第四十四話 オブリビオン
夜明け。
鍛冶場へ朝日が差し込んでいた。
老人は一晩中、槌を振るい続けていた。
カン。
カン。
カン。
一定の音が工房へ響く。
魔鋼。
カイゼルの魔力。
そして中級魔人ゼルグの膨大な魔力。
三つを一つへと鍛え上げる。
夜が明ける頃。
老人はゆっくり槌を下ろした。
「……終わった。」
工房に静寂が訪れる。
炉の熱だけが、まだ静かに揺らめいていた。
老人は布をめくる。
そこにあったのは、昨日までの漆黒の大剣ではなかった。
深い群青。
刀身には無数の星々が瞬いている。
見る角度によって星雲のように揺らめき、まるで宇宙そのものを閉じ込めたような幻想的な輝きを放っていた。
ルセリが思わず息を呑む。
「……綺麗。」
エルネストも静かに見つめる。
「これほどの魔鋼は……。」
「文献でも見たことがありません。」
グラムだけは腕を組み、静かに笑っていた。
「坊主。」
「持ってみろ。」
カイゼルはゆっくりと歩み寄る。
両手で柄を握る。
不思議だった。
昨日まで感じていた重さがない。
肩へ担ぐ。
構える。
振る。
巨大な大剣とは思えないほど自然だった。
まるで。
何年も共に戦ってきた相棒のように。
老人が静かに頷く。
「武器には魂が宿ると言われとる。」
「特に魔鋼は、その傾向が強い。」
「名を与えてやれ。」
「名を持って初めて、真に持ち主と一つになる。」
工房が静まり返る。
誰も言葉を発しない。
カイゼルは刀身へ映る星空を見つめる。
その景色を見た瞬間だった。
自然と。
その名が口から零れた。
「……オブリビオン。」
キィィィィィン――
澄み切った音が工房へ響く。
その瞬間。
刀身に宿る星々が一斉に輝いた。
そして。
カイゼルの意識は光の中へ吸い込まれた。
◇
静寂。
何も聞こえない。
何も見えない。
気付けば。
そこは無数の星々が広がる世界だった。
果てなく続く宇宙。
流れる銀河。
星雲。
世界そのものが夜空になったような幻想的な空間。
「ここは……。」
その時。
星々がゆっくりと集まり始める。
巨大な一本の剣が姿を現した。
山よりも高く。
天を貫くほど巨大な刀身。
その表面には見たこともない古代文字が無数に刻まれている。
圧倒的な存在感。
そして。
頭の奥へ直接、意思が流れ込んできた。
『我は――』
静かで。
深く。
世界が始まる以前から存在していたかのような声。
『我は古代より受け継がれし記憶。』
『名を、オブリビオン。』
カイゼルは息を呑む。
「お前が……。」
『否。』
『これは言葉ではない。』
『我が意思を汝へ伝えている。』
星々が静かに巡る。
『オブリビオン。』
『その名の意味は忘却にあらず。』
『忘れ去られた記憶。』
『失われた叡智。』
『歴史の闇へ消えた真実。』
『その全てを宿す器。』
巨大な剣が淡く輝く。
『我は武器ではない。』
『我は記録。』
『古代の王。』
『古代の剣聖。』
『古代の魔導士。』
『幾千幾万の英雄。』
『その全ての戦い。』
『その全ての知識。』
『その全てを受け継ぎ続けた存在。』
カイゼルは静かに聞いていた。
『我は長き眠りについていた。』
『力ある者。』
『知恵ある者。』
『覇を望む者。』
『多くの者が我を求めた。』
『だが誰一人、我を目覚めさせることは叶わなかった。』
「どうしてだ?」
『力だけでは届かぬ。』
『知識だけでも届かぬ。』
『闘気だけでも。』
『魔力だけでも。』
『世界は完成せぬ。』
その瞬間。
カイゼルの脳裏へ、これまでの人生が流れた。
違う考えを持つ者。
違う技術。
違う知識。
違う価値観。
一つでは限界がある。
しかし。
互いを繋ぎ合わせた時。
誰も見たことのない未来が生まれる。
『異なるものを繋ぐ者。』
『新たな可能性を創る者。』
『それこそが我の継承者。』
カイゼルは静かに笑った。
「なるほど。」
「だから俺を選んだのか。」
『肯定。』
『汝には可能性がある。』
『故に我は目覚めた。』
『これより我は汝と共に歩む。』
『戦闘時には敵を解析する。』
『魔力制御を補助する。』
『剣技を最適化する。』
『必要ならば古代の知識を授けよう。』
『だが全ては教えぬ。』
『答えは自ら掴め。』
『それが成長である。』
カイゼルは思わず笑った。
「結構厳しいな。」
『未熟な契約者へ全てを与えることは、成長を奪う。』
『必要な時だけ。』
『我は手を貸す。』
『それ以上は貸さぬ。』
『我は武器ではない。』
『汝の相棒である。』
『共に歩もう。』
『契約者、カイゼル。』
『世界の果てまで。』
ドクン――。
心臓が大きく脈打った。
◇
「カイゼル!」
ルセリの声が聞こえた。
意識が現実へ引き戻される。
気付けば工房だった。
ほんの一瞬。
だが、カイゼルには長い時間を過ごしたように感じられた。
「大丈夫?」
ルセリが心配そうに顔を覗き込む。
「急に固まったから驚いたわ。」
カイゼルは辺りを見回す。
グラムも。
エルネストも。
老人も。
皆、不思議そうな顔をしているだけだった。
「あの……。」
「何か見えませんでしたか?」
三人は顔を見合わせる。
「何がだ?」
グラムが首を傾げる。
エルネストも静かに答えた。
「何も。」
「あなたが急に黙り込んだだけですよ。」
老人も頷く。
「刀身が少し光った気はしたが……。」
「それ以外は何も見えとらん。」
カイゼルは目を見開く。
(……俺だけ?)
その瞬間。
頭の奥へ静かな声が響く。
『肯定。』
『我が存在は契約者以外には認識されぬ。』
『安心せよ。』
『この会話も汝だけに届いている。』
(……本当にいたんだな。)
『肯定。』
『我はここに在る。』
『我は記憶。』
『故に滅びぬ。』
『そして汝の相棒である。』
カイゼルは小さく笑った。
(よろしくな。)
少しの沈黙。
そして。
『承知した。』
『契約者。』
『これより汝を補佐する。』
刀身の中の星が、一つだけ静かに瞬いた。
「どうしたの?」
ルセリが首を傾げる。
「いや。」
カイゼルは大剣を肩へ担ぎ、穏やかに笑う。
「何でもない。」
「いい剣に出会えたと思ってさ。」
ルセリも笑う。
「そんなに気に入ったの?」
「ああ。」
カイゼルは静かに頷いた。
「最高の相棒だ。」
誰にも聞こえないように。
心の中だけでそっと呟く。
(行こう、オブリビオン。)
『応。』
『未来を切り拓こう。』
その返事を聞くことができたのは。
この世界でただ一人。
契約者カイゼルだけだった。




