Epilogue 月の約束
風が吹いていた。
穏やかな、秋の風だった。
遠くの山々は夕陽に染まり、街へ続く道には長い影が伸びている。
空には、亀裂ひとつない。
鳥が飛び、木々が揺れ、草花が静かに咲いていた。
あれほど崩れかけていた世界が、今は何事もなかったかのように広がっている。
ルティスは、その景色を眺めていた。
「……帰ってきたんだね」
隣に立つエレナが、静かに言った。
「うん」
ルティスは頷いた。
八年。
それだけの時間が、二人の間にはあった。
三ヶ月前、封印されていた記憶を取り戻したとき、ルティスはようやくエレナとの再会を果たした。
けれど、あのときは一緒に帰ることができなかった。
今度こそ本当に、二人で帰ってきたのだ。
「……ねえ、エレナ」
「何?」
「覚えてる? 魔法学院の地下第七研究室」
エレナは少し考えた。
「……もちろん」
「私、あそこであなたと別れたとき、もう二度と会えないんじゃないかって思ってた」
ルティスは遠くの空を見つめた。
「ずっと、何か大切なものを忘れている気がしてたの」
風が、黒い髪を揺らす。
「でも、思い出せなくて……」
エレナは黙って聞いていた。
「記憶が戻って、あなたがASTRAにいるって分かって……ようやく会いに行けた」
ルティスはエレナを見た。
「だけど、会えただけじゃ駄目だったんだね」
「……ルティス」
「一緒に帰ってこなきゃ、意味がなかった」
エレナの瞳が、わずかに揺れた。
ルティスは、そっと手を差し出した。
「……おかえり、エレナ」
その言葉に、エレナは息を呑んだ。
八年間。
何度も夢に見た言葉だった。
帰りたいと思ったことは、数えきれない。
けれど、いつからか。
自分にはもう、帰る場所など残されていないのかもしれないと思うようになっていた。
その場所に今、ルティスが立っている。
エレナは差し出された手を握った。
「……ただいま、ルティス」
声が、少し震えていた。
ルティスは微笑んだ。
「うん」
そして、もう片方の手を重ねる。
「……おかえり」
エレナは、とうとう涙をこぼした。
ルティスは何も言わなかった。
ただ、その手を離さなかった。
王宮の中庭には、柔らかな陽射しが差し込んでいた。
庭園の花々が風に揺れ、噴水の水音が静かに響いている。
その石畳を、一人の青年が歩いていた。
アッシュ。
黒い外套の下には、かつて炎へ変わりかけていた右腕がある。
今では人間の姿を取り戻していたが、腕には赤い宝玉が宿っていた。
Ignis。
アッシュは、その宝玉を一度だけ見つめた。
そして、扉の前で足を止めた。
「……アッシュ?」
声がした。
振り向くと、一人の女性が立っていた。
リシェル。
この国の王女だった。
「……殿下」
アッシュは、静かに頭を下げた。
リシェルは、しばらくその場から動かなかった。
「……本当に、あなたなの?」
「はい」
アッシュは顔を上げた。
「ただいま戻りました」
その言葉を聞いた瞬間、リシェルの表情が崩れた。
「……遅いわ」
小さな声だった。
「申し訳ありません」
「……本当に、遅い」
リシェルは、一歩近づいた。
「何の知らせもなく、どこへ行ったのかも分からず……」
声が震えていた。
「……もう、帰ってこないのかと思った」
アッシュは、何も答えられなかった。
リシェルは、彼の胸元を見つめた。
「……あなたは、いつもそうね」
「……はい」
「自分のことは後回しで、誰かのために無茶をする」
アッシュは、静かに目を伏せた。
「……殿下」
リシェルが顔を上げる。
「私は、今まで自分の命を、それほど大切なものだとは思っておりませんでした」
「……アッシュ?」
「一度、失ったものですから」
アッシュは、自分の右腕を持ち上げた。
赤い宝玉が、陽射しを受けて輝いている。
「ですが……」
彼は、ゆっくりと手を握った。
「もう一度、生きる時間をいただきました」
リシェルは、黙って聞いていた。
「今度は、その時間を大切にしたいと思っております」
そして、静かに頭を下げる。
「……これからも、お仕えさせていただけますでしょうか」
リシェルは、しばらく彼を見つめていた。
やがて。
「……もちろんです」
アッシュが顔を上げる。
「もう私から離れないで」
リシェルは、涙声で言った。
「王女としての命令です」
そう言って、リシェルはひとつ間をおく。
「……いえ、私個人のお願いです」
リシェルは、ようやく微笑んだ。
「……おかえりなさい、アッシュ」
アッシュは深く頭を下げた。
「……ただいま、リシェル」
街の外れにある飛行船の発着場には、大勢の人が集まっていた。
遠くの空から、巨大な影が近づいてくる。
木と金属を組み合わせた船体。
両翼の下で回るプロペラ。
幾度もの旅を重ね、修理の跡が刻まれた飛行船。
飛行船。
その船体が、ゆっくりと高度を下げていく。
風が巻き起こった。
着陸脚が地面に触れ、船体が大きく揺れる。
やがて、プロペラの回転が止まった。
「……帰ってきた!」
誰かが叫んだ。
タラップが下ろされる。
乗組員たちが、次々と降りてくる。
最後に、一人の女性が姿を現した。
リゼット。
彼女は、飛行船を見上げた。
「……まったく」
小さく息を吐く。
「よく最後まで飛んでくれたわね」
ASTRAでの墜落。
損傷した船体。
何度も繰り返した修理。
世界の崩壊が迫る中、乗組員たちは何とか飛行船を飛べる状態に戻していた。
そして、新しく開いた境界の通路を通り、TERRAへ帰還したのだった。
リゼットは船体に手を当てた。
「……お疲れさま」
そのとき。
「……リゼット!」
背後から声がした。
リゼットが振り向く。
そこには、シエナが立っていた。
「……シエナ?」
驚いたように目を見開く。
「あなた、無事だったのね!」
「当たり前でしょ!」
シエナは、少し怒ったように答えた。
「そっちこそ、遅いじゃない!」
「これでも急いだのよ」
リゼットは苦笑した。
「ASTRAで別れてから、ずっと心配してたんだから」
「……こっちもよ」
シエナは、自分の左手を持ち上げた。
そこには、小さな紫色の宝玉が宿っている。
Volt。
宝玉の奥で、小さな雷が弾けた。
「……何、それ」
リゼットが目を丸くする。
「……説明すると長いわ」
「でしょうね」
リゼットは笑った。
「でも、怪我じゃないのね?」
「違うわよ」
シエナは肩をすくめた。
「まあ……ちょっと面倒なものを背負っちゃったけど」
リゼットはその手を見つめた。
そして、静かに言った。
「……生きて帰ってきたなら、それでいいわ」
シエナは、何か言い返そうとした。
けれど。
「……あんたもね」
小さく呟くだけだった。
リゼットは笑った。
「さあ、船を片づけるわよ」
「……え?」
「え、じゃないわよ。飛行船、まだ修理するところが山ほどあるんだから」
「……帰ってきたばっかりなのに?」
「帰ってきたからよ」
リゼットは、船体を見上げた。
「次に飛ぶとき、ちゃんと飛べるようにしておかないと」
シエナは、しばらくその言葉を聞いていた。
次に飛ぶとき。
その言葉が、妙に嬉しかった。
まだ、次がある。
「……仕方ないわね」
シエナは、小さく笑った。
「手伝ってあげるわよ」
夕陽の下。
飛行船の翼が、赤く染まっていた。
街から少し離れた、小さな村。
畑と森に囲まれたその村には、古い木造の家々が並んでいた。
村の入口に、一人の少女が立っていた。
ティア。
彼女の片脚には、今も木肌のような模様が残っている。
その奥には、緑色の宝玉。
Gaia。
ティアは、静かに村を見渡した。
以前にも、何度か訪れたことのある場所だった。
病人や怪我人のために、森で採った薬草を届けていた。
けれど、村人たちと長く話したことはない。
薬を置けば、すぐに帰っていたからだ。
今日も、手には小さな薬草の包みを持っている。
「……こんにちは」
一軒の家の扉を叩く。
しばらくすると、年配の女性が顔を出した。
「はいはい……おや?」
女性は目を丸くした。
「ティアちゃんじゃないか!」
「……うん」
「久しぶりだねえ。元気にしてたかい?」
「……まあまあ」
ティアは、持っていた包みを差し出した。
「……これ、薬」
「あら、また持ってきてくれたのかい?」
「……うん」
女性は嬉しそうに包みを受け取った。
「いつもありがとうねえ」
ティアは、小さく頷いた。
そして、いつものように背を向けようとした。
「……ちょっと待っておくれ」
女性が呼び止める。
ティアが振り向く。
「……何?」
「本当に、変わらないねえ」
女性は笑った。
「いつも薬を置いて、すぐ帰っちまうんだから」
「……用事は終わったから」
「そういうところだよ」
女性は、ティアの顔を覗き込んだ。
そして、少し首を傾げる。
「……でも、何だか今日は違うね」
「……違う?」
「ああ」
女性は優しく微笑んだ。
「前は、誰とも関わりたくないって顔をしてたけど……今日は少し、柔らかい顔をしてる」
ティアは、思わず自分の頬に触れた。
「……そうかな」
「そうだよ」
女性は頷いた。
「何か、いいことでもあったのかい?」
ティアは少し考えた。
世界が崩れかけたこと。
七つの宝玉。
Nexus。
そして、自分の身体に宿ったGaia。
いいことだったのかと聞かれると、よく分からなかった。
けれど。
「……友達が、できた」
小さく答えた。
女性は目を丸くした。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「そりゃ、よかったじゃないか!」
ティアは、少し照れくさそうに目を伏せた。
「……うん」
「だったら今日は、ご飯を食べていきなさい」
「……え?」
「いつも感謝を伝える前に帰っちまうんだから、今日は逃がさないよ!」
女性は笑った。
「さっき収穫したばかりの野菜があるんだ。今夜はそれを使って料理するところなんだよ」
ティアは、家の奥を見た。
温かな明かり。
煮込んだ野菜の香り。
誰かが食器を並べる音。
これまで、あまり興味を持たなかったものだった。
「……私も、いいの?」
「もちろん!」
女性は、当たり前のように答えた。
「一人増えたって、どうってことないさ」
ティアは、しばらく黙っていた。
昔なら、断っていただろう。
人間と関わる理由なんてない。
そう思っていたから。
けれど、今は違う。
「……ありがとう」
ティアは、小さく微笑んだ。
「……いただきます」
女性は嬉しそうに頷いた。
「さあ、入っておいで!」
ティアは、一歩を踏み出した。
自分の足で。
人間として。
家の中から、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
その声を、ティアはもう嫌だとは思わなかった。
街へ戻った頃には、すっかり日が暮れていた。
通りにはランプの明かりが灯り、酒場からは賑やかな笑い声が聞こえていた。
「……腹減った!」
カイルが大きく伸びをする。
「さっきも何か食べてなかった?」
ミナが笑った。
「さっきはさっきだろ」
「それ、私がいつも言ってるやつ!」
二人は顔を見合わせ、笑った。
その後ろを、ポップが歩いていた。
赤いローブを羽織り、首元の鈴を鳴らしながら。
「お前ら、よくそんなに食えるな」
「ポップだって、さっきから酒場ばっかり見てるじゃない」
「……気のせいだ」
そう言いながら、ポップの足は迷わず酒場へ向かっていた。
しばらくして、三人は酒場の片隅で木の丸テーブルを囲んでいた。
カイルの前には肉料理。
ミナの前には焼きたてのパン。
そして、ポップの前には大きな木製のジョッキが置かれていた。
「……ぷはぁ!」
ポップが勢いよくエールを飲む。
「やっぱり、こっちの世界のエールはうまいな!」
カイルは呆れたように笑った。
「……お前、狭間に帰らなくていいのか?」
ポップは、ジョッキをテーブルに置いた。
「……は?」
「いや、世界も救われたんだし。もう帰ってもいいんじゃないかと思ってさ」
ポップは、しばらくカイルを見つめていた。
そして、鼻で笑った。
「……馬鹿言え!」
「何だよ」
「俺はな!」
ポップは、エールの入ったジョッキを掲げた。
「生涯、お前たちを監視しなきゃならないの!」
カイルが顔をしかめる。
「……何でだよ!」
「決まってんだろ!」
ポップは胸を張った。
「せっかく三つの世界を救ったってのに、お前らがまた余計なことを始めたらどうする!」
「余計なことって……」
「特にお前だ、カイル!」
「俺!?」
「すぐ剣を抜くし、考えるより先に突っ込むし!」
「……そこまで酷くないだろ」
ミナが横から口を挟んだ。
「……でも、ちょっと分かるかも」
「ミナまで!?」
ポップは満足そうに頷いた。
「ほら見ろ!」
そして、もう一口エールを飲む。
「……まったく。俺がいなきゃ、お前らどうなることやら」
ミナは、そんなポップを見つめていた。
「……でもさ」
「ん?」
「それって、これからも一緒にいてくれるってことだよね?」
ポップのジョッキが、ぴたりと止まった。
「……は?」
「だって、生涯監視するんでしょ?」
ミナは笑った。
「だったら、ずっと一緒じゃない!」
ポップは、しばらく黙っていた。
そして。
「……まあ、そういうことになるな」
小さく呟く。
カイルが笑った。
「だったら最初から、そう言えばいいだろ」
「うるさい!」
ポップはジョッキを持ち上げた。
「俺は村の掟でここにいるんだ!」
「はいはい」
「本当だからな!」
ミナが楽しそうに笑った。
「じゃあ、これからもよろしくね、ポップ!」
ポップは、少しだけ顔を背けた。
「……勝手にしろ」
そう言って、残りのエールを飲み干す。
首元の鈴が、小さく鳴った。
「……そうだ、ミナ」
カイルが思い出したように言った。
「何?」
「明日、弓の練習するか?」
ミナが目を丸くする。
「本当!?」
「ああ。ただし、手加減はしないぞ」
「望むところ!」
ミナは満面の笑みを浮かべた。
「今度こそ、一本取ってみせるから!」
「何度でも相手してやるよ」
「……何度でも?」
カイルは少しだけ笑った。
「ああ。明日も、その次の日もな」
ミナは、嬉しそうに頷いた。
「……うん!」
そのやり取りを聞いていたポップが、呆れたようにため息をつく。
「……やれやれ」
カイルが振り向いた。
「今度は何だよ」
「お前ら、平和になっても相変わらずだな」
「……悪いか?」
ポップは、空になったジョッキを掲げた。
「……いいや」
そして、にやりと笑った。
「その方が、監視のしがいがあるってもんだ!」
三人の笑い声が、酒場に響いた。
ミナの鎖骨の下では、碧空の宝玉が静かに輝いている。
Aeris。
彼女が自ら選び取った力。
そして、その力とともに手に入れた、これからの日々。
明日の約束ができること。
また同じテーブルを囲めること。
そんな当たり前の未来が、今は何よりも嬉しかった。
ルティスとエレナは、以前借りていた古い二階建ての家で食事をとっていた。
そこに酒場帰りのカイル達が帰ってきた。
「おかえり」
ルティスが言う。
階段は相変わらず軋み、窓の立て付けも悪い。
玄関の扉を開けたカイルが、顔をしかめた。
「……誰も直してないのか、ここ」
「だって、ずっと留守だったし」
ミナが笑う。
「……帰ってきたって感じがするね」
ルティスも、小さく笑った。
エレナは家の中を見回していた。
「……ここでずっと暮らしていたの?」
「うん。カイルとミナと三人で」
「いい家ね」
「……雨が降ると、二階の窓から水が入ってくるけど」
「え?」
「あと、階段もよく軋む」
ポップが付け加える。
「それと、台所の棚が少し傾いてる」
「……それ、本当にいい家なの?」
エレナの言葉に、みんなが笑った。
しばらくして。
エレナも笑った。
八年ぶりにルティスと同じ場所で。
誰かと一緒に夕食を作り、他愛もない話をして笑っている。
それだけのことが、こんなにも温かかった。
ルナは、一人で丘の上にいた。
街の灯りが、遠くに見える。
夜風が髪を揺らしていた。
空には、大きな月が浮かんでいる。
幼い頃。
壁の向こうにいた少年と、約束した。
いつか、一緒に月を見よう。
顔も知らなかった少年。
名前さえなかった少年。
だから、自分が名前をつけた。
ノア。
ようやく再会できたのに。
また、離れてしまった。
「……嘘つき」
ルナは、小さく呟いた。
「一緒に見るって、約束したのに……」
風が吹いた。
青い宝玉が、左手首で淡く輝く。
「……ノア」
ルナは目を閉じた。
「私、ちゃんと生きてるよ」
涙が、頬を伝った。
「だから……あなたも、生きていて」
そのとき。
背後から、足音が聞こえた。
重く、不規則な足音だった。
「……おい」
男の声。
ルナが振り向く。
そこには、見知らぬ男が立っていた。
黒色の長髪。
疲れきった顔。
その肩には、一人の銀髪の青年が担がれていた。
「……え?」
ルナは息を止めた。
「……ノア?」
返事はない。
銀色の髪が、力なく垂れている。
「……ノア!」
ルナが駆け寄った。
男は、ゆっくりと膝を折った。
いや。
膝を折ろうとして、身体が大きく傾いた。
「……っ!」
ルナが慌てて支える。
そこで初めて気づいた。
男の左脚が、膝より下から失われていることに。
「……あなた、その脚……!」
「……ちょっと、しくじった」
男は苦笑した。
「それより、こいつを頼む」
ルナは、ノアの顔を覗き込んだ。
「……ノア?」
返事はない。
「……生きてるの?」
「ああ」
男は頷いた。
「息はしてる。意識が戻らないだけだ」
ルナは、震える手でノアの頬に触れた。
温かかった。
「……よかった」
涙がこぼれた。
男は、ノアを静かに草の上へ横たえた。
そして、自分もその場に腰を下ろした。
「……あなたは?」
ルナが尋ねた。
「レオンだ」
「……レオン?」
「ああ」
レオンは、軽く頷いた。
「……あなたもASTRAへ?」
「あぁ」
「でも、境界は……」
「閉じたよ」
レオンは、自分の左脚を見た。
「ちょうど、こいつを担いで抜けようとしたときにな」
ルナは息を呑んだ。
「……脚が、間に合わなかった」
レオンは淡々と言った。
失われた左脚には、応急処置として布がきつく巻かれていた。
それでも、血が滲んでいる。
「……どうして」
ルナが呟く。
「どうして、そこまでして……?」
レオンは、少し考えた。
そして。
「……置いてこられなかった」
短く答えた。
「それだけだ」
ルナは、しばらくレオンを見つめていた。
「……ありがとう」
涙を拭う。
「……本当に、ありがとう」
レオンは、小さく笑った。
「そいつのことは頼む」
レオンは剣を杖にして立ち上がる。
「そんな身体で何処に行くの?」
レオンは森の先を見つめる。
「……妹に会いに行く」
「待って!せめて足の止血ぐらいはさせて!」
ルナはレオンの左足に治療魔法をかける。
「まだ痛みは残るとは思うけど」
「……助かる」
治療魔法の処置が終わると、レオンは丘を降り始めた。
ルナはその後ろ姿を静かに見守った。
ルナは、ノアの隣に座っていた。
そっと、その手を握る。
温かい。
確かに、生きている。
「……ノア」
そのとき。
ノアの指が、わずかに動いた。
「……え?」
かすかに、瞼が開く。
紫色の瞳が、ぼんやりと夜空を映した。
「……眩しいな」
ルナは、涙を流しながら笑った。
「……何、それ」
ノアがゆっくりと視線を動かす。
「……ルナ?」
「……うん」
ルナは頷いた。
「おかえり、ノア」
ノアは、しばらく彼女を見つめていた。
そして、夜空へ目を向ける。
そこには、大きな月が浮かんでいた。
「……月か」
「……うん」
ノアは、ほんの少しだけ笑った。
「……ようやく、見られたな」
ルナは、その手を強く握った。
「……うん!」
ノアは、弱い力で握り返した。
月明かりが、二人を静かに照らしていた。
夜。
ルティスたちの家には、まだ灯りがともっていた。
食事を終えたあとも、カイルとミナは台所で言い合っている。
ポップは椅子にふんぞり返り、明日はどこへ飲みに行こうかと考えていた。
エレナが、その様子を見て笑った。
「……ねえ、ルティス」
「何?」
「これから、どうする?」
ルティスは、少し考えた。
三つの世界は救われた。
七つの宝玉は、七人の身体に宿っている。
世界を支える柱は、新しい理によって結ばれた。
けれど、人生はまだ続いていく。
アッシュは、もう一度生きる時間を手に入れた。
シエナは、飛行船とともに次の旅を考えている。
ティアは、誰かと食卓を囲むことを選んだ。
ミナとカイルには、明日の約束がある。
ノアとルナは、ようやく同じ月を見られた。
そして、レオン。
彼は左脚を失ったが、その犠牲によって、一人の命が救われた。
世界の理は、書き換えられた。
誰かの犠牲を前提としない、新しい世界。
けれど、傷つくことも、失うことも、そして誰かのために何かを差し出すことも、なくなったわけではない。
それでも
人は、誰かのために手を伸ばす。
何度傷ついても、また立ち上がる。
そして、明日を生きようとする。
「……まずは」
ルティスが微笑んだ。
「明日の朝ご飯、何にしようか」
カイルが吹き出した。
「……おいおい。そんなことでいいのか?」
「だって、お腹すいたし」
ミナが声を上げる。
「私、パンがいい!」
「お前、パン率高過ぎ!」
「好きなんだもん!」
「……ったく、お前らは」
ポップが呆れたように呟く。
けれど、その口元には笑みが浮かんでいた。
いつものやり取り。
いつもの笑い声。
あれほど遠く感じていた日常が、今はすぐそばにある。
ルティスは、窓の外へ目を向けた。
夜空には、七つの光の柱が淡く輝いていた。
赤、青、緑、碧空、紫、金、黒。
それらは、もう誰かの命を奪うためのものではない。
三つの世界を結び、未来へつなぐ光だった。
やがて、七つの光の向こうに、月が昇る。
かつて交わされた小さな約束。
長い年月を越えて、ようやく果たされた約束。
その月の下で、人々は笑い、語り合い、明日を迎えようとしていた。
世界は、何もかもが元に戻ったわけではない。
失われたものも、残された傷もある。
それでも、そこには確かな未来があった。
誰かに与えられた運命ではなく。
自分たちの意志で選び取った未来が。
七つの光の柱は、静かに世界を照らし続けていた。
Seven Jewels II ― END




