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蝙蝠亡き島に飛ばされて  作者: 昼ヶS
【叩き落とされて】

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【叩き落とされて】(前編)

 一五八七年一月二十日。四国勢は兵を進め、大分平野中央にある丘陵地帯まで兵を進めた。この丘陵地帯を越えれば戸次川があり、それを渡り、流れに沿うようにして続く道を南に進めば、鶴賀城にまで行けた。


 行軍隊形は権兵衛自らが先鋒となり、その次に元親の隊が、最後尾には義統の手勢がついていく形である。元親が馬を黙々と歩かせていると、前方から使いが来た。


「物見からの報告です。この先、戸次川の対岸に、五百程の島津兵が陣を張っている模様です」


「……五百の兵が……?」


 戸次川の対岸といえば、戸次と呼ばれている開けた地域だ。そこに抑えとして置かれたというには、数が少なすぎる。それに、後方に下がれば、漏斗の口のような狭隘な地形がある筈だ。わざわざ、守りにくい場所に陣を置いた理由が……?


「……それで、讃岐守殿はそれをどうすると?」


「敵は少数につき、一撃を以てこれを粉砕し、その勢いに乗じて敵本陣を叩くと──」


 使いの語尾と、銃声が重なった。


 元親はそれを聞くなり、馬を駆けさせた。何か裏がある気がする。自分の目で確かめなくては。

元親を乗せているのは、内記黒という秀吉から与えられた馬である。葦毛の馬体は、土佐駒の三回りは大きい。足の速さは名馬のそれであり、一緒に戻ろうとする使いの者を置き去りにしてしまうほどだった。


 内記黒は疾風のような速さで、元親を瞬く間に前線に連れて行ってくれた。それは丁度、四度目の一斉射撃の音が聞こえたと同時だった。


 元親は、堤の上を見上げた。そこには、鈴をいくつも付けた陣羽織を着た派手な人物がいた。大声で何やら下知を飛ばしている。


 その人物の隣にまで馬を寄せ、声をかけた。


「讃岐守殿! 状況は!?」


 呼ばれた権兵衛は、振り返り、得意げになって言った。着用者が動いたために、鈴が可愛い音を奏でている。


「おお、元親殿。見ての通り、対岸の堤に伏せておった敵兵と撃ち合っているまでのこと。最初の伏撃で少々撃ち取られはしたが、何の問題もござらん」


 権兵衛の言う通り、戸次川には二十筋程の血流が流れているだけだ。対岸の堤の上では、その死体を作り上げたのと同種の煌めきが、濃い硝煙の幕越しに見えた。


「……報告よりも、敵兵の数が多いように見受けられるが……」


 硝煙で視界が悪いとはいえ、シルエットは見える。元親の見立てでは、千はいた。それでも、平野でこちらを待ち受けるには少ない気もするが……。


「それは、伏兵の分増えているのでござろう」


 『裏』というのは、これのことだろうか……? 元親がそう思っていると、権兵衛がまた声を上げた。


「ややっ、崩れおったぞ!」


 讃岐勢の一斉射撃の後、銃火がまったくしなくなり、シルエットが減り始めた。


「こちらはすぐに追撃いたす。元親殿も、すぐに参られよ」


 権兵衛はそう言って、近習に陣貝を鳴らさせようとした。


「……お待ちくだされ」


 権兵衛は手で近習を制し、元親に向き直った。


「いかがされた、元親殿。早くしないと、敵が態勢を立て直してしまいますぞ」


「……本当に、敵が崩壊したのでござろうか」


 硝煙越しに見える敵の姿は、潰走とも撤退とも判別が付けづらい。


「どちらにせよ、あれを黙って見送るわけにはいかんでござろう。あやつらが谷の入り口を固めれば、その時点で、この作戦が失敗に終わってしまいますぞ」


 攻囲中の家久隊を衝き、五分以上の条件で戦いに臨むという前提で、打って出ている。もし追撃を行わないというのであれば、その時点で籠城策に完全に切り替えなければならない。しかし、その場合の勝算の低さは、元親も知っている。


 となると。


「……確かに、その通りでござるな。こちらも、あとを急がせます」


 そう言って元親が馬首を返すと、陣貝が重々しく鳴り響き、それに混じって、勢いよく水しぶきが上がる音が聞こえてきた。


 元親は自隊に戻ると、第一陣の弥次兵衛にそのまま戸次川を渡るように伝え、第二陣の信親に渡渉地点の防衛を命じた。


「何故でございますか!?」


 信親はその命令に反発した。元親は、それを予期していたため、こんなことを言った。


「……信親、お前確か、今年で二十二歳になるな?」


「えっ? はい、そうですが……」


 突然変えられた話の内容に、信親は戸惑いを見せていた。


「お前と同じ歳の頃、長浜の合戦があった」


「父上の初陣の時ですよね?」


 元親は頷いた。なぜこんな話をするのかと、信親は不審がっている。


「そう、あの時の自分は、右も左もわからないまま、戦場に立っていた。だが、今のお前はそうではないな? 幾つもの合戦を戦い、その度に武勲を上げている」


「まあ、それほどでもありませんが」


「謙遜するな。お前は家中でも一、二を争う将だ」


 褒められて、信親はやや上機嫌になってきている。元親の狙い通りに事が進んでいる。


「……ところで、戸次川の渡しは、我らの生命線だ。それを守るということは、信頼のおける者にしかできん」


「……つまり、私のことをそれだけ信頼なさっていると……?」


 信親の態度は、最初の頃とまるで違う。


「そうだ。大役だぞ、お前に出来るか?」


 嘘ではない。真意を伝えていないだけだ。本当は、なぜあのような平野部で敵が待ち構えていたのかという疑問が、解消できていないからであった。だが、口にしたことは本当に嘘ではない。


「はい! お任せください!」


 あっさりと命令を受け入れるようになった信親は、麾下の兵を叱咤し、前進速度を速めた。

後塵を眺めつつ、元親は息子の丸め込みやすさに、やや、不安を抱いた。とはいえ、あの素直さは人として間違いなく美徳である。


「……絶対に、ここで死なせないようにしなきゃなぁ」


 そんな元親の呟きを、内記黒は耳をパタパタと動かして聞いた。

 



 戸次川を渡った。白滝という名前のついた渡しなのだが、水深は深く、徒歩の者はへその辺りまで浸かった。


「これは、立ち止まらせると危険だな……」


 馬上の元親も、くるぶしまで濡らした。冬の戸次川は冷たく、液状の氷に足を突っ込んだかのようだ。馬上の兵はともかく徒歩の兵は、無理やりにでも動かして体を温めなければ、あっという間に戦えなくなるだろう。


 元親は、駈足を命じて、先行した権兵衛を追った。ちらほらとある民家や木立を除けば、道中に視界の妨げになるようなものは無い。逃げ去る島津兵と、それを追う讃岐勢の姿が見えるばかりだ。


 二者とも、鶴賀城に続く道をひたすらに、逃げている。追っている。この生き死にのかかった追いかけっこに敗れた者が、ちらほらと道に転がっていた。


「そろそろ、谷の入り口に差し掛かる頃合いか……」


 島津兵の先団が、経路上にある谷へと入っていった。そこは、すぼまった漏斗の口のように狭い。守るに絶好の場所だ。


 それに、伏兵を忍ばせるのにも。


「やるとしたら、あそこだよな……」


 追いかけてきている者たちを、伏兵の銃撃で崩し、そこに逃げていた隊も反転すれば、簡単に蹴散らせる。


 後続の島津兵も谷へ入り込み、それを追う讃岐勢も谷へ入り込もうとしていた。

 来る。


 と元親は思ったが、来なかった。銃声の一つも起きない。


「……ただ単に、渡河するこちらを叩きに来ただけか……?」


 それなら、もっと数が必要な筈。いや、城の攻略に手一杯で割ける兵があれぐらいしかなかったとか?


 もやもやとする違和感を解消できないまま、弥次兵衛の率いる二千が谷へと入っていった。それに、元親の率いる本隊二千が続く。


 自らも谷に入る直前、元親は後方を振り返った。


「よし、ちゃんと残っているね」


 信親の率いる千の兵が、渡しの付近に見えた。義統の率いる六百もそこに滞在しているのはどうかと思われたが、端から当てにしていないため、気にしないことにした。


 視線を戻し、改めて進行方向を確認する。


 谷の中は、ひょうたんを縦に割ったような構造になっている。狭い入り口を抜けると、上戸次と呼ばれる半月状の小さな平野が広がり、そこの終わりがくびれのようにまた狭くなっている。左手は、急勾配の山だ。右手を添うように流れる、戸次川の流れは色濃い。水深が深いということであり、徒歩の兵が渡るのは至難だろう。


「弥次兵衛に伝達、『隊を右に寄せ、左の山手から距離を取るように』と」


 奇襲があるとすれば、そこからだろう。少しでも距離を取れば、それだけ対処する時間的猶予も生まれる。


 念のため、山の方に物見も放ったところで、元親は谷へと入っていった。権兵衛の隊はくびれを通過しようとしている。


「そういえば、古代西洋の戦いに、こんな感じの地形で行われたものがあったな……」


 地名も、その戦いを指揮した名将の名前も朧気だが、敵の大半を討ち取る大戦果を挙げていたということだけは覚えている。そして、討ち取られた側が、待ち伏せを受けた側というのも──


 ──銃声が、谷に木霊した。それに続いて、鬨の声までもが反響して聞こえる。


 その音の源は、前方にある。くびれの位置で、島津兵が待ち構えていたのだ。


「やっぱりか!」


 元親は全隊に停止を命じ、戦闘態勢に入らせた。一領具足にも火蓋を切らせ、いつでも撃てるようにさせる。


 ほどなくして、山手側に放っていた物見が戻ってきた。


「申し上げます! 突如、島津兵が現れ、気勢を上げて向かってきております」


 元親はここで、敵の意図を察した。


「……敵の目的は、こちらの撃退ではなく、殲滅にあったのか……」


 おそらくあの抑えは、敵を引きずり込むための囮ということなのだろう。


 山から、わらわらと島津兵が降りてきているのが見える。その数は五千近い。これだけの兵を差し向ける余力があるということは、鶴賀城は落ちているとみて間違いないだろう。


 激変した戦況に対応するため、元親は鋭く下知を飛ばした。


「讃岐守殿に伝達! 『完全に取り囲まれる前に引くべし』と!」


 敵の目的が殲滅にあると分かった以上、それに付き合う必要はない。


「弥次兵衛に伝達! 『山から来る敵を食い止め、讃岐勢の撤退を支援しろ』──」


「──お待ちくだされ」


 不意に指令を遮られた。誰かと思って見てみると、左京進であった。彼は自分の指揮する隊を持たず、近習の様に元親のそばで使えていた。


「彼らは見捨てましょうぞ。あそこまで深入りしていては、助けるべくもありませぬ。いたずらに、こちらの人命を費やすだけかと」


「ならん。敵の伏撃で、彼らは混乱している。そこを横合いから切り込まれれば、一瞬で崩壊し、それに自分たちも巻き込まれてしまう」


「ならば、尚更お退きになられた方が宜しいかと」


「……これ以上問答をしている暇はない! 使い番! 先の命令を伝えよ!」


 戸惑っていた使い番が、放たれた矢のように走り出していった。


「……もしや、一度はともに戦った讃岐の者たちを。見捨てることができないとか……?」


 左京進の鋭い指摘をかき消すように、元親は大声で言った。


「本隊はこのままここに踏み止まり、退路を確保する!」


 視線を山手の方に戻すと、山津波のような島津兵が、地響きをたてながら猛進して来ていた。


「ようやくって感じやなぁ」


 斜め後ろから聞こえてきた蛍の声に、元親は小さく首肯した。


 こうして、戸次川での合戦が始まった。


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