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暁の黄泉鴉  作者: 雅移 悟李羅
東饗──『偽りの太陽』編
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108.蜃気楼

(しん)は常に成長している……。そうでなくては、この楽園を維持することはできない」


「……」


 海上に浮遊する玉藻と、水面に漂う渾沌(こんとん)

 玉藻を見上げ、ただ無言でその言葉に無い耳を傾ける渾沌は、自身の下方に存在する巨大な貝の妖怪を静かに分析していた。

 (しん)が放つ妖力は、玉藻が食わせたというだけあって彼のそれに似ており。

 神々しさを感じる、重く、反応の強い"力"そのものであるその妖力は、常に海上へとにじみ出ていた。


「蜃気楼どころか幻……幻どころか、現実。現実をも上書きし、この世は半ば蜃の()()()()()とも言えよう。現実の実体にすら溶け込む蜃の力は、渾沌」


「……」


「君にも、通ずる部分があるのではないか?」


 玉藻は渾沌へ投げかける。

 当然、返答はない。


「渾沌、君はあらゆる物に溶け込めるのだろう……」


「……」


「さて、ここで私の疑問。君は、幻そのものにすら溶け込めるのかな」


 玉藻がパチンッと指を鳴らす。

 次の瞬間、海面から湯気のように霧が立ち始めた。

 霧は二人の周囲をまたたく間に白く染め上げ、互いの姿以外何も見えない空間へと変えてしまう。


「私が月からここへ戦場を変えたのは、言うまでもなく君を殺すためだ。んで、君を殺せそうな方法を二つ……思いついた。それを試させてもらおう」


 立ちこめる霧は蜃が発したもの。

 玉藻の指示により、蜃気楼もとい幻の戦場を構築するということである。

 しばらくして霧が晴れると、その場は海ではなく──渾沌の故郷とも言える、古代中国の山間部。細長い岩場が立ち並ぶ、天然の仙郷であった。


「さあ、始めようか。最終ラウンドだ……!」


 玉藻は右手に黄金の妖力をまとう。

 刃状に薄く、鋭く引き延ばしたそれを振るい、立ちすくむ渾沌に突っ込む。


「……!」


「おいおい、どうした。ぼーっとして。そんなに懐かしかったかな!」


 なんとか玉藻の手刀を止めた渾沌。

 我に返り、応戦を始める。


(さて……渾沌の殺し方だが、おそらく()()()は意味が無いだろう。蜃の霧に渾沌を溶け込ませたら、やつも一緒に消えるだろうなんて、あまりにも楽観的な希望的観測に過ぎない)


 渾沌の拳や蹴りを受け止め、手刀で応戦。

 その最中、玉藻は思考する。

 消えゆく霧に渾沌を溶け込ませてそのまま消せるなら、そうであってほしい。

 だが、それほど単純な存在でないことは試さなくてもわかる。そのため、玉藻にとって大本命の一手は、別にある。


(渾沌の伝承……『荘子(そうし)』に伝わる、『渾沌の七穴』)


 かつて南海を支配した帝"(しゅく)"、北海を支配した帝"(こつ)"。

 彼らは自分たちを手厚くもてなした帝"渾沌"の顔面に目、耳、鼻、そして口の合計七つの穴を、礼として穿(うが)ったという話である。

 『荘子』において、渾沌は皇帝の一人として扱われた。しかし実際には、彼は『四凶』であり王座を求める怪物。

 そのため、史実に基づく信憑性については怪しい部分が多い。


(だが……この話は捨てられるものではない。『荘子』のあの話は、礼儀として余計なことをする愚かさを説くものだ。自らの価値観を押しつけず、自然体を重んじろという。それを伝えるために、わざわざ渾沌を利用したのはなぜだ?)


 玉藻が目をつけたのはその点だった。

 書を読む者に伝えたいことがあるにしても、わざわざ忌み嫌われた怪物を皇帝としてまで話を作ることはない。

 火が無いところに煙はない。それが玉藻の結論であった。


(渾沌の弱点はそこにあるはずだ。その余計なこと! 本来人間にはあるが、やつには無い穴を空けることこそが)


 渾沌は姿を消し、瞬時に玉藻の背後に現れる。

 それと同時に首を刈り取ろうと蹴りを放った。


「っ! 危ないな」


「……」


「……そうだ、だが、渾沌は死んではいない」


 玉藻は蹴りを回避し、渾沌から距離をとる。

 地面を蹴って、再びぶつかる。

 

(顔に穴を空けて死んだ、とある。だが実際には生きており、死んではいない。なぜか……これも希望的観測ではあるが、実際のところ死んではいないが、()()()()()()()()()()()。効いてはいたものの、確実に命を奪うまではいかなかった──)



(──つまり、空ける穴を間違えたか、足らなかったかのどちらかだ)



 玉藻の結論はそうだった。

 渾沌の顔に空けた七つの穴。当時の人間たちは、そこで動きを止めた渾沌を見て「死んだ」と思ったのだろうが、それはあくまでも活動停止。命を奪うことには届かなかった。

 別に正しい穴があるか、あともう一つの穴を空けていれば。

 彼の命は、その時に奪えていたのかもしれない。


「おっと、やっぱそういうこともできるか」


「……!!」


 渾沌は蜃の生み出した、偽物の空間と同化を始める。

 土や岩、草という大地そのものと混じり合い、無機質な巨人へと変貌した。

 そして金剛石へと拳を変化させ、玉藻に殴りかかる。


「フッ!」


「……!」


 玉藻はすぐさま妖力弾を放ち、渾沌の巨拳を粉砕する。

 渾沌の右肩までがボロボロと崩壊し、大きく怯む。


「……」

(この状態の渾沌に、もう一つの穴を空けるのは無意味だろう。やつの本体に、直接空けなければ。そして残る問題は、本物の正解の穴)


 渾沌は左拳を握り、振りかぶる。

 玉藻は再び妖力弾を放とうとするが、いくら愚痴の化身と言えども同じ(てつ)は踏まない。

 玉藻の足元に四本の岩の腕が生え、彼の脚を鷲掴みにする。


「なにっ」


 一瞬意識を足元に向けた玉藻。

 その隙を突いて、渾沌は金剛石と化した拳を振り下ろした。


「"建御奈堅(たけみなかた)"……!」


 全身に妖力を(みなぎ)らせた玉藻。

 振り下ろした拳は、彼に直撃するとともに簡単に砕けてしまい。土くれの渾沌は両腕を失った。

 妖力による身体強化で硬度を上げられたことで、自分のパワーで自身を破壊してしまったのだ。


「っ……!」


「流石にもうわかっただろう。幻の大地だろうが、一体化したところで私には通じない。それに、その状態だと君の再生力も発揮されないから……失った腕も、生やせない」


 そう言われた渾沌は、地面を振動させながら地下へと沈み始める。


「……往生際の悪い……」


 呆れる玉藻。

 次の瞬間、彼の周囲に無数の渾沌が姿を現す。

 大地と同化した彼らは、兵馬俑(へいばよう)にも似て。

 地下に沈めて窒息させようと、一斉に玉藻へなだれ込む。


「"軻遇槌(かぐつち)"」


 玉藻は胸の前に紫電色の炎を生成。

 炎は一際光を放つと、爆発を起こした。

 爆風と爆炎によって土でできた渾沌たちの体は消し飛び、煙が晴れた頃にはそこに立っているのは玉藻だけだった。


「直接叩きに来られた方が私にとって厄介だって、『NTC』の地下で理解してなかったのか? ただでさえ()()()()()()だっていうのに、意味ないことばっかされてちゃつく決着もつかないぞ」


 玉藻は大地に向けてそう言った。

 しばらくして、渾沌が地面をすり抜けて姿を現す。

 項垂(うなだ)れていたが、ゆっくりと顔をあげて玉藻の顔を見据えた。

 

「……」


「……」


 無言のまま見つめ合う両者。

 渾沌の顔のパーツは機能していないが、それでも彼は偽りの瞳を玉藻に向け続けていた。

 

(……そろそろ心を決めたようだな)


 玉藻はそんな渾沌に、"覚悟"を見る。

 これから彼が何をしようとしているのか、渾沌は理解している。

 玉藻はそう察したのだ。


「いくぞ」


「……」


 流れる沈黙。

 風の音だけが聞こえるようになる。

 二人が踏み締める大地が、砕けた。


「はぁああっ!」


「……!」

 

 玉藻は渾身のスピードで渾沌へ迫る。

 渾沌もまた──


「……」


「……」

(さて、どうだ……)


 二人がぶつかり合った刹那、立ちすくむ渾沌の腹部に、玉藻の手刀が突き立てられていた。

 一方の渾沌、彼はただ棒立ちしているだけだった。

 拳を掲げているわけでも、鋭い爪を構えるわけでもなく。ただ、玉藻に向かって行っただけ。


「…………」


 再び流れる、沈黙の空気。

 それを破ったのは渾沌であり、彼自身の腹に突き刺さる腕を見下ろすと、そのまま項垂れて脱力する。

 直後、シューーッ、シューーッと煙を立ち昇らせながら、肉体が崩壊を始めた。


「……一回で正解を引き当てられたのは、良かったよ。君に足りない穴というのは……(へそ)だったんだ」


 玉藻は静かに、呟く。


「人間は胎生。臍を持つ。それは母親とのつながりであり、間違いなく生命であることの証でもある。だが、君にそれは無かった」


「…………」


「生の否定。帝江(ディージアン)は、そうして君を死ねぬ体に仕立て上げたわけだ」


 優しく口にする玉藻。

 しかし人を誘惑するための声色ではない。

 それに似ていながらも、安息を孕んだ穏やかな声だった。


「生命として死にたまえ。これでその呪われた運命は、ようやく幕を閉じる」


「…………」


 渾沌は抵抗どころか、一切身じろぎをすることもなく。

 進む消滅に身を委ねていた。

 肉が溶け、露わになった骨も塵となり。

 空気に溶け込むように、彼は消えていった。


「……ふぅーー、らしくないなぁ。私のことなんだが。でもまあ、楽しかったよ、渾沌」


 渾沌はたしかに玉藻に牙を剥いた。

 だが彼は、本気で彼を超えようとは思っていなかった。

 玉藻が本気を出せば、その終わりのない命を簡単に奪うことができる。そう思っていたのもまた事実。

 地球に戻った時点で、渾沌は同胞たちが全滅したことを悟っていた。



 ──ありがとう、これでようやく──



 彼が王座を狙う理由は、飽くなき貪欲でも野望のためでもない。

 それは、彼が『四凶』に産まれたから。それだけである。

 呪われて産まれ、その運命に流され、ただ同じように王座を求めた。

 だから『荘子』にあるように、()()()()()()、『四凶』にとって念願の"王"として振る舞ってみたこともあった。

 


 ──呪いから、解放される。



 空虚な玉座では、満たされない。

 自害しようにも、『四凶』の運命はそれを許さない。

 饕餮、檮杌、窮奇。彼らがいたから、渾沌も王座を目指さざるを得なかったのだ。

 産まれた瞬間から何もかも否定され、疲れ果てていた。

 渾沌の安息は、今ようやくもたらされる。


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