210、可愛いとさっそく勉強
ディアスの大きな手を握ってキラキラした眼差しで見上げるマルティナと、そんなマルティナに嬉しそうな笑みを浮かべるディアス。
二人の様子にロランは仕方ないなと言うような笑みを浮かべながらも、ほんの少しだけ面白くなさそうな表情を見せていた。
表情の変化に気づいた者はほとんどいなかったが、近くにいたハルカだけは気づいたようだ。ハルカは少し考え込むように宙を見上げると、イタズラな笑みを浮かべてからロランに告げた。
「マルティナ、可愛いですよね」
ロランはどう返答していいのか分からないようで、困ったように眉を下げた。
「えっと……まあ、そうだな?」
「ですよね!」
曖昧な肯定だったが、ハルカは大きく反応する。
「これは友達の贔屓目とかじゃなくて、客観的にもそうだと思うんですよね。特に本を前にした時のマルティナは」
ハルカはロランの顔を覗き込むようにした。ロランはやはり困った様子で、少しだけ頬を赤くしてそこを指先で掻いていた。
「……子犬的な可愛さはあると思う」
「子犬……確かに」
本当は別の方向に話を持っていきたかったのかもしれないが、子犬という言葉に納得してしまった様子のハルカである。
二人がそんな話をしている横で、マルティナたちの話は続いていた。
『料理本なんかもいくつか覚えてるぞ』
『料理本!』
マルティナが嬉しそうに反応するのはいいとして、なぜかサシャも反応する。
「今、料理って言ったっすか!」
食べ物に関係する単語だけ、魔法陣言語を覚えているようだ。さすが食べることが大好きなサシャである。
「はい。サシャさんも魔法陣言語が分かるのですね」
「ちょっとだけっす」
「でも凄いです。護衛の仕事で忙しいはずなのに……今ディアス様は料理本もいくつか覚えていると言ってたんです」
「料理本!」
「ワクワクしますよね」
「めちゃくちゃするっすね!」
盛り上がる二人に、ディアスが割り込んだ。
『何を言ってるか分からないぞ』
『あっ、すみません。えっと……盛り上がってしまいましたが、とりあえず話を戻しましょうか。何よりもまずリール語ですよね』
『そうだな。それを使いこなせるようにならなければ不便すぎる』
ディアスの言葉に頷いたマルティナは、ラフォレたちにお願いした。
『では、さっそくディアス様へのリール語の講義をお願いします』
『分かった。教本を準備しよう』
頷いたラフォレは、一人の歴史研究家の男性に一言二言告げ、その男性は書庫を出ていく。おそらく開架にある教本を取りに行くのだろう。
『ディアス様はこちらにお座りください。――椅子が小さいですね。大きめの椅子を準備します』
体の大きなディアスは普通サイズの椅子だと少し小さいみたいだ。座れないことはないが、窮屈そうである。
『頼んだ』
「椅子ですか? 大きめなのを手配するなら俺がしておきます」
ロランが手を挙げて言うと、ラフォレは嬉しそうに頷いた。
「ありがとう。よろしく頼む」
そうしてリール語の勉強準備が始まったところで、手持ち無沙汰になってしまったマルティナとハルカは顔を見合わせる。
「わたしはどうすればいいかな」
「私もやることは特にないんだよね……帰還の魔法陣研究を進めておく?」
本当なら大陸会議をすぐにでも開いて何があったのか説明をして、浄化の今後なども話し合わなければいけないのだろうが、マルティナはさすがにまだこの場を離れるのは避けたかった。
(もう少し皆さんがディアス様に慣れてからの方がいいよね)
ディアスが好意的になってくれた理由である自分の存在は、まだこの場に必要だろうと思うのだ。
「そうだね。わたしも何か力になれるかな」
「ハルカの知識とか閃きが研究を進める可能性もあると思う」
「じゃあ、頑張るね」
グッと拳を握りしめてやる気満々のハルカを頼もしく思いつつ、マルティナは心の奥が重くなるのを感じた。
(やっぱりハルカは、帰りたいよね……)
当たり前のことだ。突然生まれ育った国から連れ去られて家族や友人などから引き離されて、帰りたくないわけがないのだ。
そう頭では分かっているのだが、ハルカが帰るということは永遠の別れを意味する。どうしてもマルティナは、悲しく思う気持ちを止められなかった。
心の奥に強く押し込んで表に出てこないようにしているが、胸の痛みは誤魔化しきれない。
「一緒に、頑張ろうね」
それでもマルティナは、必死に笑みを浮かべた。ハルカが罪悪感を覚えないよう、悲しさは表に出すべきではない。
「うん!」
そうしてマルティナとハルカは帰還の魔法陣について話をして、その隣ではディアスがリール語の勉強して、ラクサリア王国への帰還初日は過ぎていった。




