【叩き落とされて】(中編)
元親はまず、本隊を転回させ、川に背後を依託させた。その次に、隊を押し出し、敵伏兵を迎え打ちにいった。こうすれば、味方の退路に空白ができる。
「大筒兵! 目標、正面の敵! 放て!」
元親の号令に合わせて、二門の大筒が火を噴いた。一瞬の間を挟み、赤い大輪が敵部隊の中程に二つ咲く。しかし、それで敵の動きが鈍った様子は無い。
「敵の士気が異様に高いな……。──親成! 忠純! 前へ!」
右翼と左翼の指揮官に命じ、兵を前進させる。その直後、矢合せや銃撃もそこそこに、一個の黒い塊となった島津兵が、飛び込むように槍を合わせてきた。
両軍が、ぶつかった。
槍の柄の破片が、折れた刀の切っ先が、腕が、首が、血しぶきが、飛ぶ。己が命を勘定から外したような突撃のすさまじさは、戦慣れした元親ですら身震いするほどだった。
「……何とか受け止めはしたけど、兵の動揺が大きいな……」
左右両隊の中列にまで、島津兵は食い込んできている。このまま放置すれば、突破されるのは確実だろう。
「……敵の右側面に回り込み、横射をかける! 金管!」
一領具足に命令を伝える金管を吹かせようとした時、背後、つまり、川の方から鬨の声が聞こえてきた。
何事かと振り返ってみると、新手だった。二千程の島津兵が、ここより少し下流の、瓢箪の口の辺りの対岸にいる。
元親は鋭く舌打ちし、命令を変更した。交戦中の味方も気になるが、退路を完全に遮断される方がまずい。
けたたましい金管の音に合わせ、四百の一領具足が、一匹の生き物のように動き出した。具足を身につけていない彼らの機動は軽快そのものであり、訓練によって培った素早い方向転換をみせて、戸次川に対して向き直る。
後は敵の渡河地点を遮り、肩まで水に浸かりながら渡ってくる島津兵を、狙い撃ち続けるだけである。
その筈なのだが。
「もう、先頭が渡り終えている!?」
こちら側の岸に、十文字が描かれた旗が何本か翻っていた。その数はどんどんと増えていっている。
なぜ、島津兵が容易に川を渡れているのか。その理由は、渡河地点のすぐ上流にあった。騎馬の一団が、一塊となって川に乗り込み、即席の堤防となっていたのだ。それによって、下流の水嵩が下がり、徒歩の島津兵も容易に渡河できるようになっていた。
それでも、彼らの半ばはまだ対岸にいる。今から急行すれば、その隙を衝ける。
元親は素早く前進命令を下し、河原を降りていった。景気の良い金管の音と四百の足音が、すぐ後ろをついて来ていた。
島津兵の対応は早い。一領具足が河原に降りたと見るや、襲い掛かってきた。まるで、餓狼の群れが羊の群れを見つけたかのようだ。
この勢いを、少しでも削いでおきたい。そう思った元親は、蛍を呼んだ。
「おう、やっとこさ出番やな」
もっとも川べりに近い最左翼にいる元親の、右斜め前方で、蛍は膝射ちの姿勢を取った。既に火縄は点じられ、火蓋は切られている。距離はまだあるが、蛍の銃は長銃の試作品であり、ライフリングが彫られている。彼女の腕が合わされば、百発百中は確実だろう。
そんな凄腕の選抜射手に、身なりの良い侍を狙撃させる。そうすれば、敵の勢いも鈍る筈だ。武士というのは、自分を雇ってくれている家のために戦う者であり、その家の長が亡くなったとあっては、戦う意味を無くす。
「一番手前の、馬に乗っている目立つ──」
言い終わらないうちに、銃声が鳴り、標的が撃ち落とされた。射手に目を向けると、既に装填を開始している。
「次は、どいつや!? あと一発しか撃てへんで!」
ライフリングを充分に活かすために、弾の直径が大きく、それを押し込むのに時間が掛かる。
「次は、あの鹿の角を付けた侍を!」
「了解! 少し待っとれ!」
少し待って、鹿角を付けた侍が斃れた。
蛍の活躍によって、二人の上士を討ち取った。だが、島津兵からは一片の動揺も、どよめきも感じ取れなかった。むしろ、戦意と速度を上げてさえいた。
「あいつら、正気か!?」
傭兵団である雑賀衆出身の彼女にとって、戦いそのものが目的のような島津兵は、理解の範疇を越えていた。
「旦那! はよ、退いたほうがええで!」
蛍はそう言いながら、一人、撤収を開始した。もはや、狙撃の様な悠長なことをしていられない間合いに、島津兵は踏み込んできている。
すたこらさっさと去って行く蛍を見送りながら、元親は苦笑した。
「退けって言われてもな……」
後方に下がるということは、今まさに完成しようとしつつある包囲網に、自ら飛び込んでいくことになる。彼女のように、身一つで逃げられるのなら話は別だろうが。
大きく息を吸い、気合と空気を溜めて、元親は敵に向き直った。
「二列射撃を行う! 前列、折敷け!」
前列、中列、後列の三列のうち、前から二列を同時に撃たせる。こちらの方が、瞬間的な火力は三段撃ちに勝る。三段撃つ時間がない時、或いは、敵の突撃の勢いが強いと判断した時は、この射法を使う。今回の場合は両方の理由が当てはまる。
元親は右手を高々と掲げ、正面の敵を見据えた。敵の奇声の様な気合が聞こえる。
「チェストォォォ!」
敵の数は千。隊形は縦長で、目前の先団は百人ほど。この数なら、一斉射でやれるだろう。いや、やれなきゃ困る。ここで突撃を破砕しなくてはならないのだ。もう、こちらには後がない。
「撃て!」
右腕を勢いよく振り下ろしたと同時に、二百六十七発の鉛弾が吐き出され、島津兵目掛けて飛翔していった。
火薬の強烈な後押しを受けた黒い鉛は、鉄の板を難なく穿つ力を得ている。今回も、その力をいかんなく発揮し、重い鎧を紙のように裂き、肉体にチーズのような無数の穴を空けた。
その瞬間を目撃した直後、むせ返るような硝煙に視界を防がれた。風は僅かながら、我が方から敵方へと吹いている。すぐに、その結果を目視できるようになるだろう。
しかし、信じ難いことに、硝煙の向こう側の気配は、止まるどころか鈍ってすらいない。
「中列、折敷け! 後列、構え!」
「チェストォォォォォ!!」
死にぞこなった島津兵が、白い幕を突っ切って血まみれの姿を現した。その数は、三十。距離は近い。互いに長槍を握っていれば、それが触れ合っていただろう。
「撃て!」
残る百三十三発が、至近の標的に撃ち込まれた。空気の抵抗をほぼ受けることのなかった鉛弾は、尽く標的の血肉を飛び散らさせた。元親の計算通り、全員、確実に絶命した。
だが、十八グラムの鉛弾では、六十キロの肉弾を食い止めるに至らなかった。
純粋なる闘志をエネルギーにして推進し続けた肉弾は、自分が死んだことにも気づいていないのか、折敷いた前・中列を蹴倒し、立った後列が間合いに入るなり、大上段から二の太刀いらずの一閃を浴びせていった。頭を吹き飛ばされた者ですら、これを行った。
鬼と化した島津兵によって、一領具足は初めて刀の切れ味を知った。最大限の軽量化のために彼らは鎧を着ておらず、三十人が六十個の肉片となった。
綺麗に整えられていた三列横隊が、三日月状に凹み、勝手に後退を始めた。一領具足がここまで乱れたのは、初めてだろう。
「戻れ! 退くな!」
下士官の叱咤が、あちこちから聞こえてくる。だが、幾多の戦場で勇気を奮ってきた者にとっても、鬼は怖い。たとえ、それらが地に伏せて動かなくなったとしても。
この間にも、後続の島津兵が続々と押し寄せてきている。
「……一度、後退する」
元親の意思を反映したかのように、金管の音に活気はなかった。
我が意を得たりとばかりに、一領具足たちは一目散に後退していく。馬上の元親も、その後に続いていった。しかし、不運というのは重なるらしく、敵方の銃弾が、左の鐙を撃ち抜き、元親は落馬した。
「大丈夫でございますか!?」
そばにいた左京進が、慌てて元親を助け起こす。
元親に怪我は無かった。しかし、銃弾がかすったためか、内記黒はどこかへ走り去ってしまった。
「この馬に。お早く」
元親は、左京進の馬に跨り、進んだ。今まさに、狭まりつつある包囲の中へと。




