三 春の夜の
タマヒメと出会ってから三日目の放課後。
僕たち幽霊研は、日課の見回りの最中――
「《呪々反射鏡》」「結界法術――《絡繰》」
案の定というべきか、旧校舎で戦闘を始めたやんちゃ者共と遭遇し、仲介をしていた。
「はい、そこまでだよ」「もう魔術は使えないぞ。死にたくなかったら、大人しく武器を捨てて和睦しろ」
無血で敵を無力化するのに特化した法術を扱えるアズマに、強力なカウンター魔術を持つトキの二人が前に出る。
大抵の場合は、校内でも名の知れた二人の魔術師が出向いた時点で、相手は戦意を喪失して解決するのだが……
「ふざけるな! 幽霊研は関係ねぇだろうがっ!」
「部外者はすっこんでやがれぇッ――!」
稀に両者の遺恨が特に深い場合などは、こうして逆上して僕たちに歯向かう者も出てくる。
二人が言い争っているのを聞いたところ、こいつらの親はそれぞれ警察と暴力団の若頭。先日警察側が某県を根城とする暴力団の一斉検挙に乗り出た際、流血沙汰になったらしい。その時に負傷した警官の息子が、アズマに十手で襲い掛かろうとしている生徒。もう一人の、懐から拳銃を取り出した生徒が、若頭の息子。
つまり、この学校ではよくあるちょっとしたトラブルということだ。
「アズマ、お前に任せるぞ」「僕たちでは、どうしても傷つけてしまうからな」
見たところ、二人とも勇気と無謀をはき違えた蛮勇の徒に過ぎない。
トキと僕は今回は傍観役に徹し、アズマに一手に引き受けてもらうことにした。
「はぁ……トキもミズもカサネも、力が攻撃特化だからなぁ……」
面倒そうに頭をぽりぽりとかくアズマがどこからともなく取り出したのは、『急急如律令』と書かれた霊符。それも普段のような和紙ではなく、桃の木で作られた板状のものだ。
「邪魔するなら死にやがれ、この――!」
宙に浮いたそれがひときわ強い輝きを放つと、霊符に込められていた魔力を媒介として、アズマが法術を行使する。
「結界法術――《絡繰仕掛けのヒトツモノ》」
「なっ――なにっ!?」
すると……拳銃の狙いをアズマに定めていた男の挙動が、目に見えて狂い出した。
引き金を引く直前に拳銃を地面に向け、外されていた安全装置をわざわざかけ直してしまう。
ブリキの玩具のようなぎこちない動作で、後ろ手に手を組み、その場にしゃがみ込んだ。男の表情は驚愕と当惑で塗り固められている。まるで、誰かに操られているかのごとく表情と行動がちぐはぐだ。
そこをトキに取り押さえられ、男は無力化された。
範囲内の魔術を自在に操る結界術を扱わせれば、アズマは校内一だ。学校で一番と聞くと、いささかスケールが小さいように感じるかもしれない。だが、ここは芦原高等学校。生徒全員で、一国の軍隊にも匹敵する力を持つ魔術師の学校だ。そこで頂点ということがどういうことを意味するのか、それが分かっているから、僕やトキはアズマを単なる変態として軽視することができないのだ。
「オレは正義を執行しているんだ! それに楯突くとは、それでも魔術師か!」
その間にアズマの近くまで迫っていた警官の息子は、よく分からない論理を掲げながら、十手をアズマの頭部へと振り降ろした。
「破敵剣」
アズマは余裕な態度で宙に手を伸ばし、顕現した剣にてそれを受け止める。
「ふっ――」
そのままアズマはよどみない剣捌きで相手の十手を明後日の方向に弾き飛ばし、刹那の間に剣先を男の喉元数センチのところに、ぴたりと置いてやる。少しでも動けば、男は首に傷を負うことになるだろう。アズマは無血で、男に降参を促したのだ。
僕とトキでは、どうしても血を見ることになる。こういったトラブルを平和裏に解決するのは、やはりアズマの専売特許といったところだろう。
「……俺の負けだ。剣を降ろしてくれ」
男は潔く負けを認め、武器を手放した。
なんでもないように見せているが、アズマはほんの数秒の間に、二人の魔術師を完封して見せたのだ。
普段はとぼけた色欲魔でしかないというのに、アズマもまたトキ同様、どこか底の見えない男であるとつくづく思わされる。
蘆屋との関係も、二人の実力差を考えると不思議なものだが……当の本人がそれを望んでいるのならば、無粋な言葉は不要か。
ともかく、今日の見回りを無事に完遂した僕たちは部室に戻った。
月見里が入部して以降、見回りは基本男子三人で行うことになっている。部室で待機していた女子二人は、楽しそうに魔術の練習をしていた。
「――《夙之叢雲》――」
「……そうそう。筋がいいわ」
「本当? きっと、カサネの教え方が上手なおかげよ!」
月見里と蘆屋は同じ女子ということもあってか仲が良い。トキ以外にはあまり興味を抱かない月見里が、こうして自分から頼る姿を見せることがあるほどだ。
……さて、今日の活動も終わったところだ。そろそろ移動するか。
「では、僕は今日も高天原に赴くことにする」
「あー、それなんだがな、ミズ」
申し訳なさそうな顔で、トキが言う。
「ツクヨミのやつ、今ちょっと忙しくてな。こっちに来れないから、転移の魔術は使えないぞ」
やはり、中史と月神は現在多忙のようだ。
彼女の神術《月渡》は自由に時空間を移動できる便利なものだ。あれが使えないのは、確かに不便だが……
「問題ない」
言って、僕は開発したばかりの魔術式を構築した。
溢れ出した青き粒子が部室内に漂う。
「これは……まさかお前、転移の魔術を創ったのか?」
驚いた様子で、トキが問う。
「ああ」
トキの言う通り、これは短距離位相転移の魔術。
「時空間転移の魔術が人間に不可能とされているのは、その都度全く異なる時空間を指定して繋ぎ合わせなければならないためだ。逆に言えば、転移先を一つに絞った専用の転移術ならば、神でない者にも使役が可能ということになる。トキ、必要ないから創らないだけで、お前ならこの程度の術式の開発は他愛もないはずだろう?」
これは転移先を高天原に限定した転移術だ。
現在、中史がなにやら騒がしいのは分かっている。月読命が僕に付き合えない今日のような事態も出てくるだろう。
そのため、僕は彼女の転移術をじっくり観察させてもらった。
月読命の神術を二度も近くで見ることができたのだ。類似した術式を創ることは容易い。
「いや、そりゃ創ろうと思えば創れるだろうけどな……お前、初めて《月渡》を見てからまだ三日だろ。その間、ずっと転移魔術の研究をしていたのか? なんでそんなことを……」
「ふっ、愚問だな。――すべては、愛ゆえに」
「ああそう」
心底どうでもいいという風にトキが返事をする。
「さらばだ、朋友たちよ。――《天浮橋》」
名称は暫定的につけたものだ。術式に名を付けそれを口にすることで、簡易的な言霊の力が働き、魔術式がより高精度になる。これの発展形が、神降ろしをした巫の言霊であり、神職が扱う祝詞である。
僕の周囲を魔力の粒子が取り囲むと、視界が真っ白になった。
世界が反転し、一時的に御魂が肉体を離れる。……
☽
視界が晴れると、そこは四季が混在する隠れ里。見間違えようもなく高天原だった。
どうやら、初めての空間転移は成功したらしい。
「やあ、タマヒメ。また会いに来た」
転移先は、昨日本人から教えてもらったタマヒメの居宅。居宅と言っても、茅葺屋根の居館だ。タマヒメはちょうど、庭で食事中のようだった。
「あ、鮫さん……もぐ……こんにちは……んぐ」
口をもぐもぐと動かしながら、僕に挨拶を返すタマヒメ。その姿は大変愛らしく、結構なことなのだが……
「すまないが……それは何を食べているのだろうか」
「これですか? 蟒蛇草のお浸しですよ。今朝採ってきたばかりで新鮮で、美味しいですよ。鮫さんも食べますか?」
タマヒメが食べているのは、山菜として有名なウワバミのようだ。……彼女なりのギャグなのだろうか?
「では、少々貰おう」
「はい、どうぞ」
そう言って、タマヒメは……先程まで自分の使っていた箸でウワバミを掴むと、片手でお椀を作りながら、僕の方へ差し出してきた。男ならば誰しもが憧れる垂涎のシチュエーション、「あーん」だ。
ふむ。見たところ取り分ける用の小皿もなかったため、いったいどのように僕に食べさせるのかと疑問に思っていたが……まさかこう来るとはな。
タマヒメの意外な行動に僕が進退を考えていると、彼女ははっと気づいたような素振りを見せ、素早い動作で手を引っ込めた。
「あ、ご、ごめんなさいっ……こんなはしたないこと……」
やはり、無意識のことだったのだろう。彼女は自分がしていることに気づいた途端、頭から湯気が出そうなほど顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。
「いや、君らしからぬ行動に、少々驚いていただけだ」
「そうですか……。月読様が雑務に追われている時などは、こうして私がお食事の手助けをしているんです。それで最近、こんな癖がついてしまって……」
自らの行動を恥じるように弁明するタマヒメ。
一体どのような状況下で他人に「あーん」する癖がついたのかと不思議だったが、なるほど、それならば納得だ。
しかし、腰を据えて食事をするほどの寸暇もないとは。中史は一体、どれほどの危機に直面しているというのだろう。ますます、彼の動向が楽しみなことだ。
「謝る必要なんかねーんだよ、珠代。男にとってはご褒美みたいなもんだろ。な?」
唐突に、居館の中から声がした。
品のない喋り方だが、声からして女だ。
声のした戸口の方を見ると、一人の少女が立っていた。場所が場所であることを鑑みれば、彼女も日本の神なのだろう。
小麦色に焼けた肌を、ところどころ薄汚れた露出度の高い巫女服で包んだ小柄な少女だ。容姿年齢は十二歳ほどで、タマヒメよりもよほど幼い。
日本人らしい墨色の髪はとても長いが、そういうスタイルというよりは伸ばしっぱなしなだけなのだろう、手入れがされておらず艶はない。
「サグメちゃん、起きたんですか」
「ああ、お前が騒がしかったからな」
サグメ、と彼女をタマヒメは呼んだ。
「天探女か。神託の巫女だな」
その名は記紀にも記される女神だ。僕も知っている。
名前を呼ばれた女神は、ピクンとこちらに反応した。
天探女は興味深げに僕を見る。
「へぇ。最近の人間にしては、博識だな。あたしみたいな不人気女神でも、知ってくれてるのか」
「君はある意味では異質な神だからな。それで覚えていた」
「きひひっ」
サグメは特徴的な面妖な笑いを浮かべると、軽快な歩みで僕に接近してくる。
その身体には……どういうわけか、暴力的な魔力が立ち上っている。
「いいね。そういうさっぱりした性格の男が好きだぜ、あたしは」
額と額がくっつきそうなほど至近距離まで顔を近づけたサグメが、獣のような赤い眼を炯々と光らせて僕を値踏みするように見つめる。
サグメの呂色の魔力が、近くにいる僕をも飲み込まんとする。
「神話に名のある女神にそのように褒めてもらえるとは、男冥利に尽きる言葉だ」
「……ますます気に入ったぜ。神の魔力に中てられて平然としていられるその胆力、正に大和男子と呼ぶに相応しい丈夫だ。珠代から、あたしに乗り換えないか?」
「ほう」
「どうだ、一つあたしとまぐわいしてみようぜ。相性確認だ」
目合い。古めかしい言葉だが、男女の性交を意味する。
どうやら僕の性格は、よほどこの神のお気に召すものだったらしい。
「その提案は大変魅力的なものなのだが……生憎と僕には既に心に決めた女性がいる。申し訳ないが、今の僕に複数の女性と関係を持つ気はないのでな」
タマヒメの方へ目線を送りながら、やんわりと断りを入れる。と言っても、どうやらサグメはタマヒメの事情を知っているようだったので、わざわざ察してもらう必要もなかったかもしれない。
「そりゃ残念。ま、こんな貧相な体じゃ釣れないよな。……おい、珠代」
僕から距離を取ったサグメは、タマヒメ――珠代、とは彼女のことだろう――を呼ぶ。
「あ……は、はいっ」
一連の流れを呆として傍観していたタマヒメが突如呼びかけられ、慌てて返事をする。
「早いうちに、この男への態度を決めといた方がいいぜ。じゃなきゃ、先にあたしがこの男を落としちまう」
挑発的な笑みを浮かべて、サグメはそんなことを言う。
「わ、私は別にそんな……っ!」
またしても顔を赤くして、必死に否定するタマヒメ。
「きひひっ。まあいい。ミズのお浸し、美味かったぜ。またな」
サグメはふらふらと手を振って、林の中に消えていった。
「……ミズ? 鮫さんのことじゃ、ないですよね?」
最後にサグメが放った言葉の意味が分からなかったのだろう、タマヒメが首をこてんと傾げる。
ミズが僕のあだ名であることは知っているはずだが、文脈から僕のことを言っているわけではないことは分かるのだろう。……やはり、彼女なりの高度なギャクというわけではなく、無意識の行動だったか。
「今タマヒメが食べているウワバミの別名が、ミズという」
タマヒメが箸で掴んでいる料理を指差して言う。
蟒蛇草、別名ミズ。水辺近くに群生していることからついた名前だ。
「あ、なるほど。これ、ミズとも言うんですね」
「愛称のようなものだな」
そう言って、タマヒメは再びウワバミを箸で掴み、口に入れようとするのだが……寸前で、ぴたりと止まってしまう。
「なんだか……食べづらくなりました。恥ずかしいです」
そういうものか。
「サグメの意趣返しは、成功しているようだな」
あのタイミングでウワバミにミズというあだ名があることを教えたのは、タマヒメからこういった反応を引き出すためだったのだろう。僕に袖にされた仕返しか、元来そういう性格なのかは定かではないところだが。
「彼女とは、旧知の仲なのか?」
一人で考えても仕方のないことなので、どうやら親しい様子を見せていたタマヒメに尋ねることにする。
「私が最初、尾張にいたことは、言いましたよね。サグメちゃんとはその時に会ったんです」
地上で出会った、か。
「ならば天探女は、天下りした天津神なのか? それとも国津神か」
この国は、神の住む高天原と、人の住む葦原という二つの構造によって成り立っている。
その中で、高天原で生まれた神を天津神、芦原で生まれた神を国津神と呼ぶ。
天探女については伝承が錯綜しており、正確な情報は伝わっていない。
「天津神、だと言っていました。ただ、サグメちゃんは神逐――長らく高天原を出入禁止になっていたようで、ほとんど葦原――地上で過ごしてたらしいです」
らしい、と言うその様子を見たところ、タマヒメもサグメの過去について詳しくは知らないのだろう。
神逐とは、読んで字のごとく神を放逐――追放処分とすることだ。
「サグメは君のことを、『珠代』と呼んでいたようだが」
「人代に生った神は、人としての字――仮の名前を持ちます。それで、私は珠代という名を名乗ることにしたんです」
確かに、人間で「玉日女」というのは貴族ならば格別、そこらの一般人が名乗るには少々違和感が拭えない。人間社会に紛れて暮らすには、身分に適した名が必要なのだろう。
「私は葦原にいた頃は、珠代と名乗っていたので……その頃に会ったサグメちゃんは、私のことを今でもその名前で呼んでいるんです」
「仲睦まじいようで、なによりだ」
どうやらタマヒメとサグメは、単なる友人同士のようだ。
ならばこれ以上、無粋な質問を重ねるのも心苦しい。こちらで調べることにしよう。
☽
僕は家に帰り、手持ちの資料を参照しながら天探女という神についての情報をまとめる。
――神話の時代。高天原の皇祖神、天照大御神は天稚彦という神を地上に派遣した。
しかしワカヒコは、八年もの間高天原に何の連絡もよこさなかった。ワカヒコは地上で妻を見つけ、アマテラスからの命を放棄していたのだ。
その事情を知らないアマテラスは、雉を地上に遣わして伝言を伝えた。『八年も音沙汰がないとはなにごとか』と。それを聞いたのが、ワカヒコに仕えていた天探女だった。
彼女はこの神勅をワカヒコには伝えず、『あの雉の鳴き声は不吉だから、弓矢で射殺してしまおう』と逆にワカヒコをそそのかしてしまう。ワカヒコはその通りに行動し、これを受けたアマテラスらにより、ワカヒコは殺されてしまう――
この話以降、天探女という神が神話に登場することはない。
彼女は日本神話では珍しく、明確な『悪』として描かれている女神だ。それゆえ彼女の名には、「神」や「命」といった尊称がない。
タマヒメの話では、サグメは高天原を出禁になっていたようだ。少なくとも、この神話がすべて間違いで、彼女が善の神であるという可能性は低いとみていいだろう。
今のところは、別段なにか危害を加えられたわけではない。タマヒメに対しては、単に好意から朋友をしているような素振りも見受けられた。しかし、警戒しておく必要はあるだろう。
【用語解説】知らなくていい予備知識。
『ウワバミソウ』
多年草。茎がよく山菜としてお浸しなどにして食べられる。
ウワバミとは『蟒蛇』と書き、大蛇を意味する。大きな蛇の生息していそうな場所に生えていることから、この名が付けられた。またよく水辺に自生していることから、『ミズナ』『ミズ』などとも呼ばれる。
『神逐』
高天原から神を追放することを指す。日本神話においてスサノオノミコトがこの追放刑に処されたのが、文献に残る唯一の前例。
ワカヒコの話について詳しく知りたいという方は、『国譲り』で調べるとよいと思います。




