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蝙蝠亡き島に飛ばされて  作者: 昼ヶS
【叩き落とされて】

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【叩き落とされて】(後編)

「桑名弥次兵衛殿、討ち死に!」


「本山親成殿が敵に討たれました!」


 そんな立て続けに届いた凶報を、元親は無気力に聞いた。既に、数が分からないほどの凶報を、聞いている。そのせいで精神の防衛機能が勝手に働いているのか、感情が動かない。


 人垣で作られた囲いの中に、元親はいた。配下や友軍も同じだ。四国勢が収穫を前にした稲穂のように隙間なく犇めいている。


 こうなってしまうと、将など何の意味もなさない。どれほど卓越した戦術的発想力と指揮能力を有していようと、兵がついてこなければ無駄だ。


 囲いを構成している島津兵は、槍や刀を以て収穫を始めた。刈られる方は大した抵抗もできず、真っ赤な朝露で収穫者を濡らすだけだった。


 囲いが狭まるたび、田に風が吹いた様に波が立つ。しかし、本物の稲と同じく、血塗られた鎌から逃げることはかなわない。ただ、そよぐだけだ。


「……こうなる運命だったのか」


 元親は、長曾我部の歴史を知らない。だが、『ここで滅んだのだろう』と強く実感した。所詮歴史というのは、その当時の人物が、限られた情報の中で選んだ最適な行動の積み重ねである。その結果を知らないということは、同じ道を辿るというのは当たり前ではないか。


 いつの間にか、島津兵がすぐ近くにまで来ていた。元親の周りにいるのは一領具足であり、彼らは近接武器を脇差しか持たない。健気にそれを使って応戦しようとしているが、あっさりと斬られている。


「ここは危険です。もう少し奥の方に」


 左京進が馬の口を取った。


「……無理だ。一歩たりとも下がれない」


 殺意に満ちた囲いの中は、圧死者が出る程狭い。


「周りを踏みつぶしてでも、下がるべきです」


 馬に鞭をくれれば、左京進が言った通りのことが簡単に行えるだろう。

 

 元親は、すぐ後ろを振り返った。そこには、一領具足の姿があった。怯えた目でこちらを見ている。さっきの会話を聞いていたのかもしれない。


 元親は、大きな溜息をつくと、鞭を捨てた。


「な、何をなされるおつもりで!?」


 刀を抜きながら答えた。


「いや、どうせ死ぬなら、綺麗に死にたいと思ってね」


 兵を全て死なせても、自分が生き残るのを最優先にする。大将というものは、そういうものだ。だが、元親はそこまで割り切れなかった。


 刀を掲げ、叫ぶ。


「これより、突撃を開始する! 動ける者は後に続け!」


 反応は、まばらだった。数十人、後に続けば多い方だろう。前方の島津兵は、少なく見積もっても二百はいる。突破は絶望的だ。


 それでも、元親は行くと決めた。この突破が成功に至らなくとも、これをきっかけとして包囲のどこかに緩みが出るかもしれない。


 馬の腹を軽く蹴り、島津兵の方へ、二歩歩み出る。彼らの向こう側に、入ってきた谷の口が見える。

信親を置いてきてよかったと、元親は思った。これで自分が死んでも、有望な跡継ぎが生き残り、長曾我部の名は続く。


「突げ──」


 ──新たな一団が、こちらに向かってきているのが見えた。その旗印は、長曾我部の家紋、七つ酢漿草。


 それを見て、元親は反射的に叫んだ。


「来るなァ!」


 ここで信親が死ぬ。そういう流れとしか、思えなかった。




 上戸次に入ってきた新たな一団は、薄く広がった包囲の一角を難なく突き崩し、友軍の退路を開放した。


「内記黒! お前の主の下へと駆けよ!」


 信親は、父親の愛馬にそう言った。空馬の内記黒が、自隊の所まで来なければ、友軍の窮状に気づくことは無かっただろう。


 人混みを縫うように駆けて行く内記黒を見送りつつ、信親は手勢に指示を下した。


「山手側に兵を寄せる! 道を開けよ!」


「土佐の御曹司殿、それではこちらが退きにくくなりますぞ」


 赤ら顔の大友義統が、酒臭い息を吐いた。信親が味方の救援に行くと伝えると、『侍の矜持を見せる』といってついてきたのだ。酒の勢いかもしれないが、手勢が少ない今、大友の兵も来てくれるというのは心強かった。


「それでもいいのです。そのままとどまり、島津兵の追撃を阻止、いや、僅かでもその圧力を減らせれば」


 千で万の兵を完全に食い止めるなど、父元親にしかできぬ芸当だろう。


「……もしや、ここで死ぬるおつもりで?」


「……そうなっても良い、とは思っています。他に、弟がおりますし」


 土佐一郡から身を起こし、四国の大部分を制覇した希代の名将たる父だけでも生かせば、長曾我部の名は絶対に残る。


 義統はぐびぐびと酒を飲んでから、言った。


「私は当主なので、最後までは無理ですが、できる限りお付き合いしましょう」


「かたじけない──」


 ──視界の端に、葦毛の馬体が映った。自分を呼ぶような声も聞こえた気がする。


「……どうかされましたか?」


「……いえ。それよりも、もう少し隊を引き締めましょう」


 島津兵は、その兵力の半分近くをこちらに向けてきている。千六百で五千の兵を引き付けたと考えると、上出来だろう。一日中戦い通しているであろうに、その動きは溌溂としている。強烈な圧力と死の気配をひしひしと感じる。


「……誰かに、預けておくべきだったかな」


 信親はそう言って、懐にある借り物のお守りを、着物越しに握った。




「駄目だ! 逃げろ、信親!」


 一人の叫びが、何千もの悲鳴と怒声の奔流を越えられるわけがない。そうと分かってはいるが、叫ばずにいられなかった。信親の姿が、実距離よりも遠く、実際の大きさよりも小さく見える。


 直接説得しに行こうにも、馬を返す隙間すらなく、行先を変更することができない。せめて、声だけでも届けなくては。


「前を向いていないと、危のうございますぞ」


 左京進が、それを諫めた。元親を自分の乗騎に乗せたため、代わりに内記黒に乗っている。


 一度止めて乗り換えたりする余裕は、ない。信親の一隊が半数を引き付けているとはいえ、残りの半数が猛追をかけてきているのだ。


 谷の入り口を通り過ぎ、戸次に出た。瓢箪を満たしていた人馬が逆流し、その口に差し込まれた漏斗から溢れかえるように噴出している。


 当然、追跡者たちもそれに合わせて広がり、その一部は元親の方にも向けられていた。


「二十騎ほど、追ってきていますな」


 全員、乗っている馬の馬格が良い。じわりじわりと距離を詰めてきている。


 この混乱の中、左京進の他について来ている者はいない。戦うのは無謀だ。だが、このまま逃げたところで、捕捉されるのは時間の問題だった。


 ここまでか、と元親が思った瞬間、『御免』と言われて、兜を取られた。


「な、何を!?」


 左京進は元親の兜を被りながら、謝罪した。


「緊急事態のため、ご無礼をお許しいただきたい」


 袖で顔を擦ったかと思うと、白い化粧の下から元親そっくりの顔が出てきた。


「京の町に繰り出した時は、楽しかったですな」


 そう言って、手綱を引き、追手に向かって駆け込んでいった。制止する暇すらなかった。


「……すまない」


 後方から、自分と同じ声が聞こえてくる。


「やぁやぁ我こそは、長曾我部土佐守元親! 遠からん者は音にも……」


 それ以降は、声が小さくなり聞こえなくなった。


 左京進のおかげで、追手の数はかなり減った。それでも、三騎追い続けてきている。


 馬が白い泡を吹くのもお構いなしに走らせ続け、遂に白滝の渡しに飛び込んだ。その半瞬後、立て続けに三度水柱が立った音がした。


 咄嗟に振り返った。研ぎ澄まされた氷の様な穂先が、眼前に迫ってきていた。


 銃声。


 槍が、持ち主と共に川に飛び込んでいった。


「旦那! こっちや!」


 二騎の島津兵が、退いていき、元親を追いかける者は、いなくなった。


 元親は、水の冷たさも忘れたまま、その場にとどまり続けた。


 川のせせらぎの合間を縫うように、悲鳴や嘶きが聞こえてくる。


 すぐ近くで起きている争乱に興味を示さず、戸次川は、澄ましたまま流れ続けていた。


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