194_勇者と蟲魔と安息と倒錯
――深夜。
窓の向こうに灯る明かり……客室に据え付けられた魔力灯も消えて久しい、静まり返った真夜中。人蜘蛛のお目付け役として馬舎での宿泊を引き受けていたヴァルターの聴覚が、小さな物音を捉えた。
瞬間的に意識を覚醒させ、傍らの白い剣に音も無く手を伸ばす。物音の原因、周囲の状況を確認するため能動探知の行使を試みようとしたところ。
「き。大丈夫、あります」
「……そうか」
探知魔法を放つよりも先に、すぐ傍に佇む巨躯の蟲魔から『待った』が掛かる。
華奢で可愛らしくもある上半身に反して、下半身は巨大な蜘蛛そのものである彼女。八本の脚先は武器であると共に、それぞれが微細な振動さえも感知する感覚器である。特に地面を伝わる振動である『足音』に関しては、人(?)一倍に鋭敏だった。
その彼女が捉えた物音の正体、『大丈夫』と判断されたその相手は。
「……悪ィ。起こしたか? ってうわスッゲ」
「気にするな。どうした」
夜中の暗がりにあって尚明るい、透き通った空色の髪と瞳。勇者ヴァルターの相棒、はぐれ長耳族の少女ネリー。
床から壁から繊細な糸で覆われた馬舎の中。ヴァルターの寝床を覗き込んだ彼女は思わず感嘆の声を漏らし、四方へきょろきょろと視線を巡らせている。……まぁ確かにその気持ちはよく解る。
そもそも蜘蛛の糸というものは強度と汎用性が極めて高いらしい。目に見えるか見えないか程度の極細糸であっても大人の男を絡め捕り、あるいは体勢を崩したり……それどころか複数本を撚り合わせれば吊り上げることさえも可能なのだ。
加えて……賢い彼ら彼女らは粘着する糸としない糸、両者を使い分けることさえも容易くやってのける。蜘蛛の巣もこの二種類の糸を使い分けることで、跳び込んだ獲物を捕らえつつも自分は縦横に動き回れる構造を作り出すという。
これらの性能を遺憾なく発揮し……四方八方に糸を張り巡らせ、隙間を塞いだ糸の壁を作ることなど造作も無いことなのだろう。仄かに光を帯びているかのような真っ白な小空間は今や、隙間風を完全に遮断しながらも床面は程良いクッション性を備えた、上質な寝床へと様変わりしていた。
しかしながらこれは大丈夫なのか。宿の裏手に巨大な蜘蛛の巣……いや繭が出現したようなものだ。宿の従業員や他の客が見たら腰を抜かすだろう。
……というネリーの、ある種当然とも言える疑問だったが……なんでも綺麗さっぱり取り除くことを視野に入れた上で営巣しているらしい。糸の構成因子に意図的に脆弱性を持たせているため、鍵となる因子を含んだ魔力を流し込めば瞬く間に融解、容易に撤去できるのだとか。
「へぇぇ……器用なもんだな……」
「き。人族。住居、快適、環境。わたし知る、しました。ですので」
「正直驚いたけど……助かってる。地べたで寝るのも覚悟してたからな」
「……そっか。よしじゃあヴァル、代われ」
「は?」
見れば彼女が羽織っているのは、野営用の毛布。またその装いも館内着や部屋着などではなく、それどころか武器と身辺小物をも携えている。それは屋外活動に適した……というよりは、言うなれば夜営を前提とした格好であった。
本来であれば彼女は館内で……快適極まりないであろう寝室で休んでいる筈。ライアに抑えて貰った客室には三つの寝室が備わっており、彼女はノートと同じ寝室を巡ってニドとアーシェと熾烈な争奪戦を繰り広げていた筈であった。
人蜘蛛のお目付け役を任ぜられた自分とは異なり、安眠が約束されていた筈の彼女。それが……何故。
「見くびんなよ相棒。ロクに休んで無ぇの知ってんだぞ。……ホレ。入って左手の寝室な。メアが眠ってっから静かにな」
「…………良いのか?」
「馬っ鹿。お前一人だけに貧乏籤押しつけっかよ。……思ってたより快適そうで拍子抜けしたけどな、寝台で眠れるならそっちの方が良いだろ?」
「まぁ……そうだな。…………悪い、助かる」
部屋番号の刻まれた木札と、そこに繋がる真鍮の鍵をヴァルターに手渡し……勇者の相棒はニカッと笑う。
「明日から『お仕事』だろ。お前にも体調整えて貰わんとな。……まぁ私がこの子に興味ある、ってのも無くは無いんだが」
「最後ので台無しだぞクソ百合長耳族」
「じょ、冗談だって。そんな汚物見る目すんの止めろって」
「お前の場合冗談に聞こえないんだっつの……」
言っておきながら……ヴァルターとしてもこの申し出はありがたい。
せっかくの高級宿にチェックインしておきながら裏庭で眠らなければならないというのは正直非常に悔いが残っていたし、何よりもネリーの言う通り寝台で眠れるというのは……今の自分には何より魅力的なものだった。
……少々、ほんの少々邪な気配を感じなくも無いが……こんなんでも勇者一行の一員である。おかしな真似はしないだろう。
「じゃあ……お言葉に甘えさせて貰うわ。悪い」
「おう気にすんな。明日からキリキリ働いて貰うからな」
「……お前も働くんだからな?」
「わーってるよ。……ホラ行け行け」
追い払うように手をひらひらと振るいつつ苦笑するネリーに、こちらも苦笑し思わず頬が緩む。決して短くない付き合いの彼女だが、何だかんだ面倒見が良い性格なのだ。
知識も経験も豊富、強力かつ有用な魔法を使いこなし、体術だってそつなくこなす。従者のシアも含めての多角的な索敵・牽制は真似出来る者など居やしないし、女の子らしからぬ粗暴な言動に反して気配りや心配りは女性的であり……長所だけ見れば非常に『良くできた娘』であるのだが。
(…………本当に……冗談なんだよな?)
だが……彼女には『小さい少女や可愛い少女や小さくて可愛い少女を好み、性的にお近づきになろうとする』という趣向が……長所を補って余りある程に残念な性癖が存在し、厄介なことにそれがひときわ異彩を放っているのだ。
人外であるとはいえキーの容姿が整っているのはヴァルターも認識しており……そもそもネリーの嫁とて人外の少女、ヒトをも喰らう人鳥である。魔族であろうと可愛ければ手を出すネリーが、キーに興味を示さない筈が無い。そういう知識に疎い人蜘蛛の少女に身内が毒牙を掛けんとも限らない。毒牙を持つ魔族を毒牙に掛けるだなんて笑えない冗談だ。さすがに冗談だけにしておけよ糞百合長耳族。
ほんの一瞬前までは相棒の気配りに感動していたヴァルターであったが……ほんのわずかな間にその思考は疑念一色に染まっていた。
本当に部屋で休んで大丈夫なのか。キーとネリーを二人(?)っきりにしてしまっても大丈夫なのだろうか。結局不安を拭いきれないまま、しかしながら安寧を求め……ヴァルターは寝台を求め館内を進んでいった。
「……なぁ、キー。…………おっぱい、触って良いか?」
「き、きき。おっぱい。胸部、乳房、認識します。触って、良いか。疑問、問題ない、します」
「ヨッシャァ!!」
「きき、き。ネリー、趣向、特徴。判断します。記憶します」
戦場では背中を預ける者どうし、なかなかに気心が知れているようだ。ヴァルターからの信頼が厚いネリーは……全くもって期待通りに行動して見せた。
……翌朝。
いつの間にか自分の寝床に侵入し爆睡していた白い生物にドン引きしながら起床を果たし、侵入者たる白い生物を丁寧に押し退けたヴァルターは、若干の不安と共に裏手の馬舎を目指す。
力無くへたり込んだ彼が目にしたものは……相変わらずの無表情ながら糸膜の床に寝そべり、どこか困惑気味に可愛らしく小首をかしげる人蜘蛛の少女と……
「きき。ヴァルター。おはよう、ございます。します」
「………………ゴメン。本っ当ゴメン」
一糸纏わぬキーの上半身に抱き着き谷間に顔を埋め涎を垂らしつつだらしない顔で眠りこける、この上なく残念極まりない……しかしながらある意味予想通りの、思った通りの相棒の姿であった




