きっかけ
朝の空気は澄んでいた。
草原は穏やかだ。
けれど、その静けさに似合わないものが残っている。
焼け焦げた地面。
抉れた土。
黒く散った戦闘の痕跡。
「昨日いったい何が……?」
思わず声が漏れた。
「深夜、襲撃を受けたのだ。ユウキ殿が一人で撃退してくれた」
テオ様の低い声が答える。
「これを……ユウキひとりで?」
焦げ跡を見渡す。
これだけの戦いがあったのに。
私は眠っていた。
深く、まるで石のように。
誰も起きなかったなんて、どう考えても不自然だ。
少し離れた場所で、メアリお姉様がユウキに詰め寄っているのが見えた。
護衛対象を一人で守り切ったのだ。
普通なら褒められる場面だろう。
ましてや昨夜は、何かしらの妨害で皆が起きなかったのだから――
そこまで考えて、私はふと気付いた。
「まさか、メアリお姉様……」
自然と口角が吊り上がる。
もはや襲撃のことなど、どうでもよくなっていた。
こっそりと二人の背後に回る。
「昨夜、何があったのですか」
「来客。帰った」
お姉様の固い声。
それとは対照的に、ユウキの軽い声。
私は思わず口元を押さえた。
ああ――これは、香りますわ。
「なぜ、私を起こさなかったのですか」
「寝てただろ」
「だからです」
空気が、ぴんと張り詰める。
メアリお姉様が一歩踏み出した。
「私は姫様を守る騎士です。危険があるなら最前に立つのは私です」
うんうん、と私は心の中で頷く。
正論ですわ。
けれどユウキは、少しだけ目を細めた。
「今回は俺で足りた」
静かな声。
否定でも、見下しでもない。
ただの――事実の提示。
メアリお姉様の指先が、ぎゅっと握られる。
「……私では、足りませんか」
いつの間にか、隣にパメーラが立っていた。
きっと今、私たちは同じ顔をしている。
どうやらユウキがこちらに気付いたらしい。
ほんの一瞬だけ沈黙が落ちる。
「そういう話じゃない」
「では、どういう話ですか」
話を切り上げようとするユウキ。
けれどお姉様は引かない。
「危険だと分かっていても、私たちに何も言わずに」
「結果は出しただろ」
「結果の話をしているのではありません!」
声が強くなる。
たぶん――
お姉様は怒っているのではない。
大切な人を失う恐怖が、爆発しているのだ。
「あなたは、いつもそうです」
メアリお姉様は続けた。
「危険があれば一人で行く。
何も言わずに終わらせる」
ユウキは少しだけ息を吐いた。
「……悪かった」
短い言葉だった。
「次は声くらいはかける」
メアリお姉様は一瞬だけ黙る。
それから小さく言った。
「……約束です」
「はいはい、騎士殿」
軽く肩をすくめるユウキ。
その様子に、私は思わず口元を押さえた。
「ワクワクしてきたわ。メアリお姉様、もっと詰め寄るのよ」
小声で囁くと、
「姫様、あまり声を出すとバレてしまいます。今いい所なんですから」
パメーラが慌てて制止する。
いけない、いけない。
手を口に当てて、漏れ出そうになる笑みを押さえる。
けれど――
どうしても、にやけてしまう。
ユウキは面白くなかったらしい。
「とりあえず後ろの姫さん達が聞いてる前でこれ以上はもういいだろ」
「……えっ」
メアリお姉様が振り返るのと、パメーラが横から消えているのに気付くのは同時だった。
「ヴィ〜オ〜ラ〜〜?」
背後から聞こえる、恐ろしく優しい声。
「まずいわ!お姉様が説教モードよ!」
逃げようとした瞬間――
がしっ。
「どこへ行くのですか、姫様」
振り向けば、完璧な笑顔のメアリお姉様。
そのまま私はトラックへ連行され、しばらくの間、騎士道精神についての講義を受けることになった。
――――――――――――――
一行は出発した。
荷台ではいつのまにか、説教から女子会へ会話が移っているようだ。
後ろから笑い声が聞こえる。
「ですから姫様!ああいう話を茶化してはいけません!」
「でも面白かったですよ?メアリお姉様、あんな顔初めて見ましたもの」
「姫様!」
「パメーラも笑っていたではありませんか」
「いえ、私は笑ってなど――」
トラックの荷台が揺れる。
ユウキがバックミラーを見て呟く。
「……朝から元気だな、そういえば少年がいないようだが?」
「少年?ああ……リリなら襲撃の報告を一足先に伝えてもらっている」
「従士ってのは大変だなぁ……」
ふと真面目な顔になった熊が、ちらりと横を見る。
「昨夜の戦い……音はほとんど聞こえなかった」
「静かな武器なんだよ」
「それだけではない」
熊は首を振る。
「あの焦げ跡は普通の術ではない」
ユウキは少し肩をすくめる。
「まあ、色々ある」
「……そうだろうな」
熊はそれ以上追及しない。
それから、ぽつりと言う。
「ユウキ殿は……神の使徒なのだろうか?」
「はぁ!?そんなに信心深く見えるのか?」
熊はゆっくりと語り始めた。
「この世界を創りたもうた神、フォノト神はこう仰った」
――八百年に一度襲い来る魔に、対する術を与えよう。
――人類一丸となって立ち向かうべし。
「その八百年が近いと?」
「残念ながら、前回より後の記録は残っていないが……勇者の伝承もある」
「うわ、出たよ勇者」
「信じられませんか?」
「勇者ってのはだいたいロクな目に遭わない」
「……経験談のようだな」
ユウキは言葉に詰まる。
心当たりがありすぎた。
様子をうかがっていた熊も、何かを察したのか。
「答えはいらない、世界情勢を知っていてくれれば、それでいい」
そう言って前を向く。
頭の奥で、昨夜の影の言葉がよぎる。
――観測は十分です
ユウキは窓の外を見る。
草原の風景は平和そのものだ。
だが。
(あれは、ただの魔物じゃない)
荷台から声が聞こえる。
「ですから姫様!あれは騎士として当然の――」
「でも顔が真っ赤でしたわよ?」
「姫様!」
熊が小さく笑う。
「にぎやかな護衛だ」
「だろ」
トラックは静かに草原を進んでいった。




