第一話 変わらない日常
「社長」
返事はない。
「社長」
やはり返事はない。
「社長ぉ」
それでも返事はない。
若手エンジニアの佐伯は深いため息をついた。
開発室の隅にあるソファへ近付く。
そこには毛布にくるまった男がいた。
株式会社フロンティアロボティクス代表取締役。
村上直哉。
三十六歳。
現在、業務中。
正確には爆睡中。
「社長」
肩を揺する。
直哉は薄く目を開いた。
「……ん?」
「寝てました?」
「寝てない」
「いびき聞こえてました」
「考え事だ」
「いびきで?」
「高度な経営判断だ」
佐伯は天井を見上げた。
この会社、本当に大丈夫だろうか。
「で?」
直哉がゆっくり起き上がる。
「第五ライン止まりました」
「あー」
「その反応やめてもらえます?」
「原因分かってるから」
「まだ見てないですよね?」
「見なくても分かる」
「いやいや」
「ケーブル」
「は?」
「サーボアンプのケーブル」
「見てないですよね?」
「じゃあ賭けるか?」
「賭けません」
十分後。
原因はサーボアンプのケーブルだった。
「!?、、なんで分かるんです?」
「勘」
「絶対嘘ですよね」
「経験って言えよ」
直哉は笑った。
社員たちも呆れながら笑う。
それがいつもの風景だった。
「社長」
「なんだ」
「展示会の打ち合わせどうします?」
「行かない」
「行ってください」
「面倒くさい」
「社長の会社です」
「部長行け」
「社長の会社です」
「便利な言葉だな、それ」
再び笑いが起きる。
直哉は基本的に働かない。
会議も嫌い。
資料も嫌い。
事務作業はもっと嫌いだ。
できることなら昼寝していたい。
だが不思議なことに会社は成長していた。
社員も増えた。
取引先も増えた。
業界ではそれなりに名前も知られている。
理由は単純だった。
本当に困った時だけ、
この男は誰より頼りになった。
開発が行き詰まる。
客先で問題が起きる。
量産化で壁にぶつかる。
そんな時だけ、
どこからともなく現れる。
そして大抵解決してしまう。
だから社員たちは知っていた。
この男はサボっているのではない。
普段から本気を出していないだけだ。
「社長」
「なんだ」
「見積出しました?」
「出してない」
「今日締切です」
「明日の俺に期待しよう」
「今日です」
「未来はすぐそこだ」
「ダメだこの人」
社内に笑いが広がる。
直哉は気にしない。
むしろ楽しそうだった。
仕事は嫌いだ。
責任も面倒だ。
働かなくていいなら働きたくない。
それが本音だった。
だが会社は好きだった。
社員も好きだった。
ロボットも好きだった。
だから結局ここにいる。
そんな男だった。
時計を見る。
十八時四十分。
直哉は立ち上がった。
「帰る」
開発室が静まり返る。
全員が顔を上げた。
「え?」
「社長が?」
「まだ明るいですよ?」
「熱ですか?」
「失礼な会社だな」
直哉は笑った。
ジャケットを羽織る。
「じゃあお先」
「お疲れ様です」
「珍しいもの見たな」
「明日雪かもしれませんね」
好き勝手な声が飛んでくる。
それを背中で聞きながら、
直哉は会社を出た。
夜風が気持ちいい。
思わず大きく伸びをする。
今日はいい日だった。
久しぶりに、
そう思えた。




