十四話 性に目覚める頃から、
……ど、どうしたんだ、輝夜のやつ。
そんな、恥ずかしがるみたいに顔を赤くして――
「ねっ、ねえ…………いつまで、こうしてるの……?」
「っ、ああ……悪い」
暗に『早くどけ』と言われた俺は急いで起き上がり、輝夜に背を向ける。
これまでに類を見ないレアな反応だったので、あっけにとられて動作が止まってしまった。
身体を拭くフリをしながら、ちらと輝夜の方を見やる。
「……………………」
輝夜は自分の身体を抱くようにして、赤くなった顔をそのままに俯いている。
こいつの性格を知らなければ、それは箱入り娘だった大和撫子が、初めて恋を知った――というような態度に見えることだろう。
だがそれは、こいつに限ってはありえない……はずだ。
なぜなら輝夜はこう見えて、精神年齢は5、6歳のお子様だから。羞恥心などという難しい感情を、輝夜が持っているわけはない。
それはちょうど、幼子が異性に対して特別な感情を抱くようなことのないように――
「…………」
――と言おうとしたが、考えてみたら女子は心の成長が早いって言うし、なんならルリと俺が付き合ってたのってそれくらいの年齢の頃のはずだし……どうしよう。分からなくなってきた。
でもあの輝夜だし。純真無垢な子供の輝夜だし。こいつに限って、そんなこと……
「ト、トキ…………なにを、見てるの?」
「え? いや別に……」
「そ、そう…………」
「……なんだ?」
「……………………あぅ」
そんなこと……ない、よな?
☽
この変化が、転んだ拍子に頭を打ったことで生じた一時的なものだというなら、治しようもあったんだが……
どうやら、そうではないらしい。
輝夜の異変は入浴後も続いた。
「短歌やるわ!」
「英語は?」
「あいどんのー」
「……まあいいか。えっと、今日も相聞歌でいいのか?」
古文の、特に短歌を意欲的に勉強している輝夜。飛鳥時代を過ごした記憶がそうさせているのかもしれない。
中でも輝夜は相聞歌……恋の歌を好んで学んでいた。
あまり輝夜にそういう印象はなかったので、どこらへんが惹かれるのか聞いてみた。
「分からない、から? 多分だけど、そんな感じがするわ」
「どういうことだ?」
「自分には分からないことがあったら、もっと知りたい、もっと理解したい、って思うのよ。顔も性格も分からない昔の人が、どういう想いで歌を詠んだのか……それを想像するのが楽しいから」
「分からないを分かるに変えるのを楽しいと思えるか……なら英語やろう」
「のー!」
断固拒否らしい。
「……死の悲しみを歌った、挽歌なんかもそうじゃないか? 想像できないっていう点で言ったら」
「悲しいのは嫌よ」
「恋歌もだいたいは悲恋だろ」
古語の指す『恋』という言葉の意味は、現代で使われているものとは微妙にニュアンスが違う。現在では広く恋愛全般を指すこの言葉は、奈良・平安期では一般的に『叶うことのない恋の悲しみ』のことを言っていた。
だから相聞歌、と言っているにも関わらず、その歌の多くは悲恋がましく、儚い。
「相聞の歌は……なんていうか、それでも前向きになれる強い力強さがあるのよ! 届きそうで届かなくて、近くにいるのに遠くて、それが報われないと分かってても、一途にその人を想い続ける気持ちが!」
――と語る輝夜は、理解できないと言う割には……
「そういう気持ちを、私は知らないから……分からなくて……?」
いやに実感のこもった、理解者のようで……
「分から……なく、て…………あれ……?」
「……輝夜?」
間抜けな顔をする輝夜は、自分の胸に手を当てて、じっとそこを見つめた。
かと思ったらバっと顔を上げて、
「――っ、いいから始めるわ! きょ、今日は種類を問わない雑歌で! 風景の歌を勉強したいわ!」
「そ、そうか」
机を叩いて大声を上げる輝夜のあまりの威勢に、若干引きながらも万葉短歌の辞典を開く。
(これは……)
いい変化……そう見ていいのだろうか?
今日のこの状態がこのまま続いていくのだとしたら……それは輝夜にとって、成長だと、言っていいのだろうか?
(あいどんのー、だな)
結局この日、就寝の時間になるまで、輝夜はこの調子だった。
話の区切りを考えて、今回は少し短めになりました。




