一 しのぶれど
鮫水遥、通称「ミズ」に焦点を当てた短編です。本編にはあまり関係ありません。
全十話予定です。
――馥郁たる花の香りが、僕の鼻孔を刺激する。
それは、現世では嗅ぎ慣れぬものである。
「最近なにかとゴタゴタに巻き込まれてる俺たちを労ってツクヨミが主催してくれるパーティが高天原で開かれるっていうから幽霊研のみんなを連れてきたけど、あらためて見てもすごいところだな」
なぜか説明口調でこれまでの経緯を解説する――敬服する友人の、中史時。
「すごい……強い魔力の反応がたくさんあるわ! あれ、全部神様なの?」
深窓の令嬢のごとき容姿を持ちながらも、無垢なる気持ちを忘れない気高き転校生――月見里輝夜。
「よし……絶対に天宇受売のストリップティーズを見――」
――バスンッ!
「……踊るのはあんたの方よ」
――バスンバスンバスンッ!
「あっ、いや危ないッ、当たるからっ、ホントに当たるから!」
小柄な体躯に似合わぬ厳めしいオモチャで男の足元を撃ち、半ば強制的にタップダンスをさせているたいへん愉快な少女――蘆屋襲。
その蘆屋の銃撃を間一髪避け続けながらも、どこかその表情は笑っているようにも見える不思議な男――色欲魔獣たる、池田東。
みな、僕の通う高校の学友だ。
本日は晴天なり。憂う事は一つとしてない。
僕ら魔術師にとり貴重な、安息の日である。
「――ようこそ、高天原へ。早く座ってかし」
そして――
僕らの前で浮遊する、幼子のような姿をした御方こそは――記紀神話などに古くから見られる、我が国の月神。三貴子が一柱、月読命。トキの祖神だ。
莫大な魔力ゆえだろう。本人は意識していないのだろうが、全身から威圧感があふれ出ている。
「……いいの、中史? ……神様に、接待させて」
「まあ、ツクヨミがやりたくてやってるっぽいし……無理に止めると、駄々こねて怒り出すんだよ、あいつ。飽きるまで好きにやらせとけ」
そしてここは、人の身では決して到達することの叶わぬ理想郷。
ここから見える景色は、四季折々の植物が咲き乱れ、それぞれが完璧な布置結構をした――芸術の神が幾百の年月をかけて描き給うた、一枚の絵画のようである。
天に坐する神々の住む、穢れなき神界。人の欲望寄せ付けぬ天上世界。
――神の国高天原であった。
「どれもおいしそうよ! はやく、いただきますしましょう、トキ!」
「ああ、そうだな」
目の前の木製のテーブルに並べられた餐の数々は、霞のみを吸って生きるとされる仙人ですら手を伸ばしたくなるほど豪勢なものだ。
「此方が、ぜんぶ作った」
月読命が、その全き平地――おっぱいともいう――を張り、ふんす、と得意満面になっている。
「ツクヨミの手作りなのか……すごいぞ、よしよし」
「ふへ……もっと撫でてかし」
表情筋が乏しいのか、笑顔は歪である。
「……しかし、よかったのか? 三貴子の血を直系に持つトキなら分かるが……僕たちまで連れてくるのは、少々都合が悪いんじゃないのか?」
ここに来た時から抱いていた懸念点を、トキに訊ねる。
「俺も小さい頃はそう思ってたんだが……なんか、仏教はともかく神道の方はいろいろ適当みたいでさ。平和的な魔術師なら、大歓迎なんだとさ」
「なるほど。……その基準で考えると、蘆屋あたりは不合格な気もするがな」
転移後早々、高天原の大地に象られた「弾痕」なるアートを目にし、僕とトキが苦笑いを浮かべる。
そのあたりも、神の設けた雑駁な基準ゆえに見逃されるということだろう。
……小話もほどほどに、僕たちは目の前の御馳走に手を合わせた。
「「「いただきます」」」
☽
「ふう……もう入らないよ」
テーブルに並べられた品々。
いくらもしないうちに、僕たちはそのすべてを平らげた。
「ああ。ごちそうさま、ツクヨミ」
「おそまつさまでした」
「……神が使うと、変な感じね」
程よい具合に満腹中枢が刺激され、心地よい幸福感が身を包む。
ここは一つ、食後の運動といこうか。
……と、僕が席を立ち、運動に適した場所を探すべく辺りを見回していたところ――
「――――!」
――その視界の端に、端正な佇まいの少女を捉えた。
「…………っ!」
僕の視線はそこで固定され、動かなくなってしまう。
「ん、ミズ……どうした、一箇所をじっと見つめて」
その場に立ち尽くしたまま微動だにしない僕を不審がってか、トキが僕のあだ名を呼ぶ。
「……って、ん? 誰かいるな。あの人を見てたのか。……ツクヨミ、あれは誰だ?」
トキが僕の視線を追い、その先に少女がいることに気づく。
食卓を囲む全員の視線が、その少女に集中する。
「呼ぶ」
そう言った月読命は口を開くでもなく、ただ件の彼女じっと見つめた。
すると――数十メートル先に立っていた少女はぱっと顔を上げて、こちらにかけてくる。
視線を感じ取ったのかと一瞬考えるが、それは難しいだろう。
月読命が彼女の方を向いた際、微量の魔力が彼女に向けて放たれていた。
恐らく、彼女の脳内に直接語りかける神術――テレパシーに類するものを使ったのだろう。
……などと分析している間に、その少女は月読命の隣までやってきていた。
「紹介する」
月読命があどけなき声音にてそう言うと、横に立っていた少女はぺこりと頭を下げた。
「此方の……使用人? 側用人? なる、玉日女命。出雲から連れてきた」
「はじめまして、皆さん。月読命側仕えの玉日女です」
その名の通り、玉のように透き通った声色だった。
彼女――タマヒメは顔を上げ、朱唇がゆるやかな弧を描く微笑をたたえた。
「…………っ!」
ぞわり、と背筋が強張った。
「側仕え? ……そういえばツクヨミ、お前って普段どこに住んでるんだ?」
「彼処」
「いやあっち山しかないじゃん……サバイバルでもしてるのか?」
「今度呼ばむ。案内は任せて」
心の臓が、張り裂けんばかりに拍動する。
全身を巡る血潮が、熱く迸る。
「……、……、……」
「いやカサネ。そんなこっち警戒しなくたって、さすがに僕も神様にセクハラなんてしないからね?」
「…………アメノウズメのストリップショー」
「あれはほんの冗談だよ!」
日本の神らしいぬばたまの黒髪は、清らかな河の流れるごとく腰ほどまで伸びている。
山の香りを乗せたそよ風にたまさか揺れているのは、両の結び目を透き通る水晶玉でとめた特徴的なツーサイドアップ。
神がその身に宿す魔力によって変色したのだろう穏やかな銀の双眸は、万華鏡を覗いたのかと錯覚してしまうような煌めきに瞬いている。
その柔肌に通されし紅白の神御衣は、彼女の持つ純朴な美しさと奇跡的な調和をなしていた。
かの『秋冬山水図』を彷彿とさせる、慎み深くたおやかな心と、芯の通った高潔さを併せ持った女神――玉日女。
「えっと……あなたも、古事記とかに出てくる神様なの?」
「いえ……私は人代に生まれた国神なので、それほど格式高い神じゃないんです」
強敵と対峙した時のような緊張感。
感じたことのない御魂の慄き。
ああ……これは。
「はい……あ」
僕が一歩前に出ると、彼女が僕の存在に気づく。
――百合の女王の名を恣にするカサブランカの咲いたような笑みを、僕に向けるタマヒメ。
「こんにちは、えっと……」
――続く言葉に迷い、困ったように眉をハノ字に曲げるタマヒメ。
「鮫水遥だ。友人たちからはミズと呼ばれている。お初にお目にかかる、タマヒメ」
「はい、はじめまして、鮫さん」
――僕の名前を呼んで、はにかむように笑うタマヒメ。
……嗚呼。
これは、限界だ。
耐えきれぬ激情は、我慢しないと決めている。
ただあるがままにあれ、鮫水遥。
「よろしくお願いしま……えっ?」
彼女に近づいて、右の手にて、彼女の白い手をとる。
「――『花笑む』という言葉を知っているか?」
「――きゃっ!?」
もう片方の手はタマヒメの腰に回し、僕より一回り小さい華奢なその体を、引き寄せる。
「え――えっ、み、鮫さんっ……?」
僕の懐で抱き抱えられたタマヒメはたいそう動揺した様子で、頬には朱が差している。
千何百年と生きている神のはずだが、まるで未通女のような反応だ。実際そうなのかもしれない。
「奈良の宮廷歌人は、百合の花が咲き誇るような可憐な笑顔に、『花笑み』という言葉を与えた。だが正直、この言葉を初めて知った時、僕は心の内でどこかその歌人を嘲笑っていた。それほどの笑顔が、この世にあろうはずがない、と」
――だが、そんなことは関係ない。
鮫水遥は、それしきのことでは止まらない。
「いやはや、本当に驚かされた。ああ、確かにそれは、この世にはなかった」
友人達がなにやら驚いたようにこちらを見ているが些末事である。
僕はただ思うがままを述べる。
「しかし――遠く離れたこの天上世界でそれを目にすることができた。百合の花が、見間違えようもなく咲いていたのだ」
タマヒメは、あっけにとられたように僕を見つめている。
何を言っているのか分からない、とでも言いたげだ。
辛抱たまらなくなった僕は、思いの丈を素直に口にする。
「つまり――君が好きだ、タマヒメ。結婚してくれ」
言葉は自然に口をついて出た。
だからこれは、本心に相違ない。
「「「…………は?」」」
朋友たちが揃って単音を発する。息の合った仲間たちである。
「……え……?」
タマヒメも同様、疑問に思っているようだ。
「率直に言って、一目惚れだ。タマヒメ、僕と結婚してくれ」
「え……ええと……」
困惑するタマヒメに、唖然とする友人たち。
「……ご、ごめんなさい……?」
タマヒメが、当惑しながらも断りの返事をする。
「いやまあ、そりゃそうなるだろ……」
敬愛する友人が、呆れ声でそう言った。
☽
その後、気まずそうに去っていくタマヒメを見えなくなるまで見届けた僕は――高らかに天を仰ぎ、太陽の眩しさに目を細める。
「ふ……ははは……」
ああ、ダメだ。我慢するよう努めても、自然と笑みがこぼれてしまう。
「ふはははは――はーはっはっは!!」
心の底から込み上げる快活な気持ちに、僕は呵呵と笑う。
身体を満たすのは、溢れんばかりの万能感と無限の向上心。
久しく忘れていた、この感覚は、ああ――
「うわ……あのミズの様子、まさか……」
「フられた衝撃で壊れしや……?」
「いやツクヨミ、多分そうじゃない。あれは……」
「――“素”のミズだね」
「やっぱりアズマもそう思うか? あれからずっとおとなしかったんだけどなぁ」
「……やっぱり、原因はタマヒメ?」
「だろうね。自分でも言ってたけど、ミズ、あの子に一目惚れしたみたいだし」
初めて、恋に落ちるという感覚を知った。
実際にこうして味わってみると、なんと甘美なことか。
「おお、ハレルヤ!」
天に向かい、意味もなく叫ぶ。
僕はキリシタンではないしここは高天原だが、こういったハッピーな言葉は誰がどこで使ってもいいものだろう。
「……事情知らないと、完全に不審者ね」
「なんか危ないクスリでもやってそうだよね」
「……ねえ、どういうこと? 私とツクヨミ、その『事情を知らないから彼が不審者に見える人』の該当例なのよ。教えて、トキ?」
僕は今、確かにフられた。恋い慕いはじめたタマヒメに、早くも拒絶されてしまった。
しかし、だからなんだというのだろう?
僕は鮫水遥。乗り越える障害は高ければ高いほどよい。
それが不可能に近ければ近いほど、闘争心が刺激され、様々な意欲がわいてくるというものだ。
その試練をみごと乗り越えた時、人間は新たな高みへと昇りつめる。
「面倒くさいから端的に説明するが……あいつ、高校入学当初はずっとあんな感じだったんだよ。以上な自信家でめちゃくちゃ失礼なナルシスト野郎。……まあ、それに本人の能力が追いついてるから厄介だったんだが……」
「ある時、あのコロッセオでトキと一騎打ちをして負けたんだよ。で、なんか『君のような人間と、同輩として机を並べて学園生活を送れることを、僕は誇らしく思う。それに比べたら、僕などはまだまだのようだ』とか簡単に手のひら返しするテンプレかませ犬キャラみたいなこと言って――」
「……翌日登校してきたら、あのおとなしい調子になってたのよ」
「その急変の理由を本人に聞いたら、『来るべき時のために自らを律することにした』とかなんとか……よく分からないこと言ってたな」
――それが故にこそ、僕は天を仰ぎ続ける。
それは誓いでもなければ、意志表明でもない。ましてや願いなどでは決してない――
「待っていたまえ、タマヒメ。この鮫水遥が、必ず君を振り向かせて見せる」
――それそのものが、僕の矜持、僕が僕であるということなのだ。
【用語解説】知らなくてもいい予備知識です。
『神』
神とは『上』、人よりも上位の存在を指す言葉であり、世界を構成する御魂の一部が分離し、実体を得た存在。
基本的な御魂の構造は人間と変わらないが、単純にすべてのスペックが人間のそれを大きく上回っている。
『高天原』
日本神話において、日本の神々が住むとされる場所。機織りや農耕をしていることから、その生活は古代の人間のそれと類似したものだと思われる。
『葦原中国』
日本の古い呼称。日本書紀では、『豊葦原之千秋長五百秋之瑞穂国』などと記されている。単に「葦原」と呼ばれることが多い。
月科の『芦原高等学校』の名は、中史刻がここから取ったもの。
『神道』
日本の民族宗教。自然界には八百万の神が宿っているという精霊信仰の宗教。神に畏敬の念を込めて感謝し、祭祀を行う場を『神社』という。
『八百万の神』
よく誤解されがちだが、八百万というのは八百万ではなく、『8=末広がり』のイメージのように、『数えられないほど多い』という意味。実際的な数として八百万の神が存在するわけではない。




