104_通路と迷路と急がば回れ
「ここだ。……む、開かぬか。坊」
「はいはい」
黒髪の少女『ニド』の指示により、動力の途絶えた鉄扉が力ずくで開かれる。
本来は電子錠と警報装置によって厳重に管理されていたその区画は……今となっては最早何の用途も為し得ていなかった。
あっさりと口を開けた小さな扉。先ほどまでよりも更に道幅は狭まり、ヴァルターとカルメロに至っては頭上に殆ど余裕は無い。……アーロンソであれば頭を擦っていただろうし、アンヘリノ至っては扉を潜れるかさえ怪しい。
それほどまでに……狭小。進めば進むほど、周囲の施設は末端の様相を呈していった。
………………………
未知の生命体との邂逅を果たしてしまい、ヴァルターの精神が摩耗する出来事こそあったものの。ヴァルター達探索班の当初の目的としては、ほぼ達成されたと言っても過言では無かった。
一行が現在潜っているこの地下遺跡、ならびに目を醒ましてしまったフレースヴェルグに関しての情報。当時の記録なりメモ書きなり残っていれば……などと考えていた矢先、考えてもみなかった大収穫を持ち帰るに至ったのである。
かつてはフレースヴェルグと比肩するとまで言われた『神話級』魔族、ニーズヘグ。
誉れ高き高等魔族であったことをあっさりと擲ち、ただの人族の身となってまで――あらゆる不便を受け容れた上で――ヴァルターに助力を申し出たという。
メモ書きだとか記録だとか、そんなちまちましたものでは無い。なにしろ当時の記憶を未だ留める生き証人である。こと情報の掘り出し洗い出しに際して、これ以上の収穫など有るものか。
……無論、懸念が無かったわけでは無かった。
人化したとはいえ魔族、それも悪名高い『神話級』の片割であり、伝承や物語にもたびたに顔を出す程の有名人である。
魔王の再起に呼応し、人々に牙を剥くつもりなのでは。可愛らしい姿かたちで我々の目を欺き、油断したところで寝首を掻くつもりなのでは。そんな疑問も当然ながら有ったのだが……至極あっさりと、それらの懸念は霧消してしまった。
一行が『天の遣い』だと思い込んでいる少女、翼を棄て人と化した『天使』であると信じて疑わぬ少女、ノートが……
「に、と? ……に、と。……にと、かわいい」
「……呵々! ……全く。おんしの方が可愛かろうに」
……ものの数秒で、あっという間に、何一つとして疑う素振りを見せる間もなく懐いたのである。
勇者の力となり、害意在る者を遠ざけると言われる存在、『天使』。その天使たる彼女が懐き、心を赦すのだから……ニドと名乗る少女が悪しき者である可能性は無いのだろう。……ということらしかった。
実際は当然の如く善悪を判別する能力など持ち合わせておらず、いつも通りの『可愛い子とお近づきになりたい』という身も蓋もどうしようも無い思考のもとでの行動であったことは……
不幸なことに、誰一人として勘付ける者は存在しなかった。
………………………
情報収集という主任務に目処がついた以上、こんな辛気臭い場所に長居する必要も無い。さて帰ろうかと腰を上げた一行を……嫌な予感が襲った。
この場所へ、地の底の廃棄保管区域に降りる途中に通ったスリルあふれる通路のことに……今さらながら思い至ったのである。
『外に出るのであろ? 吾が案内してやろ』
そんなときに、思わぬ方向から掛けられた救いの言葉。
自信満々に言ってのけたニドに導かれるがまま、藁にも縋る思いで歩を進める一行。
しかしながら……周囲の通路はどんどん狭くなる一方。彼女曰くの出口とやらを目指し進んでいる筈なのだが……先だって飛び降りた長い縦坑へ向かうどころか、階段を昇る気配すら無い。
「にとー、にとー…? ……でぐち? ……だい、じょぶ?」
「大丈夫大丈夫。心配するでない、大船に乗った心算で居れ、娘子」
「んい……んい……」
からからと笑いながら歩を進めるニドに反し、一行の誰もが……ノートでさえも不安を隠しきれない様子。先程よりも更に頼りなさげとなった点検灯の明かりが、そのまま一行の心境を現しているかのようであった。
………………………
「……さて。着いたぞ」
「「「「「は?」」」」」
明かりさえも疎らになった狭い通路を、いったいどれ程歩いたのだろうか。ふいに先頭を歩む黒髪の少女が歩を止め、ぽつりと呟いた。
聞き間違いだろうか。何かの間違いだろうか。そう思わざるを得ない風景、周囲の誰もが困惑を顔に浮かべる中……ただ一人、ニドのみが得意げな表情でにんまりと笑みを浮かべていた。
「此処だ。厳密に言えば、此の向こうだ。……だが生憎と埋まっておるらしくてな。いや、ここまで埋まっておらなんだのが幸いなのだが。……とりま抜けるか? 坊」
「え、待て……これ? この先?」
「此の先だ。……うむ、風除室が埋もれただけか。ざあっと二m程度だの。抜けんこともあるまい」
「二mの岩盤をブチ抜けって事かよオイ……」
閉ざされた扉をぺたぺた触り、コンコン叩き、ちょこちょこ探って回っていたニドが下した結論。
それは……物理的にぶち破れという、非常に男らしいものであった。
「あちら側は外に開く扉の筈……単に押し出せば良いだけよ。達磨落しの要領よな。……いや瓊脂か?」
「待て待て待て。……一応聞くが、万が一失敗したら……やっぱ?」
「埋まるであろ。当然よな」
「………おま」
ヴァルターは頭を抱えた。
ここに来るまで決して短く無い道のりを歩いてきたのだ。ここまで来て引き返すのは正直言って気乗りしない。あの『修練の間』に戻ることさえ億劫なのだ、加えてあの縦坑を延々昇らなければならないと思うと気乗りしないどころの騒ぎじゃ無い。率直に言って戻りたくない。
で、あれば。失敗すれば皆仲良く生き埋め必至であろうが……この扉の先をぶち抜き、ニドの指し示す出口を目指した方が幾分気は楽である。
安全第一で長い長い道を戻るか。
一か八かの大博打に出てみるか。
どちらも一長一短、出来ることならば心落ち着くまで熟考したかったが………残念なことにそんな時間は与えられなかった。
一行の暫定指揮役である勇者が悩んでいる、ヴァルターが困っているということを認識してしまった少女によって……無情にも思案時間は終わりを告げた。
「……あるたー、あるたー」
「ん? どうしたノート」
思案を続けるヴァルターを見据えたノートの目。
そこに見えるのは……勇者の役に立ちたいという確固たる意志を固めてしまった、思い切りの良過ぎる行動への熱意。
それを感じ取った瞬間。ヴァルターの顔が青褪めた。
「わたし、やる。……ぶちぬい、する。あるたー、みて」
「待て! ノート待て落ち着け!」
「まーふあ、ふぉーあ……」
「止めて!! ノート止めて!!」「止まれお嬢!! 早まるな!!」
「ふぉーく、えす。りひと……いる」
「「わあああああ!!!」」
開かずの扉へ向けて、水平に構えられた白磁の剣。その切先から眩い光の槍が迸り、文字通り光の速さで突き進んでいく。
たかだか鋼の扉であろうと、堅固な深成岩であろうと、閉じられた対爆隔壁であろうと、放たれた光の槍を食い止めることは敵わず。
「「「「「ぎゃあああああ!!」」」」」
どこか遠くのように聞こえる爆音と地響きのような低音、更にはとても育ちが良いとは言えない男共の悲鳴を耳にしながら……もはやこれまでかと諦めるヴァルター。
無理も無い、こんな地中深くで光矢――しかも尋常では無い高出力のものが放たれたのだ。地下遺跡を崩壊せしめる破壊力の光魔法、さすがは『天使』であると大いに讃えたいところだ。天使様の加護万歳。お陰様で皆仲良く殉職者の仲間入りだ畜生。本当あの娘には最後の最後まで振り回されっぱなしだった。もし来世で遭遇することがあれば只では置かない。徹底的にお仕置きの上でもっとしっかり手綱を握らなければ。
「……何を呆けておる。手を貸さんか、坊」
叱責の声を受け、思考が落ち着きを取り戻し始める。
先ほどまで不気味な音を立てていた周囲の岩盤は静けさを取り戻し……どうやら崩落の兆しは見られない。
「……!! ニ……ド…!? お前……!?」
「………!! に、と…? にと……!! やぁぁあああ!!」
「……呵々。何という顔をしておる」
壁にもたれかかるようにへたり込み、はしたなく脚を広げ脱力する黒髪の少女――ニド。
布一枚、貫頭衣状の衣類では身体をもはや隠しきれず……大きく開かれた脚の間、女の子の大事なところまで丸見えとなってしまっている。
……だが。彼女にはその身なりを取り繕う余裕も、秘所を隠す手段も、何一つとして残されていなかった。
「どうした。吾を誉めるが良い。吾のお陰で仲良く生き埋めを免れたのだぞ?」
「…………お前……」
へたり込み、はしたなく秘所を晒し、それでも得意げに笑みを浮かべ、かかかといつも通りの笑い声を上げる少女。
小さな彼女の小さな両腕。
その両肘から先は……無かった。
白磁器のように滑らかな肩と綺麗な上腕、それと不釣り合いに黒く醜く炭化した肘を遺し……
光魔法『光矢』を握り潰し勢いを殺し、結果としてヴァルター達の命を救ったニドの両掌は……跡形も無く蒸発していた。
きょうのワンポイント
【安全確認・指差呼称を徹底しよう】




