下層
「入ってくれ。セルゲイ中佐」
シャンデリアが灯り、赤カーペットの床に白いクロスのかかった長机。最奥の席には箱型の機械が座っていた。ボディの中央には単眼のセンサーカメラがほのかに発光している。
対して閉まるドアを背にした角刈りの男。がっちりした体格と、どこか冷めたような風格のある灰色の目を持つスラブ人。
「小型ハザードコア試験とESP能力者開発は成功だよ。ご苦労だったね」
「光栄です。ボックス。これは?」
「今までの尽くしてくれた礼だよ。気に入ってくれると良いが」
机の上に置かれたボルシチ、カップの上に焼いたパンが乗せられたガルショーチク、温野菜と鹿肉の骨付き肉が盛られた皿。そこにウォッカのグラスが置かれていた。どの皿もカップ型の透明な保管器に入れられおいしさを保っている。
「こういうのはまず前菜から出すものと承知しているが……あいにくうちには執事がいなくてね。遠慮はしないでくれ」
「ありがとうございます」
セルゲイが椅子に座り前菜の温野菜から開ける。しかし、見るふりをしてもなかなか手を付けない。
「諜報員時代の癖かな?」
冗談めいた口調でボックスが述べると、セルゲイは首を横に振って言った。
「失礼。包装していない食事は久しぶりで」
「分かるぞ。私もそうだった。子供の頃はあんなに有機食事ばっかり取ってたのに。工作員になると現地で出されたものがなんでも怪しくて仕方なかった。ただ任務が終わっても癖が抜けなくて。……もしかして今でもベッドの下に爆弾がないか確認したりするのかな?」
セルゲイは苦笑いして概ね肯定的な反応を返すと、ボックスも単眼のカバーを途中まで降ろして笑みのような表情を作る。
ボックスは空のグラスを、液体が入っているかのように回すとボディへと傾ける。この奇行は彼を知る者だったら「何らかを再現した液体をAR空間で飲んだ」と理解している。
「不思議な気分だが、これは私にとって現実だ。前にも話したか?」
「ええ。何度も」
困ったようにボディの頂点をかくボックス。しばらくするとおもむろに口を、もといスピーカーから発した。
「さて、率直に聞くが我らが白雪姫は使い物になるのかな?」
食器を置き、口を拭ったセルゲイ。
「半分Yesで、半分Noです」
「うん?」
「彼女は対人。我々普通の人間に対して圧倒。対ドローン、無人戦闘小隊にもシミュレーションにおいて単騎で勝利しています。しかし、相手が同じ能力である場合。戦闘経験が余りになさすぎます」
「そうだろうな。一方であの魔女は魔人相手に何度か戦っているし、それどころか訓練も受けていた。唯一のESP能力者同士での戦いを経験している」
「それに、外骨格(雷神)が鹵獲作戦に向かなかったのもあります。火力はあっても任務に適さなければ本来の力を発揮できません。お分かりですね?」
最後の一言をゆっくり棘のあるように強調するとボックスは目、もとい光学カメラを横にずらした。
「あれはだね。魔人の方が戦闘経験は断トツでも、結局プロトタイプのアイギスを身にまとった魔女が生身の魔人に勝ったじゃないか。……それにほら、白雪姫が雷神着てやる気満々だったから、つい許可しちゃったわけ。楽にいかないとは思ってたけど、まさか完封されるとは思わなかった」
「奴らの戦いと今回では前提が違います。あれでホワイトは自信が喪失しかけたんです。ケアする身にもなってもらいたい」
「正直すまなかった」
セルゲイが完食すると、ボックスは疑似筋肉繊維が組み込まれた足で立ち上がる。手のひらサイズの四角いケースをどこからか取り出した。
「早速で悪いが。新しい任務だ」
セルゲイが手のひらを差し出し、ボックスがケースを傾けると小さな一粒のガラス玉が落ちる。それをセルゲイの持っているケース状の端末に収納する。
「魔女が下層に入った。罠かと思ったが奴らはあれの価値を分かっていないらしい。何か間違いがあって回帰派共の手に落ちるか、奴らに手を貸すかされたら厄介だ。それに、魔人が高適性者の作り方をバラまいたところで、今のところ唯一(知恵の実)にリンク出来る貴重な鍵だ。願わくば手にいれたい」
―――
『利府里。聞こえているか?』
「ええ。良好」
暗い部屋の中。床に置いたランプの灯りを見つめていた。タンクトップにパンツの下着姿でイヤフォンの柿種に対応していた。
『お前に依頼する事は下層の調査だ。警察機構も全体を把握しきれていない。物資の搬入、スポンサー、違法組織の構成とメンバーを報告する事。そして破壊工作。お前が仕事をしているうちは調整ナノマシンの供給が途絶えることはない』
「支援はないんですか? それと表のマテリアルハザードの対処は?」
『支援はない。今お前は表向き拘留されているからな。マテリアルハザードは4課が全て対処する。それと、もし万が一があっても警察機構はお前との関わりを否定する。取引もしない。以上だ』
「了解」
通信を切った衛利はカーテンの隙間を少し開け外を見る。アパートの2階から見える景色は、夜景を思わせる暗さと、耐震構造体が巨大なビルのように立ち上る巨大な地下空間。大量の人間が通路に押し寄せウサギ小屋のような部屋に割り当てられる。
(まさか九州新都市の地下にこんな空間があったなんて)
どれだけの人がここに住んでいるのだろうか。労働者が溢れほとんどが人力だ。オートメーションが普及する前の人々の生活がここにはあった。
ふと、衛利が何かの脳波を感じて玄関の方を向く。唯一の支給品のナイフを引き抜くと、また収めて扉を開ける。
「おわっ!」
シックスアイがノックしかけたところで開けられ体が跳ねた。衛利は入ってと促すが、シックスアイは入らず扉を閉めた。
「どうしたの?」
「せめて服ぐらいきてくれよ」
「着てるけど」
「下着だけじゃなくてズボンとかTシャツとか」
「別に気にしない」
「知恵の実に接続出来る癖に恥じらいを知らないのかよ」
納得いかないが、なぜシックスアイがここに来たのかを聞きたかった衛利はアンダーシャツに戦闘用ベスト、ベルトやアタッチメントを身に着けると再び玄関を開けた。
「……なんで戦装束なんだ」
「着慣れてるから」
妥協して入室するシックスアイは、育ちの環境がいかに人間を形成するかと痛感せずにいられなかった。
「それで何のよう?」
絨毯が敷いてある床にシックスアイを座らせる。衛利はバーナーに火をつけ台に乗せた鍋にミネラルウォーターを注ぎ、お茶葉の缶を取り出した。
「あぁ、俺もイヌモの本社に居られなくなったからな」
「……それは私の」
「あーいいんだよ。飯はうまかったけど、俺も豆腐には飽き飽きしてたんだ。育った場所の方が落ち着くし」
「ここで育ったの?」
「あぁ。ようこそ地獄の底へ。それと外に土産もある」
衛利がアパートの窓から下を見ると、大型バイクのようで少し違うフォルムの真っ黒いマシンがあった。衛利の方へアームワイヤーを振っていた。
「ラングレー?」
「そうだ。降りてみろ」
二人が新しいボディのラングレーの元へ行くとぴょんぴょん跳ねて近づく。いつものボディと違っているが、その仕草はラングレーそのものだ。衛利が装甲を撫でると、サスペンションを降ろしリラックスしたようにしてみせる。
「それだけじゃない。もう一つある」
ラングレーのシートが開き中から装甲に包まれた球体が現れ、装甲が割れ目に沿って割れると疑似筋肉繊維が展開する。
「アイギス!?」
「イヌモの支援じゃないさ。課長……いや元課長が、知り合いに自分の作品をプレゼントするぐらい何の問題があるのかってさ」
「鋼埼課長……」
「俺もなんだかんだでここについては多少知識がある。特殊試験課では活用する機会はなかったが」
意図を察して衛利は首を横に振る。
「危険な目に巻き込まれる。せっかくイヌモと関わりが薄くなったのに」
「まぁな。だが、どうも嫌いになれなくてな……」
急にシックスアイの言葉が詰まり、下を向いて鼻をすすった。
「お前がヘリを撃った時。なんていうか、……嬉しかったんだ」
「嬉しかった?」
慌てて警察機構がムカつくとかじゃないんだと弁明する。
「俺は諦めていた。俺と同じ難民だってのにさ。あの時、あいつらは死んでも仕方ないんだって。だけど、頭を殴られたみたいだった。命って大事なもんだろって事がいつの間にか麻痺してたんだ。この世界ではそう言う仕組みになってるんだってさ」
「別に私はそこまで考えて……」
「それでも。俺はお前を嫌いになれなくなった。手伝える事があるならやらせてくれ」
「……ありがとう」
渋くなった茶でのティータイムは静かに終わった。




