現れたタイミングで、ラファエルの名前を伏せた。それを察したローランも黙って頷いた。

「凶器が特徴的だったからね。そっちの線でたぐったら浮かんだ。実を言うと、今日にでも捜索に入る予定だったんだよね。だけど次の被害者が出たから」

「捜索を遅らせるつもりか?!」

「そんなわけないだろ。ここのことも報告するつもりだし、あとは家宅捜索して凶器が店か自宅かのどちらかで出てくれば、彼はおしまい」

 ローランの口から逮捕までの流れを聞くと、

「ひとまず安心だな」

とルイスは答えたが、すぐにダメだというように首を振った。

「アイツが捕まるまでは安心できない。……俺のアパートも知られているし」

「例の連続殺人事件の犯人がわかったのか?」

 一時は容疑者として調べられたレナが興味深そうに2人の話に嘴を挟んだ。

「用心の為にレナをうちに泊めようか?」

 ローランの提案に、

「その方がいいかもしれないな。頼む」

と頭を下げた。

「なんの話をしてんのよ。あたしはどこにも行かないからね。この店だってあるし」

「店はしばらく休めばいい。どうせ事件以降ロクに開けていないんだからな。たいした影響はない」

「影響とかの話をしてるわけじゃないの。どうしてもローランのところに行けって言うんなら、あたしが自分の家を離れなきゃならない理由を聞かせなさいよ。それが筋ってもんでしょうが」

 レナは乱暴にコーヒーカップをテーブルへ置いた。

「レナの為に言ってるんだから、おとなしく従ってくれないか」

 感情を昂ぶらせ始めたルイスをローランが制し、

「勘のいいおまえのことだから、とっくに気づいてると思うけど。この殺人犯はレナも狙ってるようなんだよね」

「なんでわかるの」

「だから言ってるだろ。勘のいいおまえは気づいてるはずだって」

 ローランが視線で部屋中の花を指した。レナはその視線を追うことなく、じっと旧友をみつめた。

「ヤツは部屋の中まで入ってきてる。――レナが招き入れたんだろうから、ほんと。そういうところ無防備だよね」

 さあ行こう、とローランが手を伸ばしたが、レナはルイスへと視線を移した。恋人の言葉で聞きたいのだ。どこが安全で、誰の傍が安心できるのかを。

「ローランの家でおとなしく待っていてくれ」

「ローランの傍が安全ってわけ?」

「アイツを逮捕するまでの、少しの間だけだ」

 睨むように互いをみつめ合っている2人の間にローランが割って入り、

「レナをうちまで連れて行ったらすぐに向かうから、花屋で会おう」

 言いたいことを喉の奥に封じ込めたレナは、ローランに手を掴まれ急かされるように自宅を出た。

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