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砂の花  作者: 高千穂ゆずる
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落花流水に疾る 第5話

 過去の事件に関する調書をファイリングしたり、データに落として関連部署へ届けたりと、ルイスはこれまで人任せにしがちだったデスクワークに励んでいた。

 現場第一主義とまでは言わないが、デスクの上の書類を睨んでいるだけで事件が解決するとも思っていなかったルイスだが、意外に自分にはこういった事務仕事が合っていることに気づき、少なからず驚き楽しんでいた。

 時間があるからだと言えばそうかもしれない。

 じっくりと過去の未解決事件の調査資料や報告書を見ていると、意外な接点や無関係と思われていた別の事件との関連性が浮上し、この短期間で解決に至ったものまである。

 直接現場へ赴くことはなかったが、担当刑事へ関連を伝え、結果解決したと肩を叩かれればルイスも彼ら同様に喜んだ。

 見えなかったものが見えるようになることは、今のルイスにとって本当に必要なことだった。

 廊下から賑やかな声が聞こえ始める。どうやら仲間の刑事が戻ってきたようだ。まっすぐ本部へ戻ってくる者もいれば、リフレッシュメントコーナーへ向かう者もいる。

 自慢の金髪も乾燥した風にさらされて、ずいぶんと貧相な見てくれになってしまったローランへ、ルイスが労いの言葉をかける。

「その顔を見る限り、お疲れと声をかけるしかないようだな」

「まぁなぁ」

 嘆息しながら項垂れるローランの肩をルイスが軽く叩く。

「その……戻ってきたばかりなのに言いにくいんだが、少し話を聞いてもらっていいか」

 それぞれのデスクへ戻っていく同僚たちを気にしながらルイスが小声で言うと、ローランの肩がさらにがくりと落ちる。

「無理ならいいんだ」

「どうせこの後は報告書まとめるだけだし、ここのコーヒーも飽きてきたし。美味しいカフェ・クリームが飲みたいって思ってたところなんだよな~」

 ちらりと横目でルイスを見ながらローランがにやりと笑う。

 人が悪いなとルイスも笑い、

「昼食は摂れたのか? まだなら少し軽めの食事もいっしょにどうかな」

「ルイス、太っ腹! よし、行こう」

 ルイスの奢りは決定事項のようで、ローランの調子の良さにルイスは呆れたように眉を下げて笑った。ちょうどレナを誘うつもりでいた新しいレストランの味を確かめたかったところなので、案外ちょうどいいかもしれない。


 警察署から1ブロック離れた通りに、目的のイタリアンレストランがある。小さな国旗を店先に飾り、男二人で訪れた客にも陽気な店員が笑顔で出迎えた。

 昼食を摂るにはいささか遅い時間だったが、事務作業に没頭していたルイスも昼を食べ損ねていたからローランと同じメニューを頼む。

 勤務中とあってさすがにグラスワインは遠慮したルイスだが、ローランは嬉しそうにアルザスのミュスカを注文する。

「さて、ルイス。大枚はたいて俺に話を聞いてほしいなんて、どんな内容なんだろうね。まあ、たぶんレナのことなんだろうけど」

 先に運ばれてきたワイングラスを取り、一頻り香りを楽しんだローランが訊く。

 ワインを口に含ませ、うっとりとミュスカ独特の風味を味わっていると、ルイスがぽつぽつと話し始めた。

「ローランも知っている通り、俺はレナのことになるとすぐに箍がはずれてしまう。いい年をして俺はまったく成長していなくて、何度もレナを傷つけた。今回の事件だってむしろ被害者と言ってもいいくらいなのに、俺はそれを責めた。まるでレナに非があるみたいに。それなのに彼女は少しも腹を立てないし、むしろそんな風に頭に血を上らせている俺を心配してくるんだ」

 料理が静かに運ばれてくる。店内は比較的空いていて雑音もわずかだった。ローランはナフキンを膝に敷きながら、レナらしいなと短く答えた。

「だけど、それって今に始まったことじゃないだろ。俺としてはなにを今さらって感じなんだけど……?」

「そ、それが」

 ルイスが右手を気にする素振りを見せた。ローランが、ああと眉を上げて口元を綻ばせた。

「いきなり指輪なんか嵌めてるから、どうしたんだろって思ってたんだよね。レナからもらった?」

「もしかして聞いていたのか?」

「そうじゃないけど、話の流れから考えればそうなるだろ。それで? 指輪をもらったのになんでそんな浮かない顔してんの」

 嬉しくないの? とローランは続けた。

 ルイスは唇を噛み、視線を落とす。

「嬉しくないわけないよなぁ。レナ一筋で育ったもんなぁ、お前。ほかにいくらでも可愛い女の子がいたっていうのに、みーんな袖にしちゃって。ほかの誰も見ないでレナだけを追いかけて、最後にはちゃんと思いを遂げたんだからすごいよ。指輪をくれたってことは、レナの中でルイスはきちんと恋人として扱われたってことだろ? しかもこれからの人生ってやつを共に歩こうって意思表示されたんじゃないか。ちゃんと喜びなよ。じゃないと彼女が悲しむよ。俺はその方が悲しい」

「確かに嬉しいんだが、俺はこの連続殺人事件の犯人に……共感を覚えているんだ。まるで俺が犯人のような気さえするくらいにな」

「それってどういう意味」

「犯人はレナに執着している」

「自分がそうだったから?」

「わかるんだ。昔の俺が……そうだったみたいにレナの周りから人を遠ざけて俺だけを見るように仕向けた。まるであの頃の俺が勝手に蘇ってきて人を殺して歩いているような気がする」

「俺、そういうホラーじみた話は苦手なんだけど。っていうか、これはれっきとした殺人事件だからな。ルイスが言ってる『過去の俺』がどうのこうのって、この事件には関係ないから。確かにルイスが言うように、この犯人はレナに執着してるなとは俺も思うけど、彼女の周囲にあてはまる人物がまだ出てきていない以上、別の関連も疑わなくっちゃいけない。それに」

 ローランが満面の笑顔を浮かべた。

「誰もルイスが犯人だとか、犯人に似てるとか思っちゃいないよ。ルイスがどれだけ真剣にレナを愛してきたか。長く付き合ってきた俺が、誰よりも一番近くで見てきたんだからよくわかってる。冗談でも犯人に自分が似てるとか共感するとか言わないように」

 ルイスとレナの過去を知る昔なじみのローランの言葉は、すとんと胸に落ちてくる。

 ルイスにとってローランは兄のような存在だった。ルイスが素直になれる貴重な男だ。

「なんか、まともな食事をしたのって久々かもしれない」

 シナモン入りのラビオリをきれいに平らげ、口元のソースをナフキンの端で拭いながらローランが満足の息を吐く。手際よく美味い手料理を食べさせてもらったことがあるルイスは目を丸くした。

「事件のせいか」

「まあね。途中で引っ越したこともあるけど、新しい環境での生活リズムがまだ掴めてないってのが大きいんだよ。プライベートもバタバタと忙しいからね。ルイスに誘われなかったら今日もワインとチーズだけで寝ちゃうところだったかも」

「ローランさえよければ、うちに……あ、うちと言っても今はレナの家で寝起きしているからレナの家でということになるんだけど、どうかな」

「レナの手料理? それともおまえの手料理?」

 にやにやと笑いながらローランが訊く。

「その時々によるけど……リクエストがあれば聞いておく」

 まじめに答えていたルイスだったが、ローランの真意に気づくと途端に顔を赤くさせた。ごまかすように皿に残ったモッツアレラのパスタをまとめて口へ放り込む。

 ふいにローランの携帯が鳴った。ごめん、とルイスに目配せして上着の内ポケットからスマートホンを取り出す。

「レナ、どうした? 今? ルイスと遅いお昼ご飯を食べてるところだよ」

 ローランの電話の相手がレナであることに、ルイスがむすりとした表情を見せた。それに気づいたローランが愉快そうに声を立てて笑い、

「目の前でルイスがふてくされてるんだけどさ。すっごく可愛いだけだからやめるようにあとでレナから言っといてね」

 そんなんじゃない、とやはりふくれっ面で抗議したルイスだったが、恋人とローランの会話が終わる頃には皿も水もきれいになくなっていた。

「レナはなんの用だって?」

「話があるから来てくれって。大体内容はわかるけどね」

「どんな内容?」

「ルイスと同じだよ、きっと。のろけと相談」

「俺はのろけてなんかいない。事実を言っただけだからな。それで、相談というのはなんだと思う」

 のろけではなく事実だと公言してしまうまじめさを、ローランは闊達に笑った。

 レナが持ちかけようとしている相談が気になって仕方がないルイスに「似たもの姉弟め」とまた笑う。

「はいはい。俺はいつもおまえたちの聞き役だからね。その分、幸せになってくれなきゃこれまでの苦労が報われないよ」

 テーブルの端に置かれた伝票を取り上げ、

「美味しいシャルキュトリーとワインがあれば俺はそれで充分」

「おい、支払はおれが」

 軽くウィンクして席を立つローランから、自分が奢るはずだった伝票を取り返そうと手を伸ばしたルイスもそのまま席を立った。

 待ってくれと何度も声をかけたがローランは取り合わない。レジカウンターの前で騒ぐわけにもいかず、店を出てから財布を取り出したルイスだが、とつぜん降りかかった思いがけない柔らかい声に顔をあげた。そこには嬉しそうに微笑んでいるローランがいた。

「俺にとってルイスは弟みたいなもんだから、変に気をつかうなよ」

 ルイスの胸の奥がじんわりと沁み込むようなぬくもりで満たされる。

 自分はローランにも大切にされているのだとルイスは感じた。

「ありがとう」

 どこかローランに逆らえない部分が自分にはあると思っていたが、その正体がわかった気がする。

 やはり彼は大切な兄なのだ。

 むずむずとした面映ゆさが気持ち悪くて、ルイスは照れ隠しのようにそっぽを向いた。

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