第3話 大喧嘩
(――何でわかってくれないの!?)
小さくうずくまる紗奈の目の前で、ひょこひょこ、とうさぎが跳ねる。
(――って紗奈? 言ってないんだから、わからないのなんて当たり前じゃない? なんでわかってくれるとか思ってたの? そういうところじゃない……!? だからすぐ振られるんじゃない!? でも言わずともわかって欲しくない!? だって付き合ってるんだから……――)
二羽、三羽とうさぎが跳ねながら、じ、と紗奈を見上げる。
跳ねるうさぎ。
集まるうさぎ。
紗奈は、ぱちぱちと目を瞬いた。
(――……というか……私はなぜここに……?)
うさぎだらけの島・大久野島のうさぎに囲まれる紗奈は、自分で自分がわからなかった。
―― ep.3 紗奈の場合
整列するように並ぶ南国風の木の隙間から見える瀬戸内海を、ぽやっと眺めながら、紗奈は芝生の上でうさぎのように丸くなっていた。
いつ買ったかも記憶がないけど(多分フェリーに乗る前だと思う)、気づけば持っていたウサギの餌を、ぱららっと撒く。
もふもふもふもふ。
押し合いへし合い。
もふもふ集まってきたうさぎが、もふもふと餌を食べる。
必死。かわいい。
恋愛に必死だとこんなにみじめなのに、餌に必死なうさぎはこんなにかわいいなんて、ずるい。
(にしても、よく食べるなぁ)
もう一度、ぱらぱらっと餌を撒いた。
数時間前。
厳島神社の海に浮かぶ鳥居を前に。
紗奈は彼氏の和泉と大喧嘩をした。
理由は、
「満潮だったから」
え? そんなことで? って?
世の中の喧嘩の大半は「そんなことで?」がきっかけでしょ? と信じてる。
「――どしたの、紗奈」
「…………」
美しい、瀬戸内海にぽんと乗せたような鳥居を前に、むすっと口を尖らせている紗奈を見た和泉は、不思議そうな声を漏らした。
「…………別に」
「別にじゃわかんない」
「……いや、前にさ」
「……何?」
思いの外棘のある声が出た。
途端に、和泉の声も曇る。
「一回来たことあるって、言わなかったっけ?」
「聞いたよ。綺麗だったって紗奈が言ったから、来てみようかってなったんじゃん?」
「……うん。だからさ」
「何? わかんないって」
「…………降りてみたかったの」
「え?」
むうっと紗奈は、睨むように和泉を見た。
「次は干潮の時に来て、鳥居まで行きたかったの!」
「わかるわけねーだろ」
こんな感じだ。
「いいじゃん、おれは初めてなんだから、満潮で」
「何で? 初めてなら満潮でも干潮でも良くない?」
「普通に海に浮かぶ鳥居が見たい」
普通に、の言い方に、カチンときた。
「私が、ちょっと変わったものが好きって知ってるじゃん」
「それは知ってるけど」
「じゃあ察してよ!」
「察せるわけねーだろ! 干潮の厳島神社見たい層どんだけいるよ!?」
「めっちゃいるよ! 干潟マニアとか!」
「おまえ干潟マニアじゃねーだろ!」
「いいもん! 今日から干潟マニアになるから!」
「だったら中津干潟にでも行け」
「どこそれ!? 和泉のが干潟マニアじゃん!!」
「大分に決まってんだろ。カブトガニいるんだぜ? 知らねーの? 干潟マニア」
「何で決まってんの!? 詳しすぎてきもい!!」
「きもいって何だ!!」
(――……いつ、干潟マニアの話になったんだっけ……?)
うさぎをもふもふ撫でながら、紗奈は遠い目をした。
その後、これでもかと和泉のきもいところを捲し立てると、
『……もーいーわ。わかった。見たくねーなら、好きなとこ行けば』
と告げられた。
そこからの記憶は、あまりない。
気づいた時には、うさぎに囲まれていた。
(なんでいつも、こうなるんだろ……)
高校で初めて告白されて、付き合った。
3ヶ月後。
『変わってるね。何か違った』
と振られた。
大学に入って、かわいいね! と声をかけられて付き合った。
3ヶ月後。
『紗奈って、よくわかんないわ』
と振られた。
(何か違ったとか、よくわかんないとか、どういうこと? そんなに私、わかんない? 察してもらいたいとか、言わなくてもわかり合いたいとか、思っちゃだめなのかな? そういうカップルが理想なのって、だめ?)
振られた後、あからさまに気落ちしていた紗奈を見かねた友だちが、合コンを開いてくれた。
酔って、わあわあと愚痴をこぼし、男性陣がドン引きする中。
『紗奈ちゃん、面白っ』
そう言って笑ったのが、和泉だった。
過去の恋愛遍歴も、自分が変わっていることも、酔って晒した醜態も、全部わかった上で告白してくれた和泉には、運命めいたものを感じたし、正直きゅんとした。
「――……のに…………結局こうなるの……?」
面白い紗奈ちゃんが好きって言ってたのに、と、涙が滲む。
すんすん。
コリコリ。
すんすん。
カチカチ。
「……?」
鼻をすする音に混じり、妙な音が聞こえる。
それは、撫でているうさぎから聞こえるようで、紗奈は耳を近づけた。
コリコリ。
歯ぎしりをしているような小さな音に、紗奈はぎょっとする。
「どど、どうしたのかな!?」
何か怒ってる!? と慌ててスマホを取り出す。
「うさぎ 歯ぎしり」検索。
『うさぎの小さな歯ぎしりは、リラックス時の「嬉しい・気持ちいい」というサインです。』
え、と固まる。
「……リラックスしてたの……?」
紗奈は、目を瞬いた。
そうなんだ……意外……! とうさぎを見下ろす。
そう言われると、目を細め、耳を後ろにぺたんと倒したうさぎはむすっとしているというよりも、うっとりとしているように見えた。
はっ!? と目を見開く紗奈。
(もしや私、うさぎを手懐ける才能が!?)
才能が開花した! とそのうさぎの前にぱらっと餌を置いてみる。
ぱくっ。
かりかり。
(単純! かわいい!!)
飼いたい! と身をよじる。
君はうさぴょんって名前ね、とその茶色のうさぎに勝手に名前を付けて、もふもふ撫でる。
「……私も、うさぴょんみたいに単純で素直だったら、ずっとかわいいって思ってもらえるのかな――」
「思ってるけど」
聞き慣れたゆるい声に、どきっと胸が跳ねた。
撫でていた手が、ぴたっと止まる。
なぜだか、涙が込み上げる。
うさぴょんって何? と笑いながら近づいてくる和泉を、直視できない。
視界の端で、よしよしと猫を撫でる和泉。
「おかげで見つかったわ。ありがとおまえ」
「……何で猫?」
「野良猫じゃね? こいつ追ってきたら、おまえ見つかった」
「そんなことある?」
「あるみたい」
可笑しそうに笑う和泉。
全然笑えない。
「…………何でいるの?」
「いやー、好きなとこ行けばって言ったから、ここかなと思って」
「意味わかんない」
「紗奈旅行前、SNSのゆるいうさぎの絵、すげー見てたじゃん。うさぎ好きなんだなと思って。雑誌の大久野島のページもよく開いてたし」
「…………」
――嬉しいとか思ってませんから。
猫がふらっとうさぎに混じる。
全くうさぎが気にしていないところを見ると、すっかり顔なじみの猫なのかもしれない。
喋れもしないのにうまくやれてていいな、と思う。
わかり合ってるみたいで。
すると和泉が、ははっと声を上げた。
「めちゃ綺麗だったわ。厳島神社。やっぱ最初は満潮だな」
「……あっそ」
「結婚式してたよ。絵になってた」
「……あっそ」
「あの鳥居、土の中に埋めてあるんじゃなくて、置いてあるだけなんだって。紗奈知ってた?」
思わず、顔を上げる紗奈。
「…………え、うそ」
「ほんとほんと」
「何で浮かないの……?」
「重いからじゃね?」
「持ち帰れるってこと?」
「おおその発想はなかったな」
思わず、顔を見合わせた。
「……明日、干潮狙って置いてあるとこ見に行く? おれも2回目だし」
「…………」
紗奈は口をへの字に曲げ、きゅっと涙を堪える。
立ち上がると、ぽふっと和泉の胸に顔を埋めた。
「……行く」
「はいはい。素直でよろしい」
「言い方腹立つ」
「……ごめん」
「………………ごめん、和泉。やっぱり和泉きもくない」
「いーよ別に。紗奈あんまり自分の意見言わないの知ってるし。でもわかりやすいもんな。干潮はさすがにわかんなかったけど」
ぱちぱちと目を瞬くと、紗奈は和泉の顔を見上げた。
「…………わかりやすい?」
「わかりやすいよ。好きなものばっか見てたり、好きなもの見てる時、目きらっきらしてるし」
「うさぎみたい?」
「うさぎ? まあ、小動物っぽさはあるよな」
「うさぎみたいにかわいい?」
「あー、まあ」
「かわいいところが好き?」
「あー、まあ」
むうっと和泉を睨むと、どす! と胸に頭突きをした。
「ぐっ……」
「『あー、まあ』って何!? 言ってよ!」
「いやわかるだろ! 察せよ!」
「言ってほしいの!」
「男はそういうの恥ずいの!」
「言ってくれないと不安になる――」
そう言いかけて、はたと固まった。
(――いやそれ、私じゃない? 察してもらいたいとか、言わなくてもわかり合いたいとか思ってたの、私の方じゃない?)
単純で素直なうさぎにも、調べて初めてわかる仕草があったみたいに。
言わずとも伝わってほしい、察してほしいっていうのは、結局は相手を不安にさせるだけなんだ。
知らずに歯ぎしりされたら不安なままだったけど、意味がわかったら懐かれた気分になった。
――ちゃんと伝えた方が、好きになってもらえるのかな。
急に黙り込んでしまった紗奈を、不思議そうに見下ろす和泉。
紗奈は小声でぽそっと呟いた。
「……厳島神社、干潮がよかった。満潮は見たから、鳥居をくぐりたかった」
「おお、どうした急に」
「ちゃんと言ったら、好きでいてもらえるかなと思って」
「…………」
ちらちらっと周囲に視線を向ける和泉。
ゆっくり屈むと。
ちゅ、と軽くキスをした。
「……ちゃんと好きだから。ちゃんとかわいいから、紗奈」
「…………」
ぽ、と顔が熱くなった。
何か月一緒にいると思ってんの? と困ったように笑う和泉に、きゅんとした。
きゅんとするなんて、最初だけかと思ったけど、やっぱり言ってもらえると、嬉しいんだ。
すると。
照れたような和泉の口から、あー……、とわざとらしい声が漏れる。
がさ、と目の前に袋を掲げた。
「はいこれ。かわいい紗奈ぴょんの餌付け用」
「え?」
袋の中身を覗き、紗奈は目を丸くした。
「宮島ビール!!!」
「ほんと、地ビール好きな、おまえ」
「ありがと和泉……大好き……!」
「はいはい。素直素直」
「こっちの箱は?」
「紅葉バターサンド。ちょっと変わってていいだろ?」
もやぁ……と和泉を見上げた。
「もみじ饅頭がよかった」
「そこは王道を行くのかよ!!!」
わかるか! と盛大に突っ込む和泉。
――伝えるのって、やっぱり難しい。




