52.屍は二度死ぬ
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
火災報知器が鳴り響き、天井から大量の水が散布される廊下を走る鴉。
陰摩羅鬼の悍ましい炎に焼き払われた廊下は、カーペット床材と壁紙、そして打ち捨てられたかのような焼死体の強烈な臭いに支配されていた。
報知器が鳴っているということは、いずれ消防車がテレビ局へ向かってくる。そしてテレビ局の外で火事が起きたことが報道される。加山からそう聞かされた鴉は、陰摩羅鬼との決着を急いでいた。
「クソっ、どこまで行きやがった!?」
走る勢いを殺さぬまま廊下の角を曲がる。
すると10メートル以上先に、標的の背中が見えた。
「陰摩羅鬼!」
「グググッ」
視界に入った標的に、鴉は思わず声を出した。
それによって追跡者に気がついた陰摩羅鬼は首を曲げて背後へ目をやる。
多くのスタッフたちを葬り、その力を吸い上げてきたせいか。陰摩羅鬼の体は肥大化し、廊下を所狭しとその体積で占領していた。
翼を広げるのも難しいようで太くなった脚で廊下を這いずっていたのだ。
鴉の方へ振り返った陰摩羅鬼は、小さく唸り声を上げると口から黄色い炎を漏らし、そして鴉へ吐きかける。
「ううっ!?」
鴉は咄嗟に体を廊下の角に引っ込め、炎をやり過ごす。
(あの炎をどうにかしない限りは陰摩羅鬼には近づけん……。火力が上がってるのもそうだが、体がデカくなって回避できるほどの空間が廊下から無くなってるのが一番厄介だ)
鴉は再び懐に手を伸ばす。
取り出したのは、またもあの小瓶。
(逆に言えば、炎さえどうにかなれば奴はもう敵ではなくなった。あの図体じゃろくに動けないだろう。炎にだけ耐えられれば、殺せる)
瓶を再び握り潰し、中の魂灰を自分に思いきり被せる鴉。羽織っていた黒いコートも真っ白になる。
特に顔や手のように素肌が出ているところには念入りに灰を塗り込み、妖力の影響を受けないように対策をしていく。
「よし…………行くか──!」
鴉は深呼吸する。
そして呼吸を落ち着かせてから、角から飛び出した。
「ギュゥアアアアッ!!」
鴉が出てくるのを待っていた陰摩羅鬼。
彼が再び目の前に現れた瞬間、廊下を隙間なく焼き払うほどの火炎放射をお見舞いする。
当然、魂灰を被った鴉に炎は効かない。灰と鴉を避けるように、炎は廊下の両端を走る。さらに鴉は刀を持った腕で顔を覆い、炎と熱気が粘膜を傷つけないように保ちながら陰摩羅鬼へと迫った。
(ここだっ──)
視界を塞ぎながら走る鴉。
妖力の炎を浴びながらでは陰摩羅鬼の妖力を感知することは難しい。
角へ飛び出した瞬間に覚えた、陰摩羅鬼までの目測での距離。それを頭の中で自分の歩幅、走るスピードと共に照合し、跳躍で陰摩羅鬼の背中と天井をギリギリ潜り抜けられるポイントを探る。
タイミングが合ったと踏んだ鴉は、右足に万力の力を込めて跳んだ。
「はあぁぁぁっ!!」
「ギュグゥゥアアッ……!?」
肌に微かに感じる熱が途絶える。
鴉がそれと同時に目を開くと、彼の読み通りその体は陰摩羅鬼と天井の間をすり抜けるようにして飛んでいた。
その状況を理解し、彼はすぐさま刀を振り払う。自身の真横を通り過ぎる陰摩羅鬼の首、それを両断するために。
(っ……!? 硬さが……!)
刃は陰摩羅鬼の首を確かに捉え、直撃もしていた。
しかし力を得て、肉体までも強固になったからか。鴉は陰摩羅鬼の首に浅い傷を残す程度にしかダメージを与えられなかった。
彼はそのまま陰摩羅鬼の真正面に着地する。
「グガガガッ……」
「チッ……厄介な……」
陰摩羅鬼も背後に向けていた首を前に向け直し、鴉を天井近くの視点から見下ろす。
「だが、灰の効果はまだしばらく消えない。このまま切り刻んでくれるッ」
「ギャアーース!」
鴉は再び陰摩羅鬼に突進。刀を掲げて、その体に斬撃を喰らわせんとする。
それに対して陰摩羅鬼は、長くなった首とより鋭利になった嘴を組み合わせて鞭、または槍のように扱って攻撃を仕掛ける。
体を動かせない状況になっても、かの怪鳥は難なく鴉をあしらう。強化されたのは体表だけでなく、筋肉の生む力としなやかさもまた、鴉を苦しめる武器となっていた。
刀と嘴の高速の打ち合い。嘴の迎撃を掻い潜り、鴉が陰摩羅鬼の顔や首に斬り傷をつけるもいずれも浅くしか斬れてはいなかった。
「フン! ハァァァッ!」
「ッ…………! グゥ!」
「クソっ……!」
(首だけとはいえ思ったより速い! 速い上に硬いことほど厄介なものは無いが……!)
陰摩羅鬼は炎が通じないと判断し、ひたすら物理的な攻撃を繰り出し続けている。
鴉も陰摩羅鬼の攻撃を喰らいはしないものの、攻めあぐねているのは事実。俊敏な首の動きに翻弄され、刃を当てられたとしても傷を負わせづらくなっている。
首を両断してしまえば終わるというのに、それが叶わないもどかしさが鴉の焦燥感へとつながっていた。
しかし──
「っ!」
鴉は踏み込む足に違和感を覚える。
廊下に接地している足の下に、空洞があるように感じたのだ。
(何だ……廊下を走ってた時にはこんな感覚は無かったが……)
鴉は陰摩羅鬼と打ち合いながら、その巨体の下の方へ目をやった。
カーペット床材を足で踏み締めながらも、腹まで接地しているという状態。その腹の下のカーペットに、稲妻模様が浮き出ていた。
まるで下の床がひび割れ、それに合わせてカーペット部分も裂けているかのような。
(崩れるッ──!?)
鴉がそう思った直後、バキバキという音が廊下中に響く。その刹那、なんと陰摩羅鬼の足が床を思いきり踏み抜いてしまい、その穴が広がると同時に陰摩羅鬼を呑み込んでしまった。
「ギャアアアアアアアアアッ!!?」
「くうっ!?」
陰摩羅鬼の体重があまりにも増大したこと。それに加えて、直前に鴉が跳躍するために床を全力で蹴飛ばしたことによるダメージが彼らの足場に伝わり、廊下の崩落に繋がったのだった。
陰摩羅鬼は瓦礫とともに下のフロアに落下。鴉は床の下から現れた鉄筋を咄嗟に掴み、落下を防ぐ。
「グアアアッ、ギャアアアアアッ!」
「! これは……!」
鉄筋にぶら下がる鴉は、目下の光景に目を見張る。
陰摩羅鬼が落ちた先、それは二階分まで吹き抜けたエントランスであった。少し先に進めば、三階、四階分まで吹き抜けているという広い空間。
落ちた先で陰摩羅鬼は翼をめいいっぱいに広げて羽ばたき、床に激突するのを防ぐ。
そしてエントランスホールには消防士たちが入ってきており、崩落した瓦礫や三階廊下に空いた大穴を見上げて、皆驚きの表情を浮かべていた。
「まずいっ、人間が……! 陰摩羅鬼が殺せば更に力をっ!」
上からぶら下がっている鴉は危機感を覚える。覚えざるを得なかった。
鉄筋を掴んでいた手を離し、陰摩羅鬼の背中へ飛び込もうとするが、すぐに察知されてより広い空間へと退避されてしまう。
「うわあああっ!?」
「なっ、なんだ今の風は!」
「ただの火事ではなく爆発事故ということか!? 出火元はT2スタジオ……見取り図の限りではここからかなり離れているが……」
「熱気も煙もここまでは来ていない。すぐに取り掛かるぞ!」
陰摩羅鬼が羽ばたくことで生まれた暴風を浴び、消防士の数人は吹っ飛ばされてしまう。
巨大化している陰摩羅鬼の力はもはや規格外の領域に至っていた。そしてあの炎の火力も。
陰摩羅鬼は消防士たちの頭上から、黄色い炎を吐きかける。
「クソっ! やめろォォ!!」
鴉はリボルバーを取り出して陰摩羅鬼に向かって発砲。
しかし距離があるために弾丸の勢いが死んでしまい、碌にダメージを与えられない。
陰摩羅鬼の炎は止められず、消防士たちは悲鳴を上げる間もなく焼き溶かされてしまった。消防服だけが形を残し、それすらも蝋人形のようにドロドロと溶けていった。
「ギュゥアアアアアッ……!!」
消防士たちの焼死体から更に屍気を集め、陰摩羅鬼の強化は止まらない。図体は大きく、黒い羽毛の中に赤や青といった派手な羽も混ざり、妖怪としての格もどんどん上がっていく。妖力量だけで言えば、『四凶』を除く玉藻の部下の中でも最強格であった祢々を凌駕するほど。
エントランスホールの壁はガラス張りとなっている。
陰摩羅鬼はホール全体の光源となっているそこから、なんと外の世界に出ようと再び羽ばたき始める。
(逃げるつもりかっ!? それだけはさせるかッ)
「うおおおおおおおおおおおおッ!!」
鴉は刀を逆手持ちし、飛び去ろうとする陰摩羅鬼へ全力で投擲する。
陰摩羅鬼が方向転換をする直前に投げられたために、刀の鋒は陰摩羅鬼の喉元を捉え……そして切り裂いた。
「グガァッ……ガハァッ、ガァァッ……!?」
気道を切り開かれた陰摩羅鬼。
空気が抜け、呼吸もできない様子で、空中で苦しむ様子を見せる。
それを見た鴉は急いで走り出す。陰摩羅鬼が落下してきた後、刀を回収して今度こそ確実に殺すために。
しかし……
「グガハァーーッ……ギュゥアアアアアアッ!」
「なんだと……!?」
斬られた喉はなんと数秒で修復。
屍気を集めきっていなかったために、消防士たちのわずかに残った屍気から陰摩羅鬼は傷を回復させたのだ。
陰摩羅鬼は止まらない。ついに巨大な窓ガラスに体当たりをして、破砕。鼓膜が裂けそうなほどの破裂音を轟かせて、陰摩羅鬼はついに橙色の直射日光を浴びる。
外界へ、出てしまった。
(まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいッ!!!)
「覚ィィーーッ!! 聞こえるかッ!? 陰摩羅鬼が外へ出たッ! 赤い車が止まっている玄関のところだァッ! 殺せッ、奴を撃てェッ!!」
鴉史上最大の危機。ここで逃せば、二度と陰摩羅鬼を殺せなくなる。四大財閥に全てがバレる。
そんな焦りの中で、鴉は懐から出したトランシーバーに絶叫した。
だが、覚からの応答は無かった。
トランシーバー自体に目をやった鴉は、その理由を理解する。
「まさか……熱で……」
トランシーバーの表面が溶けて変形していた。
鴉の声はそもそも覚に届いておらず、当然覚は鴉側の状況を知ることはできない。
万策尽きた。
その言葉が、鴉の頭の中を支配した。
「ああ、見えたよ鴉。逃しはしない」
エントランスホールに轟音が響く。
それと同時に陰摩羅鬼の巨体は地面へと墜落していく。
「……覚!!」
陰摩羅鬼が外に出た瞬間を、覚は決して見逃してはいなかった。陰摩羅鬼の頭部を、最も柔らかい部位である目玉、眼窩を通して撃ち抜いたのだ。
鴉たちがいた玄関が、たまたま覚が張っていたビルのある西側だったという奇跡。それを見事ものにしたのは、覚の実力。
脳を破壊されてしまっては、流石の陰摩羅鬼でもどうしようもない。
完全に絶命してはいないものの、数分は行動不能という『詰み』の状態に。
絶望の淵から引き揚げられた鴉は、投げた刀を拾い上げて自身もエントランスの外へ出る。
沈みゆく夕陽が照らし、血まみれの陰摩羅鬼の頭部はさらに赤く染まっていた。
「……動かないなら、もう完全にぶった斬れるな。足も踏ん張れて、狙いも外さない」
鴉は陰摩羅鬼の首の近くにまで寄り、両手で刀を握って振り上げる。
火事及び先に突入したグループとの連絡が途絶えたことから、様子を見に来た別の消防隊がエントランスへ突入していく。鴉も陰摩羅鬼も彼らの目には見えず、故に素通りされていく。
全ての元凶は今ここで、人知れず死ぬ。
人知れず、人の命を奪い続けたように。
「じゃあな、陰摩羅鬼。哀れな人間たちには、安らぎを願っておく」
断頭。
これにて決着。




