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砂の花  作者: 高千穂ゆずる
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色とりどりの 第6話

 目当ての花をみつけると、ほっと安堵の息を吐いた。深みのある青い花弁が開き始めている。

 これで何件目だろうか。ようやくみつけた。ハウス栽培でしか手に入らないと途中で気づいたのが功を奏したようだ。

 古書に囲まれた店内の一角。

ランプの落ち着いた明かりの下に飾られていた一枚の写真が脳裏に浮かぶ。父親らしき男性に両肩を抱かれ、生意気な視線をカメラに向けるひとりの少女。その細い両腕が、零れ落ちそうなほどの矢車菊を抱えていた。

 小生意気な表情に照れくささを押し隠しているのがわかる。

 一枚の写真の中に、彼女――レナのさまざまな思いが凝縮して映り込んでいるように思えた。大切な思い出、刻みつけておきたい記憶の数々。

「咲き始めているのはそれぐらいだけど、注文かい?」

 日に焼けた農場主が白い歯を見せて笑う。

「もう少し時期を遅らせてくれればもっと量を卸せるんだけどなあ。急ぐのかい」

 土塗れの軍手をはずし、七分咲き程度の矢車菊を紙に包む。花を傷めないようにふわりと紐で軽く縛り、はい、と差し出してくる。

「一番最初にこの花を見せたい人がいるんだ」

 ラファエルは代金を渡しながら花を受け取ると、そこに想いを寄せる相手の姿を重ねて微笑んだ。

 ピックアップトラックの助手席に矢車菊を置き、急くように乗り込んだ。できれば今日中にレナに渡したい。

 ラファエルは小石がごろごろと転がっている農道を、土煙を上げてベルリンへと急いだ。


 遠慮がちなノックが静かに響き、レナは玄関を振り返った。半分ほど読み進んでいたイーゼル文庫をソファに置く。客が二階に上がってくるわけはないし、レナを訪ねて人がくることなどほとんどない。荷物の受け取りは店でやっていたし――と、ここではたと思い出す。

「そうだった。お店は閉めていたんだっけ」

 注文していた発送用の梱包材が届いたのかもしれない。レナは玄関を開けて、目の前に立つ男に目を瞠った。

 雲間から覗く、燃えるような夕日を背にしてラファエルが立っていた。日に焼けた浅黒い肌に人懐こい笑顔を乗せ、ほんの少し呼吸が乱れていた。

「朝寄ってみたら店が閉まっていたし、ここんとこずっとそんな調子だろ? 心配になって顔を見に寄ってみた」

 驚いた顔を見せるレナに、ラファエルは自分がトラックを停めた場所を視線で教えながら言った。

レナもその視線を追い、路上駐車の列の中にラファエルのトラックをみつけるとすぐに視線を戻す。

「店はしばらく休むつもりなの。事件が続いているから……用心、というか。まぁそんなところね。納品日でもないのにわざわざ寄らせて悪かったわ」

「気にするなよ。安くていい花がかなり手に入ったし、お裾分けも兼ねてだから営業の一環だと思ってくれればいいさ」

「……え」

 レナの表情がわずかにこわばる。

 ラファエルからは注文の花以外にもたくさんもらっていた。大げさな量ではないし高価な花というわけでもないが、頻繁に贈られている気がする。新しい友人の真意を測りかねて、レナは戸惑いを隠せない。

「もしかして彼氏に浮気を疑われてる?」

 からかうように訊ねるラファエルの足元で、彼のスニーカーが砂を食む。じゃりという音が、日暮れの冷えた風と共に家の中へ入り込んでくる。

「そういうわけじゃないけど」

 頬を掻きながら、レナは視線を落とした。

 肝心の恋人は、部屋に飾られた花を見てベンへの嫉妬を露にしたのだが。

子供のようにむくれたルイスを思い出して、レナのこわばりが緩む。

「レナの恋人は心が広いな。俺なら心配で束縛するかも」

 新緑のように鮮やかなグリーンの瞳を輝かせて、物騒なことを吐いてにかりと笑う。

「ラファエルが彼氏じゃなくてよかった。束縛はイヤだわ~」

「陽気な花屋からのおまけだ。下心満載の、な。これからも末永いご利用を期待しての袖の下ってヤツだよ」

 無地の紙で無造作に包まれた花の束を、ラファエルは突き出すように差し出した。

 青紫の花弁をわずかに広げた矢車菊――

「すごい偶然ね。この花、あたしが一番好きな花なの」

 レナは相好を崩し、すっかり緩んだ笑顔を新しい友人に向けた。

「せっかく寄ってくれたんだから、コーヒーでもどう?」

 玄関のドアを挟んで立ち話を続けるには寒すぎた。

 ラファエルは、厚手のジャケットを着ているとはいえ陽はすっかり落ちてしまい、おまけに風まで吹いてきて凍みるように寒い。

 寒さで歯を鳴らしているラファエルに、レナが謝る。

「いつまでも表に立たせてごめんね」

「平気、平気。それ渡したら帰るつもりだったし」

 鼻をずずっと吸いながら、ラファエルが手を振る。レナはすぐに唇を尖らせた。

「コーヒーくらい飲んで行ってよ。もらってばっかりだと居心地悪いから。そのくらいさせてくれてもいいんじゃない?」

「……レナがそこまで言うんなら。お邪魔させてもらおうかな」

 ラファエルがドアを後ろ手に閉めようとした時だった。

「ちょっと待って!」

 閉じかけたドアが強引に引き戻され、焙煎された香ばしい豆の香りがふわりと飛び込んできた。

 振り返ったラファエルの横に、親しい男の顔が並んだ。

 毛先が少しカールした柔らかな金髪と、濃紺のステンカラーコート。首元にはざっくりした編み目のマフラーがぐるりと巻かれている。

 花を持ってとつぜん訪れたラファエルに見せたのと同じように、レナはカミルにも驚いた顔をした。今日はよくよく人が訪ねてくる日だ。

「豆を取りに来るの、忘れていただろう? はい、これ」

 差し出された紙袋をみつめながら、レナは一瞬ぽかんと口を開けた。ゆっくり首を傾げさせ、

「豆はこの間買ったけど……」

 そう呟いた直後、茜色の虹彩がくるんと瞬いた。思い出したらしい。ぱっと顔が赤くなる。

「この間買ってくれたのは試しに飲んだヤツだろ。結局いつもの豆もいるからって連絡してきたのに、その様子だと忘れていたみたいだな」

 呆れたように笑うカミルだが、その視線は温かい。

 レナは叱られた子供みたいな顔で謝るが、カミルは微笑んだままだ。

「どうせ家に帰る途中だし、また友達といっしょにコーヒーを飲みに来てくれればいいよ」

 カミルは、さっきからずっと自分を凝視しているラファエルに視線を向けた。

 灰色がかった青い虹彩を向けられて、ラファエルは弾かれたように一歩下がった。

「それじゃ、また」

「あ、支払い」

「この次でいいよ。夜になると冷えが厳しくなるから早く帰りたいからね。ふふ、年かな」

 じゃあ、と右手を翳したカミルは肩を竦めて階段を下りていった。闇にカミルが溶けていく姿を見送ると、ラファエルはドアを閉めた。

「わざわざ配達してくれるのか?」

「カミルの家がこの先のアンツェンベルクだから、帰りがけに配達してくれることがあるの。……良くしてもらってる」

 申し訳なさそうに答えるレナだが、他人の温かさにはいつも感謝している。恵まれてるよねと目を細めて笑った。

「コーヒーは次の機会にするよ。今日はこれで帰る。元々、花を渡したかっただけだから。じゃ、また」

「は? え? 急に遠慮するなんてラファエルらしくないんじゃない?」

 いつもの彼なら、やっと美味しいコーヒーが飲めるとスキップ踏んで部屋に入ってきそうなものなのに。

 しかし、ラファエルは俯いたまま口を閉じた。

 レナは矢車菊を手近なグラスに生けながら、帰ると言ったきり動こうとしないラファエルの反応を待った。

 いつも底抜けに明るい男でも、なにか思うことでもあるのだろう。どうしても帰るという男をレナは引き止めるつもりはない。

 けれど、ラファエルはじっと玄関に立ったままで動かない。まるでレナに引き留めてほしいようにも見えた。

 吊下げ棚から手挽きミルを取り出し、カミルが持ってきてくれた紙袋の封を開けた。焙煎された香ばしい香りが部屋中に行き渡る。その香りはラファエルの鼻先にもとうぜん届いた。

 ゆっくりとラファエルは顔をあげ、キッチンで豆を挽き始めたレナをみつめた。手際よく豆を挽き、ハンドドリップでコーヒーを淹れていく。手慣れたその様子にラファエルは見惚れた。

「穴が開く」

 手元の作業は止めずに視線だけをラファエルへ向けた。

「そんなに見られたら、あたしの顔に穴が開くような気がする」と笑う。

 なにか言いたげな表情をしたラファエルだが、ふっと息を吐いて上着のボタンに指をかけた。

「こんないい匂いで誘われたら飲まずには帰れないよな」

「でしょう? 淹れ方はカミル直伝だからぜったい美味しい。保証する」

 ドリップポットからペーパーフィルターを通り、サーバーへ落ちていく琥珀色の液体をみつめながらレナは鼻高々と言った。

「勝手に寛いでていいよ」

 レナはリビングのソファを指した。しかしラファエルはそちらへ行かずにキッチンへと足を運ぶ。

「ここで飲ませてもらう。カップはどこ? 手伝うよ」

「カップは後ろのガラス棚にあるから、テキトーに出して……あ、来客用はその横の」

「普段使ってるヤツでいいよ。友達なのに来客用とか切ないこと言うのやめて」

 ラファエルはマグカップを両手に持ち、眉を寄せて笑った。

「ま、ラファエルだし。いいか」

「ラファエルだしってなに?! レナの中の俺の立ち位置がすっごい気になるんだけど」

 大げさに騒ぐラファエルのカップにコーヒーを注ぎながら、レナがはしゃいだ声をあげる。

「なに言ってるの? ラファエルは数少ない大事な友達だから、安心して」

 けらけら笑うレナに、ラファエルがペリドットの双眼を向ける。

「俺にとってもレナは大事な友人だから」

 言いかけた言葉を飲み込んで、ラファエルは口を噤んだ。ガラスシェードのフロアスタンドから注がれるオレンジ色の明かりの中で、ラファエルの表情は暗く沈んで見えた。


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