107_進路と迂回とひさしぶり
湖とは……外海に面していない水面とは、本来波も穏やかなものである。
風を捕らえて進む小艇とはいえ穏やかな湖面を進む分には揺れも少なく、快適とまでは行かずとも心地よい船旅である………筈だった。
「呵々々! 悪くない!」
「うぉえ…………あぶ……」
「……っ、は…………っひ、……っひ……」
「大丈夫か……二人とも……」
「ツラそうだな……薬あるぞ? 水飲むか?」
「あ、あえ……あえ……」
普段は頭上に凛々しく起立している三角耳を力無く伏せ、顔面をいかにも気分悪そうな蒼白に染め……舟縁にへたり込む二人の獣人……カルメロとアイネス。
鋭敏な感覚器官を持つが故、呆気無くダウンした二名――意図せぬ揺さぶりに曝され三半規管を搔き乱された獣人達――彼らを慮り幾分速度は落ちたものの……無理もない、そもそも速度がおかしかった。
皆一様に引き攣った顔の船員たちが見詰める先。
今でこそ安全運航、のんびりペースを順守しているものの……
つい先程まで常識外れの速度と揺れを叩き出していた、その元凶。
「竜に船を曳かせるって……贅沢というかなんというか」
「本当。長生きはしてみるモンだなぁ……」
「お前ホント何歳痛ッテェ!!」
この巨大湖『ドゥーレ・ステレア』に棲まう一族、ククルカルエルの眷属たち。
主と崇める少女の帰還、ならびに敬愛する主人たっての頼みともあり、柄にもなく張り切って船を牽引している……四頭の水竜。
「……この絵面って、普通に考えりゃ俺ら絶体絶命だよな」
「普通はそうだろ。オレ最初喰われっかと思ったもん」
「一頭でもヤベェのに四頭だぜ……普通じゃねぇよ」
「竜に懐かれる天使ちゃんめっちゃ尊い」
お役目を失った漕ぎ手達が苦笑いを浮かべる中。
普通では無い小艇は湖面を順調に進んでいった。
………………………
調子を取り戻した小艇は重篤な船酔い患者を乗せたまま、巨大湖を順調に南下していった。
目指す場所は最寄りの港町……ではなく、その更に南。敢えて港町を迂回するように、素通りする進路である。
横目に通り過ぎる岸辺の町。洒落た建物が多く立ち並ぶ、賑やかな町。
湖岸の観光都市カリアパカでは、現在水竜に対する恐怖感は幾分薄れてきていた。
つい先日の大事件――水竜のヌシが大勢の人前、それもごく近距離に姿を現し……しかしながら一人の死者も負傷者も生じなかった騒動――その一件を皮切りに、カリアパカに長々と言い伝えられてきた民話が脚光を浴び始めたことが原因として挙げられる。
しかしながらそれでも……人々の恐怖感が薄れてきているといっても、同時に四頭の水竜が現れ、しかも小艇を曳いているとあっては人々の混乱は避けられないだろう。
ちなみにこの場合の混乱とは恐怖によって平静を欠くほうの混乱ではなく、有り体に言えば『なんだこれは』『どうしてこうなった』系の混乱である。
どうしてこうなった。正直なところ上手く説明できる気はしない。……無用な注目と騒動は避けたい。
加えて……カリアパカでは今なお『少女勇者』ノートに対する熱が、未だに根強く燻っているらしかった。
度重なる情報操作によって『勇者ヴァルター』の功績がじわじわと伝わり始めてはいるものの……そもそも外見は線の細い儚げな美少女である。加えて湖沿岸地帯の救世主一行、その一員であるというだけで……人々の好感度は上がりこそすれ、下がることは無かったのだ。
『勇者じゃなくても可愛くて良い子ならいいや』といった、大らかな層が大多数であったのだろう。
更に厄介なことに。
カリアパカどころかリーベルタ王国でも有数の大商会『ヒメル・ウィーバ』が、新たに展開し出した『新作土産物シリーズ』。
そこには――いちおう肖像権に配慮したのだろうか、細部の造形こそ異なるものの――精巧に描かれた『勇者の剣』と共に、白く輝く長い髪と水晶色の瞳を持つ幼い少女の絵柄があしらわれており……前情報を持たない観光客に『この白い少女が勇者である』と錯覚させるには、充分であった。
迎えとして寄越された南砦所属の兵士、彼らによって齎された情報。
カリアパカの近況情報を耳にし、それなりの時間を掛けてやっと意味を理解したノートは――口を半開きにしながら虚空を見つめ、魂の抜けたような虚ろな表情を浮かべながらも――カリアパカへの進路を頑なに拒んでいた。
………………………
人目の多い観光都市を避け、一行が向かった先。
途中で四体の水竜たちに別れを告げ、巨大湖より生じる緩やかな流れを進み……やがて見えてきた堅牢な構造群。
「……? ……あえ……??」
「なぁヴァル、ここって……」
「……あぁ。俺も初めてだ」
ふと背後、『お姫ちゃんに良い所見せよう』と精力的に職務に励む漕ぎ手の向こう……幾分落ち着きを取り戻した表情の獣人二名は。
……隣国フェブル・アリア公国の特殊部隊員、その若手二名は。
船酔いのものとは恐らく別の理由により、その顔面を強張らせていた。
建築群の裏手、接岸用に伸びた桟橋。
そこで待ち構えていたのは……ドゥーレ・ステレア湖南砦の面々。
先触から情報が伝わっていたのだろうか、非番ないし休憩中と思しき兵士たちが押し寄せる中。
責任者と思しき数名の男女、そのうちの二人……きっちりとした軍服姿の男女が口を開いた。
「勇者殿。御役目、感謝致します。……よくぞ御無事で」
「ようこそ勇者様。お連れ様。……そして『おかえりなさい』、お姫ちゃん」
彼らから掛けられた言葉に、突如として跳ね上がる約一名。
朗らかに挨拶を返す勇者の背後、突如として直立不動の姿勢を取る真白い少女。
顔色の悪い隣国の獣人二人に加え、顔色の悪い少女がもう一人。
「え、……えりー……さん……」
「久しぶりね、お姫ちゃん! 元気してた?」
「は……はひっ……」
傍から見れば喜ばしい……微笑ましい再会場面。
しかしながら当事者である白い少女は……以前と変わらぬ容姿だけではなく、頭の中さえもが真っ白になっていた。
久方ぶりに遭遇した『女帝』(とノート一人が勝手に思い込んでいるだけであり仕切り役でこそあるものの実際はごくごく一般的な女性兵士)……南砦の施設長『えりーさん』。
彼女を始めとした南砦の重役に歓待を受けた『勇者一行』。
南砦を預かる面々と談笑しつつ進む勇者、物珍しげに眺められつつ物珍しげにあちこち観察するネリー、それぞれの理由により顔面蒼白な三人組、そして彼ら彼女らの姿をさも愉快そうに嘲笑うニド。
ノートが正気に戻り抵抗の意を表す前に、あれよあれよという間に砦の中へと連行されてしまうのであった。
【ねりーさん】………勇者の従者。特殊性癖長耳族。
【えりーさん】………南砦施設長。面倒見がいい。女帝(濡れ衣)。
【けりぃさん】………衛生兵。アイナリー出張中。やさしい。




