84.黒い炎
「なんだ……その姿はッ!?」
「……」
首から上が燃え盛る火球と化した鴉は、窮奇の問いに答えない。
瓦礫に潰され、ちぎれていた左腕や下半身は何事もなく再生しており、それどころか服まで元の状態に戻っていた。
しかも彼は刀を鞘に収めており、窮奇の前に手ぶらで立っている。
「ッ…………!」
(何だってんだ……!? 鴉は妖力を発さねぇんじゃねぇのか!? こいつのまとう炎……明らかに妖力によるモンだ……。まさか偽物か……? いや、そんなはず……一体、何が……)
窮奇は鴉の異常な変化について考えを巡らせる。
偽の鴉かと一瞬頭をよぎるものの、彼に味方する妖怪は鬼しかいない。
鬼と直接会ったのは一瞬だけだが、窮奇としても「鬼はない」とすぐに理解できていた。
鴉は固まる窮奇にさらに近づく。
腕を伸ばせば、肩に手が届くほどの距離になるまで。
「くっ……!?」
「……」
互いの妖力が触れる。
触れるものを切り刻む風と、赤黒い炎の熱気。
棒立ちで動く気配の無い鴉に対して、窮奇は言いようのない不気味さを感じながらも──
真っ先に、先制攻撃を仕掛けた。
「オラァッ!!」
渦巻く斬撃をまとった拳。
時速70kmを超える速度で放たれたパンチは、人間のプロボクサーの次元を優に超えていた。
しかし──
「ごはァッ!?」
鋭い衝撃が窮奇の鳩尾に突き刺さる。
彼の斬撃、拳は共に鴉には届かず、カウンターを合わせられて打ち込まれていた。
「なっ、なん──」
驚く暇も与えられず、窮奇の全身に鴉の拳が幾度となく叩き込まれる。
乱雑なラッシュではなく、一発一発が正確に、丁寧に打ち出される速拳。
顔面、喉、鳩尾と人体の弱点をことごとく殴られ、ジリジリと後退りする窮奇。さらに、彼の集中も途切れてしまう。
まとっていた風刃は消え、無防備に鴉に殴られ続ける。
「ぐはぁっ……な、舐めてんじゃねぇぞッ」
「……」
鴉の連撃が一瞬止まった隙に、窮奇は腕を振り抜いた。放たれるは"鎌鼬"。
しかし鴉は体を少し横に動かすだけで回避してしまう。標的を失った不可視の刃は、後方の半壊したビルを細切れにした。
「クソがァァッ」
「……甘いな」
翼を広げ、暴風を解き放つ窮奇。
周囲の瓦礫を吹き飛ばし、鴉に向かって殴りかかった。
しかし鴉は落ち着いた様子でコートの内側に手を伸ばし、その次の瞬間、窮奇の脚に向けて何かを投げつける。
「ぐッ──!?」
窮奇の太ももに、深々とナイフが突き刺さった。
激痛に顔を歪めるも、彼の攻撃は止まらない。
「オラアアァッ!!」
窮奇の拳が鴉を捉え、心臓までを抉らんと風刃が巻き起こる。
鴉の胸はドリルのような風刃によって削られ、穴が広がる。やがては胴体を吹き飛ばし、腕と首から上だけが残され、鴉の身体の大部分が消し飛ばされてしまった。
「……ハ、ハハッ、どうだ!」
再生力に長けていたとしても、心臓もろとも胴体を失えば鴉も絶命は免れない。
窮奇は自身の焦りを上書きするように笑って見せる。だが……
「なっ!?」
残された腕や頭部は地面に落ちず、下半身も倒れない。それどころか、それらの断面から赤黒い炎が燃え盛り、形を作っていく。
鴉の肉体を、炎が修復していく。
「どうなってやがんだ……こいつは……」
戸惑いを隠せない窮奇。
そんな彼に、鴉は何も答えない。
だが驚くばかりで戦いを忘れてしまった彼は無防備になっている。
鴉は当然逃すはずはなく、窮奇の肩を掴んで自身の後方に投げ飛ばした。
「うおああっ」
「早いところケリをつけさせてもらうぞ」
体勢を崩してよろめく窮奇。
鴉はそんな彼の顔面に膝蹴りを入れ、再び拳による連撃を打ち込んでいく。
ただ淡々と、作業のように。
拳を放つたびにコートを徐々に脱いでいき、腕を袖から外すと、窮奇の視界を塞ぐように彼にコートをぶつける。
視界を奪われた窮奇がもがく間に、太ももに刺さったナイフを一瞬で引き抜くと、そのまま彼の胸を横一文字に切り裂いた。
「うがあアアッ!? クソッ……がぁぁ!!」
コートを乱暴に振り払うと、窮奇は鴉に向けて手をかざす。
「"鎌鼬"──」
「ふッ!」
巻き起こる風刃。
しかしそれが放たれる瞬間、鴉は窮奇の腕を横から叩き、"鎌鼬"をあらぬ方向へと逃した。
自身の防御、回避のためだけでなく、背後にいる親子を守るために。
「フッ、ハァ!」
「うバッ……ぶはァァッ!?」
胸に拳を叩き込み、最後に強く頬を打ち抜く。
その勢いで窮奇は地面をゴロゴロと転がった。
「…………そうだ……それで、いい……! どんな力だろうが、どんな理屈だろうが……! 構うもんかよっ」
「……!」
「今のお前を倒して、俺は先へ進む! 王座は、俺のモンだ……ッ!」
ナイフで切りつけられ、窮奇の胸骨と肺の一部は損傷している。太ももも、数本の動脈を傷つけられブシュッ、ブシュッと血液を吐き出していた。
それでも、窮奇は戦いを望む。
強さなど関係なく、勝利だけが彼にとっての全てだからだ。
翼を広げ、彼は空へ飛び立った。
「……あの高さに行かれちゃあな……」
鴉は上空へ昇る窮奇を見上げながら呟く。
地上から40mの高さにまで至った窮奇は、鴉に向けて再び手をかざした。
「そろそろお利口さんのマネはやめさせてもらうぜ……。接近戦にこだわったのは、あくまでもお前に合わせて勝つためだった……。だが、その必要はもう無くなった!」
窮奇の両手に妖力が込められる。
「全身全霊、何でもアリの戦争だぜ。フルパワーだッ、消し飛べェッ! "鎌鼬"!!」
窮奇の手から渾身の"鎌鼬"が放たれる。
鴉だけを捉えたものであるが、両手から放たれているだけ攻撃範囲は広い。
地上に到達する頃には、鴉の後ろの少女と母親まで切り刻まれることになる。
そう察した鴉は、近くにあったスイカ大のコンクリート塊を踵で蹴り飛ばした。
コンクリートは少女の脚の付け根に当たり、その体を母親もろとも更に後方へと吹き飛ばす。
「さて……一方的な戦況になった──とでも、思ってるんだろうが。こっちも打たせてもらうぞ。なにぶん、初めてなものでな」
鴉の足元に赤黒い炎が収束していく。
炎はそのまま彼の足首、膝、太もも、腹と上へ上へと上っていく。そして、最終的に、ナイフを握る右手へと到達した。
「……1、2──今だッ」
赤黒い炎がナイフを包む。
そして、自身に到達する風刃にタイミングを合わせて、ナイフを風に当てた。
風刃により鴉の体がバラバラになり、地面に無数の斬撃の跡が走る。
それと同時に、黒い炎が空へと昇った。
「……!? 何だ……!?」
炎は風刃──窮奇が放った風を遡るようにして空を走る。
鴉からの攻撃。それに違いないと、窮奇は自身を覆うように無数の風刃を渦巻かせた。
しかし──
「うお、あああああああッ!!?」
赤黒い炎は窮奇の風に触れた瞬間、火力を爆発的に増して彼を焼いた。
高速で渦巻く風でさえも、鴉の炎を吹き飛ばすことはできなかったのだ。
むしろ、風そのものにまとわりつくようにして、しつこく窮奇の肌を焼く。
しかし鴉から離れたせいか、炎が燃える持続時間は短く、窮奇は爆炎に包まれるだけに終わった。
それでも、彼の全身に水ぶくれ以上の火傷を負わせることにはなったが。
「うっ、あうっ……」
「……腰骨が少し砕けはしたろうが……切り刻まれるよりは良かったろ」
鴉に吹っ飛ばされた少女は、コンクリートが当たった箇所を押さえてうめいていた。
鴉の声は彼女には届かないが、命が救われたと感じることはできている。
少女が数分前に見た光景とは、一人でに瓦礫が持ち上がり、母親がその下から引きずり出されるという"奇跡"だったから。
「こんなっ……芸当まで……!? チィィッ!!」
「! 何をする気だ……!?」
怒りに任せ、窮奇は妖力を爆発させる。
様子の変わった敵に鴉も驚くが、間髪入れずに窮奇の攻撃が始まった。
「がああアアアアアァァッ!」
やたらめったらに風刃を振り撒き、斗島区をめちゃくちゃに破壊し始める窮奇。
半壊に留まっていたビル群も細切れにし、出来上がっていた瓦礫の海にも容赦なく斬撃の雨を降らせる。
まだ無事だった構想ビルも真っ二つにし、通りを走る車、歩く人間たちを落下する残骸で押し潰していった。
「まずいっ」
鴉は窮奇の暴走を見るや否や、少女と母親の方へと走り、彼女たちに覆い被さる。
窮奇の斬撃は見境なく放たれているため、三人を刻むことはなかった。しかし付近には直撃し、瓦礫の崩落を招くことになる。
土埃と瓦礫の世界に変えられていく斗島区。
人間たちは悲鳴を上げ、絶叫する。SNSで助けを呼んだり、この状況を世界に知らしめる間もなく、この"地獄"へと引きずり込まれていってしまう。
展望台も、『ドーンシティ水族館』も、『目城庭園』も。斗島はその象徴ごと切り刻まれていった。
「消し飛べェェェェッ!!」
──"風伯・飛廉"!!
窮奇は両手を頭上に持ち上げ、その間に暴風の塊を生成する。
本来目に見えないはずの風であるが、そのあまりの強さにより、窮奇の手の間は陽炎のように景色が歪んでいた。
そして彼は、その暴風の玉を地上へ向かって投げ下ろす。
さながら風の滝。それが地上に直撃した瞬間、ハリケーンをも超える爆風が解き放たれる。
瓦礫も土埃も全て吹き飛ばし、斗島区全体が崩壊。廣島や永崎の悲劇を彷彿とさせるほどの、巨大なキノコ雲が立ち昇った。
「はぁ……はぁ…………」
窮奇の眼下に広がるは真っ平の荒野。
斗島区は、消滅した。
「どうだ……これで…………」
大技を放ち、流石に窮奇も堪えていた。
街が消えて数分後、土埃が晴れた中で立っていたのは、彼だけであった。
だが──
「ッ……!?」
突如として、空が赤黒く染まった。
夕焼けには早すぎる。まだ昼だ。
窮奇はすぐに異変に気づき、振り向いた。
彼の背後には太陽にしてはあまりに巨大で、あまりにも地上に近く。赤黒い、暗い太陽が昇っていた。




