192_勇者と蟲魔と臨時労働
結論から言おう。
ヴァルター達一行は一般旅行者向けの宿を探し求め、馬車(?)を牽きつつオーテル東区を練り歩いたが……ものの見事に全敗。片っ端から断られ続けた。
勇者ヴァルターとその従者、ならびに外見だけは可愛らしい少女(?)三人組は、別段問題無い。
四本腕の幼女は外套を被り目を閉じていれば問題無さそうであり、人鳥の少女もまぁ……危険が無いだろうと判断されれば、なんとか問題無さそうであった。
……しかしながら。
この世界は多種多様な人種・種族が共存しているとはいえ。
中には人族種の倍近い身の丈の種族も存在するとはいえ。
さすがに……さすがに軍馬サイズの者を受け入れられるようには、この世の建物は設計されていなかった。
「き、き、き。わたし、申し訳ない。謝罪します、しました」
「きー、ちがう。わるい、ちがう。あるたーのわるい」
「俺のせいじゃ無ぇだろ!?」
商人やその護衛や従者、更には狩人などなど……多くの人々が出入りする旅行者向けの宿屋に、八本脚の巨体を誇る魔族が屯していては色々と問題だろう。
荒事が不得手な人々は、異形の存在に恐怖を抱いたとしても仕方が無い。となれば、そんな恐ろしげな宿からは客足が遠のくであろうし……妙な噂が蔓延れば、その後の経営にも支障を来す。
宿の主人は当然、余計な火種は抱え込みたく無いだろう。目にも明らかな人外を断ったとて、責めることなど出来やしない。
「ああ畜生……おいヴァル! 何とかしろ!」
「だから! 俺悪く無ぇだろ!?」
「き、き、き、申し訳ない、します。わたし、謝罪。ヴァルター、申し訳ない」
「かわいそう! きー、かわいそう! あるたー!」
「ああもう! 悪かった! 俺が悪かった!」
「……難儀よなあ」
「……苦労する……えす」
「……ヴァルターさま……」
温泉を堪能しようと勇んで来たものの、お目当ての浴場はおろか今夜の宿さえ未だ見通しが立っていない。この状況にはさすがに作戦立案者のネリーとて予想外……懸かっているモノがモノだけに、心穏やかでは居られなかった。
オーテルの街に入ってから、まだほんの数時間。昼飯時にもまだ早い。
しかしながら早くも途方に暮れ始め、行く先に暗雲が立ち込めるヴァルター達。付き合わせてしまっている近衛騎士二名への申し訳なさだけが、時間と共に着々と積み重なっていく。
「うう……温泉が…………美少女の柔肌が……」
「お前本っ当残念だよな……」
「だってよぉ……お嬢のおなかが……ニドのお」
「止めろそれ以上言うな」
「それにアーシェの脇も気になるしよぉ……キーのおっぱ」
「黙れ!! 止めろ馬鹿!!」
人蜘蛛の牽く馬車(?)の御者台で半ば血走った目を四方へ巡らせながら、必死の形相で宿らしき建物を探すネリー。見ての通り相当参っているのだろうか、欲望が余すところなく溢れ出てしまっており……護衛の近衛騎士二名は先程から気まずそうに顔を背けている。隣に腰掛けドン引きしているヴァルターの様子など気にする素振りも見せず、長耳族の少女は藁にもすがる思いで探し続ける。
とはいえ……ヴァルターも本日の宿が無いという状況に、思うところが無いわけでもない。
馬車(?)の荷台で大人しくしている少女達(?)は当然のことながら……自分自身も連日の野営と人目を憚っての強行軍、さらに遡れば宿場町エーリル郊外での『魔王』との初戦に始まり王城への強硬突入から謁見の間での最終決戦に至るまで、休憩らしい休憩を取れていないのだ。
相当の疲労が蓄積していることは疑いようが無く……正直なところ『温泉』という響きに魅力を感じる部分も、決して少なくは無い。
さすがに、相棒のように犯罪一歩手前な思考に染まることは無いが……何よりも気を抜ける環境で休みたい、ていうかいい加減に休みたい、肩の力を抜いて羽を伸ばしたい、というのは……心の底から一切偽らざる本音であった。
民のために剣を握る決意を固めた『勇者』の、そんな切なる願いが届いたのだろうか。
慈悲深い女神様は……哀れな勇者一行を見放すことは無かったようだ。
「……あら? ネリーサんジゃないでスか?」
「あ? …………ああ!! ライア!! いいところに!!」
「また珍妙な装いでスね、ネリーサん。……勇者様も、御無沙汰シておりまス」
「……ああ! カリアパカの商会代表さんか!」
途方に暮れる彼女達に声を掛けてきたのは、中性的な顔に穏やかな笑みを湛えた若々しい青年だった。垂れ目がちの顔に特徴的な丸眼鏡を掛けた……湖浜の砂のように淡い黄色の髪と同色の瞳を持った、物腰の柔らかそうな立ち姿。人好きのしそうな笑みと共に手を振る彼は、ネリーの紛れも無い同胞。
歳の頃は……見た限りでは、二十代の前半。
しかしながら彼の外見的特徴、長く尖った耳を備える種族特有の性質からして……恐らくその推定は誤りであろうことは容易に想像出来るだろう。
「クフフフ……お言葉でスが、当『ヒメル・ウィーバ商会』は国内外各地に拠点が御座いまス故。カリアパカの支店も、当商会のいち拠点に過ぎまセん」
「ってことは……あの、もしかして……この町にもコネが……?」
「其れは、当然。……何やらお困りの様子でスね? 私で宜シければ、お伺い致シまシょう。力になりまスよ」
「やったぞヴァル! 勝ち確来た! お嬢の裸体が!!」
「気が早ぇよ静かにしろ残念長耳族!!」
狂喜乱舞する勇者と従者を温かい目で眺めながらも……護衛として侍る近衛騎士、ならびに極めて大人しい稀少魔族を目敏く見遣る、遣り手の商会頭取。
そこに儲けの香を嗅ぎ取って大小打算の色こそ見え隠れするものの……旧知であるネリー、ならびにお得意様である『勇者』一行の助けになろうという意志には、どうやら偽りは無かったようだ。
ネリー同様はぐれの長耳族であり、大商会ヒメル・ウィーバを取り仕切る……『嘘吐き』を名乗る青年。
彼は予想外の再会を喜びながら……奇特な馬車を引く一団を率い、勝手知ったる様子で鉄工都市を歩んでいった。
………………………………
「まぁ……とはいうものの、我々が宿屋を経営シている訳では無いのでスが……」
そう前置きを述べたライアに案内されたのは、オーテル中心部の一角に佇むひたすらに立派な宿。
一目見て一般人の出入りする宿では無いと解る、圧倒的なその佇まい。接待や外交の場として用いられても何ら可笑しくない、いやむしろ用いられているのだろう、ぶっちゃけ非常に身分不相応であろう超高級宿に……魔族三人を除く全員が――近衛騎士の二名さえもが――ものの見事に度肝を抜かれていた。
「いやいやいやいや待て。ライア待て。正気か?」
「正気も商機でスとも。ご心配なサらズとも、御代は此方で持たセて頂きまシた。……明日から行って頂くお仕事の、ほんの前払いでスよ」
「……ネリー……お前の知人スッゲェのな」
「スッゲェな……私こんな知人居たんだな……」
……そう、『お仕事』の前払い。
ここへ来るまでの道中、ヴァルターはノート達との協議の上で、ライアより『お仕事』をひとつ請け負っていた。渡りに船というべきか……ライアによって提示された仕事内容は、ヴァルター達一行(というよりはネリー)の目的を叶えるにあたり、どうやら非常に近道であるらしかった。
何でも……道すがら語られた、ネリーの欲望が随所に滲み出た計画。どこか桃色なその計画であったが……この鉄工都市オーテル内でそれを成し遂げることは、非常に困難であるらしい。
考えてみれば無理も無いだろう。要は先程の宿屋の二の舞である。武器や防具はおろか、碌な着衣も身につけぬ『浴場』という空間。無防備を絵に描いたようなその場において魔族と鉢合わせしたとなれば……その混乱は計り知れない。
一目見て異形と解るキーの下半身を直視し混乱に陥った婦女子が、我先へと表へ逃げ出しでもしたら……更なる大混乱となるであろうことは容易に想像出来るだろう。
つまりは……オーテルの公衆浴場において、キーとアーシェの裸身を存分に堪能することは、実質不可能である。
だからこその、『お仕事』。
ライア率いるヒメル・ウィーバ商会が新たに乗り出す開発事業。鉄工都市オーテル近郊で行われる、今回の『お仕事』。
それは……新たな源泉の開発、および安全確保。
最近発見されたらしい源泉から導水管を引き、目的地まで湯を運ぶ手筈を整える土木工事、およびその近郊の警戒ならびに作業員達の護衛。
作業の手筈は粗方整っているらしく、先発組は既に着工しているとのこと。第二陣の作業員は既に確保されており、護衛要員の調整を残すのみとなっていたようだが……これがどうにも集まらない。既にスケジュールは若干押し気味なのである。危険を押して強行すべきか、それとも万全を期すため護衛の人数が揃うのを待つか。決断を迫られていたところらしい。
そんな状況で邂逅を果たした、ライアと勇者一行。ヴァルターというよりもネリーはこの誘いに跳び付き、『町中で入浴できないのなら町の外で湯浴みしよう』という……常識そっちのけの大変大胆な計画をおっ建ててしまったのであった。
「まぁ、ともあれ……本日はこちらの宿にてお休み下サい。長旅でお疲れでシょう。……あっ、騎士様がたも御部屋を押さえておりまス。どうゾお使い下サい」
目に見えてテンションが上がった女子組と、密かに喜色を浮かべる騎士二名。降って湧いた最上級の寝床に気を良くした一行は、これから始まる『仕事』への熱意も否応なく高めていった。
……ごく一部を除いて。
「……ごめん。本っ当ごめん。申し訳ない」
「ええ、と……そうでシたね。……サすがに物理的に収まらないのはどうシようも……」
「ききき……わたし、状況、します。仕方ない、理解出来ます」
最高級の宿、最上級の部屋であったが……当然、前提となるのは人族あるいはそれに準ずる体格の人々である。例によって軍馬程の体躯を誇る人蜘蛛を受け容れられるようには造られておらず……結果として一行の中で彼女一人(?)だけ、引き馬用の馬舎へと割り振られてしまった。
「ソれと……勇者様、大変申シ上げ難いのでスが……」
「ああ……大丈夫。なんとなく予想付いてるから。……覚悟出来てるから。大丈夫……」
「……ええ、と……恐れ入りまス……」
……加えて。いくらライアの伝手で押さえて貰った寛大な宿とて、巨体を誇る魔族を放置したがる筈も無い。手綱を握る者が近くに居ること、騒動や事件を巻き起こさないこと、以上は当然のように厳命されており……つまりはヴァルターがキーの傍で一夜を過ごすことが条件付けられていた。
キーの傍ら……つまりは、馬舎で。
「き、き、き、ヴァルター、寝床。安心する、下さい。わたし、糸。作る、しますので」
「…………君は本当良い子だよなぁ」
「きき。判断。褒め言葉。き、き、き、感謝する、します」
最高級宿の馬舎での一夜を宿命付けられた『勇者』は……何度目とも解らぬ乾いた笑みを零すのだった。




