和平
俺たちは隔離された時空間から戦場へと戻って来た。止まっていた時が動き出す。
無敗帝は戦闘停止の合図を送るように指示し、全軍を退かせた。サァイール帝国の軍勢からすれば俺たちが皇帝に接触して一瞬のことだったが、困惑しつつも従ってくれたようだ。
彼は護衛すら付けずにコンスティナ帝国の陣地に踏み入ったが、その強さを身をもって体験した俺は何も不思議に思わなかった。恐らくこの場に居る全ての兵士が彼を仕留めに掛かっても、返り討ちにされるだけだろう。俺は彼と共に、マーガレットの下に向かった。
「卿がサァイール帝国ファイード・サァイール、か。なるほど、こうして近くで見るとより卿が傑物であることを実感するよ。さすが無敗帝と呼ばれるだけはある」
「生憎、そこの青年にしてやられたばかりでな。無敗帝という呼び名に傷がついてしまった」
マーガレットが俺をまじまじと見つめた。
「……ジュンキ、よく無事で戻ったな。君ならこんな無茶な作戦でも遂行できると信じていたが……私は最悪の事態も想定していた。ほっとしているよ」
立場上サァイール皇帝の目の前で大袈裟には反応できないが、その震えた声からは彼女の感情がどれだけ突き動かされているか、さすがの俺でも容易に想像できた。
「皇帝とあろうものが一人の人間の生き死にに惑わされるなよ、マーガレット」
「いや……私が皇帝として君臨する時代は、もうすぐ終わるだろう。なにしろ、簒奪者なものでね」
その言葉を聞いて、無敗帝も何かを納得したようだった。
「……そうか、では実りのある和平を結ばねばならんな。コンスティナの、次の帝のために」
そして講和会議が始まった。外交官を間に挟まず、その他の行政官等による下準備さえ存在しない、完全なる皇帝同士の会談だ。互いの能力にのみ交渉は行われ、譲歩するもしないも、その裁量は全てたった二人によって決められてしまう。最もリスクのある危険な外交交渉だ。
「エスタ・ミ・ロジヤの領有権は、サァイールが陥落させた以上我が国の物ということでいいな?」
「いいや、将来的にサァイールと衝突する危険を排除するためには要塞都市のエスタ・ミ・ロジヤは必要不可欠だ、領土の割譲は承服できない。むしろ被害が出た分補償してもらいたいくらいだよ」
無敗帝が顔をしかめる。彼は本来無表情のため、交渉のために敢えて顔色を変えていると見た方が良いだろう。
「それは傲慢が過ぎる。あの青年がたった一人で私に打ち勝って譲歩を引き出しただけなのだ、コンスティナは何もしていないだろう」
「血を流したさ。多くの人命が失われた。それに、内乱状態の我が国に侵略戦争を吹っ掛けるなんて、サァイールは卑怯な手を使ってきたじゃないか」
「戦に卑怯も正々堂々も無い。敵に損害を与え、こちらは損害を抑える。そして強き我らが弱き者を屈服させる、これが戦の道理だ」
白熱する議論は、徐々に本題から離れて行った。本題とは当然、戦争終結である。黙って見ているわけにも行かないので、口を挟む。
「ちょっと待ってくれ、俺に和平案を考えさせてくれないか」
「ジュンキ、何かいい案があるのかい?」
「……訊こうではないか」
俺は席に着き、自分の考えた和平案を簡潔に述べた。
・領土要求や賠償金請求を行わない、白紙講和を行うこと
・エスタ・ミ・ロジヤは両国に属さない中立地帯として独立させること
・十年間の停戦条約、失効後は五年毎に両皇帝による会談をエスタ・ミ・ロジヤで行うこと
・通商条約を結び、民間でも交流を盛んにすること
「───これが俺の考えなんだが、どうだ?」
「うーん、どうと言われても、エスタ・ミ・ロジヤを独立させるとはどういうことなんだい?」
「あの街は要塞都市ではあるが、ベバンティア半島の最北部で、海峡を挟んで建設されている街でもある。大陸と大陸を繋ぐ玄関口として、貿易も盛んだ。エスタ・ミ・ロジヤを自由都市として独立させても、その単体で十分な経済価値がある」
さらに、俺は続ける。
「自由都市となったエスタ・ミ・ロジヤは、その権利の半分を市民が持つことになる。そしてコンスティナとサァイールの両帝国が権利の半分を持つ。海峡通行料や税収等の利権を共有することで両者の領有権の放棄を認めさせたいと、俺は考えている」
自由都市と言うにはいささか無茶がある構造ではあるが、利権の確保が無ければ両国の領有権を放棄させることは叶わないだろう。
「なるほど、確かに理には適っているかもしれないね。でも───」
「サァイールが戦で手に入れた街だ、一度失われた街の領有権を放棄したところでコンスティナは問題ないだろうが、我々は二万の兵を出征させたにもかかわらず、街一つも手に入れられないとなると、国内の不満も噴出することになる。こちらの利益があまりにも少なすぎる」
この反論は、予想の範疇だ。戦争で領土を拡大する国にありがちな主張でしかない。
「そこで、だ。俺はコンスティナに、サァイールに有利な条件での通商条約を結んで欲しいと思っている」
「譲歩しろ、という訳かい?」
マーガレットが怪訝な顔で訊いてくる。
「いや、書面上は譲歩にはなるが、実際はコンスティナに有利に働くはずだ。コンスティナは今でこそ内紛で混乱しているが、帝国全土の国力は高く、特に穀物の生産高ではサァイールより遥かに上だ。インフラ整備や教育制度にしても、サァイールより強い」
「よく知っているな、ジュンキよ」
「一通りは調べたからな。だが、大量の硝石が必要な火薬兵器を実用化したのもそうだが……無敗帝、貴方が持っているその紙は一体なんだ?」
無敗帝はテーブルに紙を広げ、メモを取っている。恐らくは樹皮などで作られている薄い紙で、俺が元の世界でも使っていたような紙とよく似ている。
「これは我が国より東方から仕入れている紙だな。原理はしらんが木材から作るものらしい」
「羊皮紙ではないのか!?」
羊皮紙は木から作る木材と比べれば大量生産が難しい。それに比べ、大量生産できる紙はより書物などを流通させることを可能とし、印刷技術と組み合わされば更なる国力の発展も夢ではない。
「あぁ、そうだ。サァイールは豊かな資源を持ち、さらにコンスティナには繋がらない交易路を築いていて、その内資源も東への交易路も無いコンスティナは国力で追い抜かれてしまう。多少不利な条件でも通称条約を結ぶこと自体が有益なんだ」
「例えば、通商条約によってこちらの商品だけをサァイールに流通させないように関税で価格を調整すれば貿易赤字は膨らむが、その貿易赤字自体も別の国との交易で回収すればいいだけの話ではある、ということか」
まだ通商条約の内容を話していないにもかかわらず、彼女は俺が提案しようとしていた関税の案を先に言い当てて見せた。
「さすがマーガレット、話が早いな」
「なるほど、考えたものだな。しかし、何故我々は五年毎に会談をしなければならないのだ?」
無敗帝は不思議そうに訊いた。
「本当なら毎年にでもしたかったが……五年という短い間隔で互いに話し合えば、ある程度は摩擦を抑えることができるだろ? それに、指導者同士が頻繁に会談していれば、その間に外交官が綿密に調整をし合って、互いに戦争にならないように努力してくれるはずだ」
「希望的観測が過ぎるな。だが……確かに国益足りえる話だ」
完全に納得させるには至らないが、国益にさえなればどのような条件でも受け入れてくれるという自信があった。彼は国家の中に組み込まれた皇帝というシステムでしかないからだ。
「マーガレットも、この案を認めてくれるな」
「そうだな……。だが、君の和平案はあまりにも簡素過ぎる。細かい内容は私たちの方で詰めさせてもらおう」
「ありがとう、マーガレット」
「礼を言うのはまだ早いが、受け取っておこう」
それから、彼らは夜通し和平案を練り合った。特に通商条約に関しての取り決めにかなり時間を割いていたようで、それはさすがに本拠地に戻ってから調整した方が良いのではないかとも思ったが、この場で全てを終わらせるつもりのようだった。恐らく、マーガレットの要望だろう。
そして三日後、遂に和平が成立した。あまりにも長い講和会議であった。そもそも一対一で講和会議とは、一体何事なのだと後世の歴史家から指摘されることだろう。
しかし、両者は平和のための第一歩を踏み出しただけに過ぎない。特にコンスティナ帝国は国内が事実上の内戦状態に陥っている。俺は会談が終わったマーガレットに駆け寄った。
「マーガレット、しばらく休め」
「いや……ジュンキ、分かっているだろう? 事後処理までが私の最後の仕事だ。皇帝としての役割を全うさせてくれ」
「あぁ、分かっている。だから、俺たちが手伝う。分かったか?」
「……あぁ、リーカ。君は良い男に好かれたみたいだね、おめでとう」
「あ、ありがとうございます……?」
そして、俺はグランペを率いて、数年間各地を回った。できる限り少ない犠牲で内乱を鎮め、時には皇帝の手が届かないような問題を解決してみせた。マーガレットはその期間皇帝として君臨し、役割を全うした。そして、時は流れた───。
もしかしたら次最終回になるかも




