117_少女と魔鷲と和平交渉
遠い遠い昔に滅ぼされた魔の国………それを統べる、全能たる『王』。
その御姿とよく似た、愛らしい唇から紡がれた『願い』。
それは………今まさに、千と幾百年ぶりに『魔』による反抗の狼煙を上げんと、その身を削り企てでいたフレースヴェルグにとって…………到底許容出来るものではなかった。
先日の立ち合いといい、今回の発言といい………やはり彼女は、随分と人族に肩入れしているらしい。
[………何故だ。]
「ぴゃ」
一体、何故。
我らが王と近しい………『魔』の王族に連なる身体を持つ者が、何故。
半ば無意識に嘴から溢れた言葉に、白い少女が見るからに竦み上がった。愛らしい顔は今や蒼白に差し掛かり、各所が微細に震え出す。
怖いのだろう。恐ろしいのだろう。………しかし、それでも退かない。
自らの意思で………自らの意見で、現世最凶の存在と相対する覚悟を決めた少女。
何度か唾液を嚥下し、何度か深呼吸を経て……やっと少女は言葉を返した。
「………わた、し。……めざめて、から………ひとり。……なにも、しらない。なにも、できない………だった」
ぽつり、ぽつりと………一言一言確認するように、しっかりと言葉を紡ぐ。
緊張と恐怖で押し潰されそうになりながらも、フレースヴェルグの視線を正面から見据え………自分の声を、意見を伝える。
「わたし、………ひと、たすけてもらう、だった。………わたし、しぬ、ちかかった。…………しぬ、わたし、いや。……たすけてもらう、………うれし、かった」
フレースヴェルグは、トーゴは、………『お願い』を聞いて唖然としつつも……頭ごなしに拒絶しなかった。
すぐさま首肯できない理由は様々あるのだろうが……
それでも、『ヒトと争わないでほしい』というお願いを………切り捨てることは、しなかった。
………話を、聞いてくれそうだった。
……………ならば。
「……わたし、なにも、できない。………ひと、いっぱい、……わたし、たすけて、くれた。…………だから」
世界広しといえど……『神話級』上位魔族に面と向かって意見できる者など居まい。
……面と向かって意見できる機会など、そう在るまい。
ならば………無駄にするわけにはいかない。
「……ひと。……やさしい、ひと、いる。いっぱい。………だから、あらそう、やめる。……ほしい」
言葉では伝わらなくとも。わたしの言葉は、未熟なれども。
魔の権能によって、意思は届いたはずだ。
わたしの想いは、伝わったはずだ。
………伝わったと思いたい。
「………わたし、……おねがい、します」
勢いよく、頭を下げる。
二人の魔族の息を呑むような気配が………頭越しに伝わってくる。
言葉を区切り、頭を下げてから……言葉の行き来が止まる。相変わらず重々しい呻き声を立てている周囲の機械に思考をかき回され、次第にぐるぐると目が回ってくるかのような………なんとも言いがたい、間。
フレースヴェルグとトーゴは……同調意識で会話をしているのだろうか。相談の声らしきものは聞こえない。
おそるおそる、様子を窺おうと頭を上げようとして………
[貴様は………何だ。]
「ぴゃっ」
[………その姿、その気配…………貴様は……何者、なのだ。]
低く、重い、フレースヴェルグの問い質す声に……心の臓が跳ね上がる。
口先だけの軽い言葉など、その場限りの薄っぺらい弁明など、一切通用しないであろう……あまりに鋭い本気の声色。
[我は………知っている。その姿は、その気配は、紛れもなく『我が君』のモノ。……『我が君』の、………我等が『魔の王』の姿を持つ貴様は、何者なのだ。………何を、望むのだ。]
「………わ、わた………………わたし、は……」
何者なのか。何を望むのか。
………何のために、生きているのか。
………とっさに答えることができない。
当然ながら……フレースヴェルグは魔王の姿を知っている。
魔王によく似た――まあ複製体だから当然なのたが――この姿かたちで、魔王と無関係であるはずがない。……そのことは、バレている。
下手な誤魔化しは、効かない。
きちんと納得して貰わなければ、誠意をもって釈明しなければ……わたしの願いを聞いてくれるはずがない。
かといって、ありのままを説明するなど……もってのほか。
ほかでもない、わたしはフレースヴェルグを一度殺した張本人……彼ら『魔に連なる者たち』にとっての仇敵そのものなのだ。
いくら今現在は話を聞いてくれているとはいえ………そのことが判明すれば、タダでは済まない。
わたし自身が何をされるのか解ったものではないし、ヒトとの和解など望むべくもないだろう。
……正直に全て話すわけにはいかない。
………だが、下手な誤魔化しは効かない。
そうして至った、結論は。
「わたし、は………せんせ…………まおう、さま。……たすけて、もらった。………わたし、からだ、しにそう、………からだ、まおう、さま、……わたし、もらった」
告げられた言葉に――細心の注意を払って地雷を除去しながら肝心な部分を暈しつつ告げた(いちおうの)真実に――フレースヴェルグが、目を見開く。
大丈夫、まだやらかしてはいない。大丈夫。
「……わたし、は………むかし、ない。……のこって、ない。…………わたしは……じぶん、むかし………わから、ない」
ヒトとの為に戦って死ぬ存在として生み出され、その生のほぼ全てを勝手気儘に弄られ、操られ。……しかしながら最後はヒトを見捨て、その只一つの役割すらも擲った。『勇ましき』を喪った、かつては『勇者』だったもの。
そこには、何も残らない。存在理由など、価値など……何一つとして存在しない。
………だが。
「せん、せい………まおう、さま。……わたし、もくてき、おなじ……だった。…………わたし、しぬ、ちかいとき………せんせい、さいごに……………わたしに、ぜんぶ、くれた」
断じて、偽りでは無い。
あのひとはわたしに……全てを、くれた。
言葉を選りすぐる必要などなく……あのひとはわたしにとって、かけがえのない恩人だった。
全てを諦め、死を求めていたわたしを見出だし――目的が同じだっただけ、単なる利害の一致だっただけ、たとえ便利なように使われただけだったとしても――わたしの願いを、その身を犠牲にしながらも……叶えてくれた。
意図せずして、瞼が震える。
視界がぼやけ、睫毛が重くなる。
フレースヴェルグは黙り込み、微動だにしない。トーゴ共々、わたしの話を聞くことに専念してくれているようだ。
「……わたし、おきる、した。………すこしだけ、まえ。………わたし、いま、なにをしたい…………わからない。……わたし、は……じぶん、………ない。……………わた、し、は……っ、………いま、なにも、……っ、……ないっ。……………っ、でも」
………だめだ。やっぱり慣れない。
割り切ることなんて出来ない。
忘れることなんて、絶対に出来ない。
あのひとを思い出すと………こころが掻き乱される。
「せん、せい……っ! わ、わた、し………みおくる、して、くれた……っ! …………ざいご、に………わだじ…………せんぜい、えが、お、で…………っ、ぎえ、ながら゛……」
[……………もう、良い。]
「………っ、………っひ、っ……ぜん、ぜ………」
止まらない。止められない。
感情が。想い出が。溢れる。飽和する。
処理限界を……越える。
………以前は――生前は――こんなに涙脆くは無かった筈なのに。
怒りも、悲しみも、わたしの心を揺らすことなど無かったのに。
………それが、どうだ。生まれ変わってからはてんでダメだ。困ったことに……感情の制御が追い付かない。少しも我慢ができない。
怒りも、悲しみも、非常にあっけなく………わたしの心を揺さぶっていく。
………ああ、そうか。
先生の教え……忘れていた。
生まれ変わってすぐのときに………慣らしておかなければ、いけなかったのに。
怒りを、悲しみを、堪えることができるように――運動機能や会話機能だけでなく――感情の制御も、練習しておかなければならなかったのに。
「…………っ、う゛う゛う゛う゛う゛」
「あ…………姉、上………」
情けない。
ほかでもない、自分自身が………情けない。
大切な先生の教えを忘れ、その場限りの快楽に浸って漠然と生きてきた。
何も考えず、綿密な計画も立てず、目標も望みも据えぬまま日々を過ごし………結果として、ヒトの世を危機に晒している。
わたしが目覚める前、何の不都合もなく平和だったこの世界の人々は……
わたしのせいで、その平和を失うかもしれないのだ。
………だから。
この和平交渉だけは、しくじるわけにはいかない。
「………っ、ごめ、なざい……わだじ、なにもの……………わから、ない。………ごめ、なざ、っ」
[もう……良い。貴様…………貴嬢が、我が君の同胞と解った。………其で、充分よ。]
「……姉上」
周囲の青白い無尽灯の明かりを受け………月明かりのような光を湛える二つ眼。
途切れることなくぽろぽろと滴を溢し、しゃくりあげながら切々と身の上を述べる少女に……根掘り葉掘り、一から十まで追求することなど出来ようか。
[一つ………答えてくれ。]
「………っ、…………んい」
これ以上質問攻めにするも偲びない。
……だが一つだけ、これだけは明確にしせておきたい。
この問いは、この答えは、この世界の命運を大きく左右すると言っても………決して過言ではない。
その、問いとは。
[……貴嬢は、『魔王』なのか。………『魔王』となるつもりは、有るのか。]
「……………わたし、は」
だが……答えなど解っていた。
聞くまでも無く、問うまでも無く。
それでも――万に一つ、億に一つの可能性だろうと――縋らずにはいられなかった。
願わずには……居られなかった。
温かく、心地の良い……彼女の傍らに在りたい、と。
しかしながらその願いは予想通り……
「…………ごめ、………なさい」
受け容れられることは無かった。
「ごめう、なさい。………わたしは…………ひと、と………いきたい」
[…………………そう、か。]
それ程衝撃は大きくないものの……無いといえば嘘になる。
だがこれで、割り切ることが出来る。叶わぬ夢を追い続ける必要も、無くなる。
紛れもない『魔王』の身体を持ちながらも、人に恩義を抱いた少女。
単に『敵』と判断するには容易いのだろうが………先程の様相を目にしてしまっては、そんな気も霧消してしまう。
………彼女の目覚めに立ち会えていれば。ヒト共ではなく、我等が彼女を導けていれば。……そう悔やまれてならない。
[…………条件を、出そう。]
「……んえ………?」
彼女は敬愛する『王』ではない。次代の『魔王』でもない。……それどころか魔に仇為す『勇者』に、力添えさえしている。
本来ならば耳を貸す必要など、存在し得ない。……その筈なのに。
(………変わった……のか。………我が)
聞き入れようとしている。取るに足らない小娘の願いを、仇に与する娘の声を。
らしくは、ないだろう。………だが。
[今代の、ヒト共。………優しいヒト。助けを施すヒト。……そう、言ったな。]
「………んい。…あっ、……はい」
守るべき主は、もう居ない。
守るべき民も、国も、もう存在しない。
今となっては……散り散りとなった同胞の末裔が、各地で細々と永らえるのみ。
[救って、見せよ。……魔に連なる者を、他ならぬヒト共の手で。今尚血を繋ぎ、滅びに抗う我等が同胞を………貴嬢が『優しい』と評する、ヒトの手で。]
「……………」
[……我等は、……『魔王城』の灯は、消さぬ。旗艦機能の再構築も、武力の配備も、止めはしない。……此は保険だ。だが。]
「…………………」
呆然と、口をぽかんと開きフレースヴェルグの宣言を聞き入る……白い少女。
その曇りなき瞳を正面から見据え、見上げるでも見下すでもなく真正面から視線を合わせ。
黄昏の大鷲、フレースヴェルグは………宣言する。
[我が名、フレースヴェルグと………我が主に誓い。ヒト共による我等が同胞への庇護有る限り。………ヒト共に害を加えぬことを、此処に宣言しよう。]
「…………ふれー、す……べるぐ……」
戦乱の真っ只中であった以前とは違い……良くも悪くも、戦は既に終わっている。再起動した旗艦機能も、元をただせば魔族の立場を確保するための一環であった。
それがヒト共によって為されるのなら。風前の灯である魔族の生が、ヒトによって保障されるのなら。
この………どこか放っておけない、親愛なる主の面影を持つ愛らしい少女に………賭けてみても良いのかもしれない。
……フレースヴェルグは、そう結論を下した。
…………のだが。
フレースヴェルグがほぼ全て譲歩して見せたというのに。当初の『お願い』のほぼ全てを受け入れたというのに。
肝心の少女の顔は、どこか浮かばない。
[…………どう、した?]
「………ふれー、…………んいい、……とーご。とーご」
「は? ………な、何だ? 何だ、姉上」
眉根を寄せたしかめっ面で、どこか不機嫌そうな顔で。
彼女は………言った。
「とーご。…………わかり、やすく、ゆって」
かつては『破壊の象徴』とさえも呼ばれた、『神話級』上位魔族とその眷族の青年は………
どう表現すべきか判断に困る、とても複雑な新たなる感情を………ここへ来て体得するに至った。




