第44話 兄、妹企業で“1日体験就業”することになった
土曜日の朝。
まだ7時にもなっていない時間に、城ヶ崎家の前に黒塗りのリムジンが止まった。
「……って、おいおいおい。なんで“就業体験”に高級車で迎えが来るんだよ……」
パジャマ姿のまま玄関を開けた城ヶ崎春の目の前には、既にスーツをビシッと決めた城ヶ崎結衣が立っていた。
「兄さん、おはよう♡ 本日はYUIグループ本社にて、兄さん専用・超厚待遇1日就業体験となります」
「どんな部署だよそれ!? なんでスーツ着てんだよ!? てか俺パジャマなんだけど!?」
「もちろんご用意してますよ。兄さん用・フルオーダーメイドスーツとモーニングスムージー(妹特製)。あと、目覚めのキスはどうします?」
「いらねぇよ!!!!!!!!」
まったく選択の余地など与えられないまま、春は連れ去られた――リムジンに。
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YUIグループ本社ビルは、都心の一等地にそびえ立つ超高層ガラス張りタワー。
正面玄関には社員たちがずらりと並び、横断幕が掲げられていた。
【祝・兄様ご降臨! 本日限定! “神体験入社DAY”】
「宗教か!!? 俺いつから“兄様”って称号になった!?」
「兄さん、今日の肩書きは**“名誉最高顧問・王族待遇”**です」
「どこの異世界転生だよ!!? RPGで言えばチュートリアルでラスボス倒すレベルだぞ!?」
そしてエントランスでは、さらに追い打ちの光景が。
「兄様ー! 今日もお美しいッ!」
「兄様、朝食は召し上がられましたかー!?」
「兄様のために全社員、正座でお出迎えしてます!」
春(……これ、本当に企業か?)
そこへ、銀髪をなびかせて登場した妹・結衣が言った。
「ようこそ、YUIグループへ♡ 本日は、“妹が全力でプロデュースする兄さんのための職場”を、たっぷりとご案内しますね」
「やめろその説明!!キラキラしながら地獄を案内すんな!!」
結衣はウインク一つで、エレベーターを呼ぶ。
「兄さん、スイートフロア直行です。兄様専用執務室と、**兄様自販機(全商品0円)**と、**兄様トイレ(自動温度調整付き)**があるので♡」
「ちょっと待って!説明の語尾が“兄様”付きばっかりでつらい!!」
このとき春はまだ知らなかった。
この後、彼が体験する職場は“仕事”とはとても言えない、
**妹による妹のための、兄を愛で倒す楽園(またの名を拷問)**だということを……。
兄様専用執務室――
そこは、全面ホワイト&ピンクを基調にした、まるで高級ホテルのスイートルームだった。
ソファは兄専用に特注された「ふわもちクッションチェア」、
天井には「兄さん見守りカメラ(結衣専用)」、
さらに自販機には「兄専用ドリンク(栄養価ゼロ)」など、意味不明な設備が並んでいた。
「……なにこの部屋。癒しとストレスが同時に襲ってくる……」
「兄さん、そろそろ最初の業務時間ですよ♡」
そう言って結衣が差し出したのは、
「社内SNSログインID:BrotherGod01」というカード。
「いやアカウント名どうなってんだよ!? 神扱いか!?」
「本日の業務は、社内SNS“YUI-TTER”での、妹様褒め称え投稿です♪」
「仕事じゃねぇよ!!!!しかもテーマ縛りが地味にキツい!!!」
【例文①】妹様の髪は本日も輝いています。つやつやです。
【例文②】妹様の投資スキルが国家予算を超えました。もはや神です。
【例文③】妹様は兄さんが大好き。これ、社是です。
春はPCに向かってつぶやいた。
「俺はなんのために生まれてきたんだ……」
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午前の業務をなんとかこなした春がホッとしていたそのとき――
「お疲れ様でございます、春様♡」
優雅にドアを開けて登場したのは、橘花 凛。
黒のスーツ姿にメガネを添えた、“兄様専属秘書”である。
「お飲み物はこちら、“兄様の口に合うよう分子調整されたスペシャル水”でございます♡」
「なんだその意味のない技術力……ッ!」
凛は春の背後にぴたりと寄り添い、
「肩、お揉みいたしますね?」「太もも、乗せていただいても?」など、業務にあるまじき誘惑をしかけてくる。
「仕事しろォォォォォォ!!!」
そこへ、怒号が響く。
「この企業……っ!!労働の美学が死んでいる!!」
バンッと扉を開けて入ってきたのは――霧島 梓。
生徒会長であり、今日は特別監査官として来社していた。
「この男を“兄様”として崇めるのはやめろ! 常識が溶けるぞ!」
「春様は、常識のその先にいるお方です♡」
「キィィィ!!その返し腹立つッッ!!」
凛と梓が火花を散らし、執務室はまるでプロレス会場と化していた。
春(……妹企業って、戦場なのか?)
その混乱の中心で、当の妹は――
「兄さん、今日は午後も楽しいですよ♡」と、にっこり笑っていた。
彼女が手にしていたのは――
**“社内ドラマ配役表”**だった。
春「……ちょっと待て、次の業務、“社内恋愛ドラマの主役”って書いてあるぞ……?」
午後1時。
昼休憩を終えた春が戻ると、そこは――撮影スタジオだった。
「いや、ここ会社だよね!?なんでカメラとか照明とか設置されてんの!?」
「本日は“兄さんと結衣のドラマ体験”の日です♡」
そう言って、結衣が手渡したのは台本だった。
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《ドラマ脚本》
タイトル:『禁断のオフィス・ラブ ~CEOと新人秘書~』
春:地味系新人社員(ただし超イケメン)
結衣:敏腕CEO(ただし兄ラブ)
シーン1:社長室での突然の告白
シーン2:資料を渡しながら手が触れ合う
シーン3:無音のエレベーターで急接近
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「ツッコミどころしかねえぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「兄さん、セリフはすべてアドリブで大丈夫です♪ “兄さんらしい照れ顔”をください♡」
「お前の中の“俺”の需要どうなってんの!?」
なお、脇役の“恋敵・敏腕副社長”役には凛が、
“恋を見守る冷徹監査官”役には梓がキャスティングされていた。
凛「春様♡ 私も社長の座も愛も、すべていただきますわ♡」
梓「この茶番……ほんとに実行するのか……っ!?」
春「俺の一日体験就業、これ、業務の皮をかぶった公開処刑では!?」
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夕方――
日も傾きかけた頃、社内ホールでは大規模な“兄様表彰式”が開催されていた。
「それでは、YUIグループ名誉最高顧問にして、我らが光――城ヶ崎春様に、特別感謝状を贈呈いたします!!」
会場には800名を超える社員が集い、歓声と拍手が鳴り響く。
《感謝状》
兄様殿
あなたはその存在だけで我々にとっての灯火であり、
その怠惰さ、その無抵抗主義、その天然っぷりにおいて、
我が社の倫理観と情緒に多大な混乱と潤いをもたらしました。
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春「これ褒めてる!? 俺貢献してるのか!?」
結衣「してます♡ 兄さんの社会的価値は、もはや市場価格では測れません♡」
「何その“株式市場で扱いきれない尊さ”みたいな評価!!?」
壇上に立たされた春は、金色のティアラを頭に乗せられ、社員全員が起立。
「「「兄様! 万歳!!」」」
春「……俺、もう働きたくない……」
夕暮れのロビー。
兄・城ヶ崎春は、社員たちの“兄様コール”に見送られながら、
どこか抜け殻のような表情で社屋を後にしようとしていた。
「……結衣、お前さ……」
「あ、はい♡ 兄さん、本日もお疲れ様でした♡」
真っ白なスーツに身を包み、完璧な笑顔で立つ妹・結衣。
その手には、**“兄様プレミアム金のタイムカード”**がぶら下がっていた。
「いや、“プレミアム”とかじゃないのよ! 働いたというより、弄ばれたの俺だけど!?」
春は自動ドアの前で足を止める。
「なあ結衣。結局、今日俺は、なんの仕事をしたんだ?」
「え? お兄さんはちゃんとお仕事してましたよ?」
「どこがだよ! 社内SNSで妹を褒めて、ドラマ撮って、ティアラかぶっただけだぞ!?」
「それが“兄さん業務”なんです♡」
「そんな職種、聞いたことねぇよ!!」
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そこに現れたのは、春の専属秘書・凛。
「春様、本日のご活躍、まことに眼福でした♡ 次回はぜひ、兄様ファッションショーへのご参加を……」
「やんねぇよ!! 絶対やんねぇからな!!」
すかさず、後ろから梓が一喝。
「おい! 人を玩具みたいに扱うんじゃない!! 兄って立場にも人権がある!!」
「兄さんはもう、そういう次元じゃないので……」
「それが一番ヤバいからな!!?」
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そして、春は静かに言った。
「……俺は、もう働かない。絶対に、妹の会社では働かないからな」
結衣は笑顔を崩さない。
「……でも、兄さん。今日、ちょっとだけ楽しそうだった♡」
「は?」
「私、ずっと兄さんに――“自分の世界を見てほしかった”んだよ?」
ほんの少し、寂しそうな顔を見せる妹。
春はその言葉に、返す言葉を一瞬だけ失った。
が――。
「……だからって、**“妹世界の専属アイドル”**にされるのはごめんだっ!!」
「えー、そこまで言ってないよ? せいぜい社内CMに兄さん起用くらい♪」
「やっぱ帰るッ!!無職に戻るッ!!自由が欲しいッ!!」
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そして、春は光の速さで社屋を飛び出した――。
結衣、凛、梓、全員がその背を見送る。
「ふふっ、やっぱり兄さん、今日もちょろかわ♡」
「……春様はお疲れでしょうね。今夜は枕にアロマを仕込んで差し上げます」
「狂気……この企業、全員狂気……」
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その夜。
ベッドで眠る春のスマホに、通知が届いた。
【結衣様システム】
『本日のお兄さん評価:★★★★☆(次はもっと可愛くお願いします♡)』
「もうやだこの会社……夢にも出てくる……」
その声が、闇に消えていった。




