118_黄昏の大鷲と不可避の災難
本拠点の再起動を図り、今まさに軍備を整えんとしていたフレースヴェルグであったが……突如として拠点に現れた幼女型生命体により、その方針転換を余儀無くされた。
別の存在であると――『王』の身体を引き継ぎ、志こそ同じくしていたとはいえ――非常によく似てはいるが別人であると、理解してはいるものの。
僅かとはいえ、敬愛する『王』の遺志を継いでいると知ってしまった以上……無下に扱うことは出来なかった。
…………追い払うことなど、出来なかった。
彼らの主、『魔王』では無い。
道を同じくすることは受け容れられず、それどころか敵対組織の筆頭に付き従っている。
非常に、非常に業腹ではあるが……だからといって本人の望みを捻じ曲げることは――少女が『王』では無いとはいえ――彼の忠誠心が赦さなかった。
…………だからこそ、彼は困惑していた。
[……貴嬢。…………何を、考えている。]
「…………やすらぎ」
[………………理解に苦しむ。]
フレースヴェルグの全身を覆う数多の羽毛。それらは爆発的な急加速と微細な戦闘機動を補助すると同時、一枚一枚が自律起爆式の破砕魔法を秘めた、攻性の鎧でもある。
しかしながら非戦闘状態、待機時には……その自律破砕魔法は休眠するよう、彼自信の手で制御が成されている。
でもなければ……身体を休めようと床に伏せば床が砕かれ、城内で誰かに触れればたとえ同胞であろうと弾け飛ぶ……文字通りの厄介者となりかねない。
いかに『神話級』などと持て囃されようと、他者ないし他物と接触せずに生きていくことなど、苦でしかない。
フレースヴェルグは紆余曲折の末、この技能を得るに至ったのだが…………
敬愛する『主』と同じ顔の幼女に首後ろに跨がられ、胸下に潜り込まれ、翼でその身を覆わされるとは……
こんなにも懐かれるとは、思いもしなかった。
「………………あったかい」
[………左様か。]
先程の交渉の結末。……少々難解過ぎたらしいフレースヴェルグの宣誓を、泣きそうな顔したトーゴが必死になって訳し…………その内容をやっとのことで理解すると共に――『へにゃり』とでも形容するのがぴったりであろう――全身全霊をもって脱力してみせた、眼前の白い幼子。
一通り感謝の意を述べたかと思いきや……何事かしきりにそわそわとし始める幼子と、注がれる熱い視線。
明らかに何かあるであろうその様相を問い質し、そこで彼女に明かされた要望・要求を軽い気持ちで受け入れ(てしまっ)た結果。
目を輝かせて飛び込んできた幼子に、全力でもってもみくちゃにされた。
ロクな抵抗など、出来なかった。
「とり! とり! ふわふわ、もこもこ……んふぅぅぅ」
[………誉めに与り、光栄。]
ネリーの眷属、人鳥のシアほどきめ細かく、柔らかくは無いものの……特筆すべきはその圧倒的なボリューム。大の字で飛びついても、馬乗りになっても、顔面を埋めても………余裕をもってふっくらと押し返してくる程の、圧倒的包容力。
当初こそ面喰らい戸惑いを見せていたフレースヴェルグであったが……もとより殆ど身動きの取れぬ身である。自らの行動を妨げるものでは無いと判断し………気にしないことにした。
一方おいてけぼりを喰らった風のトーゴは、あまりにも理解に苦しむ――自分の生みの親が『兄』を自称する謎の幼女型傍迷惑生命体に好き勝手されているという――その光景に一人……
おろおろあたふたと戸惑いを隠すことが出来なかった。
………………………………
短くない時間の後。
緊張の糸が解けたのか、はたまた単に遊び疲れただけなのだろうか。いつの間にやら翼の下で静かになっていた……お尻を丸出しですやすやと眠りに落ちていた、白い幼子。
「………主」
[……………有無。]
たった数日前には命を脅かされ、たった数区前は侵略するか否かの交渉を行っていたとはとても思えぬ程に……全ての警戒を解き、脱力し切った様子の少女。
とても演技だとは思えない。彼女が嘘を言っているとは思えない。
………が、しかし。
彼女の提案、『ヒトによる魔族の保護』が信じるに足るかどうかは………正直なところ疑わしい。
彼女の願いが『机上の空論』だ、などと切り捨てたくは無いが――しかしながら今尚続くヒト共の縄張り争いを見る限り――魔族の保護にまで手を伸ばせるのかは、率直なところ疑問でしかない。
彼女の手前、提案を受け入れてはみたものの………手放しで安心することなど出来ない。
……そのための、保険。
ヒトによる保護が成されなかったときのための………魔族たちの後ろ楯となるべき、絶対的な力を持つ『保険』。
[………『魔王城』。未だ制御下に措けたとは……到底言い難い。………我は、今暫く動けぬ。]
「承知しました。……錬成棟は当号にお任せを」
[管理権限持ちを、もう一体。組成は貴様と同一で構わぬ。………其れ以降は、貴様に一任する。必要と考える個体を順次、製造開始せよ。]
「御意に」
用いることが無いままであれば、其れに越したことはない。
だが……もしも必要に迫られたとき………対処できるだけの能力は、保持しておくに越したことは無い。
なにしろ、人手は未だ二人しか………もとい、一体と一人しか居ないのだ。
どれ程『一体』の能力が高くとも、出せる手は限られる。頭数を揃えねば、何をするにも手が足りない。
現状の『魔王城』出力から言えば……『国』や『軍』を形作る程の勢力までは、さすがに困難であろうが……
少なくとも『町』、最低でも『村』程度の規模までは、なんとか整えたいところだ。
「………それはそうと…………主」
[何だ。]
「その……………姉上は……」
[…………手荒な真似など、出来ようか。]
本心では理解していながらも――本能的に抗えないとでも言うのだろうか――この得体の知れない真っ白い幼女に対しては、抵抗する気力が今一つ湧いて来ない。
彼女の思惑が我らの方針を妨げない限り、我ら『魔に類する者』に実害を及ぼさぬ限り……魔王の残滓を纏う少女の行く道を妨げることなど、出来やしない。
「…………つまりは、その……」
[止むを得まい。]
「……嬉しい……のですか?」
[……………真逆。]
人族は憎い。今尚憎い。一千と七百余年を経て、未だその感情は消えやしない。
……だが、彼女だけは。この子だけは。仇敵に与して居ようとも恨めやしない。
袂を分かつとはいえ、無防備に眠る愛らしい顔は……忘れもしない『王』のもの。
………だからこそ、歯向かえない。歯向かいたく、無い。
彼女の機嫌を害するような真似は……出来ない。
………つまり。
「物凄く、物凄く深い眠りに落ちているように見受けますが……」
[…………止むを得まい。]
「…姉上……あとどれ程で目が覚め」
[知らぬ。貴様は行動に移れ、ヴェズルフエルニエ。]
[………………………………御意に」
彼女が、自ら目覚めるまで……微動だにすること叶わない。
……彼女の眠りを、妨げるわけにはいかない。
魔力発動筒の排熱とフレースヴェルグの体温によって温められた床は、その硬さに反して意外な程の快適性を誇り……『神話級』天然羽毛掛布の加護もあり、今や心労から解き放たれた少女に、健やかな眠りを提供していた。
彼女が眠りから目覚め、寝ぼけ眼で極至近距離のフレースヴェルグを視認し……
眠りに落ちる直前のことをすっかり忘れていた彼女が、聞くに堪えない情けない悲鳴を上げるまで――フレースヴェルグが微動だに出来ない戒めから解放されるまで――実に半日を要したのであった。
それら一連の遣り取り、一連の流れを……最初から最後まで人知れず観察していた存在に……
そこで交わされていた会話内容さえも、記録していたモノが居たことに………
ノートは勿論トーゴも、フレースヴェルグでさえも………気付くことの出来た者は、誰も居なかった。




