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――幸いにして、献上品の女性達は皆無事だった。
献上された段階で、レイヴァンセルグの所有物となるので、粗末に扱われる事もなかったようだ。
事情があるのか、中には帰りたがらない人もいたが、それ以外の人は皆、故郷へと帰した。
無事に帰れると知って、女性達が浮かべた喜びと安堵の表情に、カティアも自分の故郷へと思いをはせる。
(……皆、元気かなあ)
イルスカウラの話では、国は落としたものの、カティアの仲間である勇者達を始め、抵抗勢力の中心であった神騎士の半分ほどにも逃げられ、まだ決着はついていない状況だという。
(修行して力を付けたら、すぐに戻るから)
「よしっ」
己の目的を再確認し、カティアは気合を入れた。
カティアが現在住んでいるのは、レイヴァンセルグ直属の配下に与えられる、第二宮と呼ばれる宮殿の一室だ。
始めの頃は物珍しさに不躾な視線を受けたものだが、最近はカティアの存在にも慣れてきたのか、ごく普通に生活を送っている。
その第二宮から、レイヴァンセルグただ一人のための住まいである第一宮へは、一応通路でも繋がっているのだが、一度外に出て庭を突っ切った方が実は早かった。
大分把握できてきた魔王城の中庭を、やや大股で抜ける途中。
「ぎゃっ!」
「わっ!」
何かを踏んだ。
悲鳴を上げたという事は、生き物だ。
慌てて足をどかして下を見ると、黒い仔犬がいた。身体の長さの1.5倍程もある長い尻尾を、どうやら踏んでしまったらしい。
「ごめんなさいっ。大丈夫!?」
ここにいるという事は間違いなく魔族だが、見た目が仔犬で可愛かった。自然、カティアの心配も本気のものになる。
「大丈夫な訳ねーだろ! 思っクソ踏みやがって!!」
がうっ、と吠えてがなり立ててきた仔犬は、ガラが悪かった。
「ごめんなさい、考え事してて。まだ痛い? 治癒魔法かけた方がいい?」
「わっ」
様子を見ようと尻尾に触れたカティアに、仔犬は驚いて飛びのいた。
(あれ?)
「き、きききっ、気安く触んじゃねー! お、お、俺様を誰と心得るっ!!」
「……もしかして、貴方、魔王?」
触れた時に感じた魔力量が、尋常ではなかった。まさかと思いたい気分でカティアが訊ねると、仔犬は一瞬の発光の後、仔犬の形を崩して青年の姿を取る。
「もしかしてたぁどーゆー事だ! 禍つ漆黒の雷獣、獣王ガル=シェリストリード様たぁ俺の事よ!」
犬の時と同じく、漆黒の髪と赤の双眸。しなやかな体躯を持つ十六、七程の勝ち気そうな少年だが、頭からは犬耳が、尾てい骨からは尻尾が垂れていて、そこはかとなく愛らしさが残っている。
「禍つ漆黒のって……無理があったわよ」
どう見ても、ただの可愛らしい仔犬だった。
「うっ、煩え! 人を見かけで判断すんな! 俺が本気んなったらマジすげーから!」
「それは分かるけど……」
感じた魔力量からして、間違いなく『マジすげえ』だろうが。
「……お願いだから、貴方達もうちょっと知性をつけて。見ててこっちが恥ずかしいんだけど。居た堪れない」
「なっ、何だと!? 俺のどこが知性がないっつーんだ! 生まれて千六百八十八年、読んだ蔵書は十冊以上だ!」
「少なっ!」
つい先日、誰かも似たような事を胸を張って言っていた。
これは魔族達の間で流行っているジョークなのではないだろうかと、カティアは真剣に考えた。いっそその方が救われる気がする。
「何だと!? じゃあテメーは何冊読んだんだ!」
だが残念ながら、やはり至って本気らしかった。
「知性は本の数では決まらないわよ。関係はあると思うけど。後、正確な数とか覚えてない」
聖王国の図書館に集められた本は、十万冊ほどだと聞いた事がある。
限られた時間を割いて一割ほどは目を通したと思うが、それも定かではなかった。
カティアは本を読むのがかなり好きだ。魔族よりもはるかに寿命の短い人間達が編み出した、後世へ知恵を伝える技術。ページに綴られた文字を追う事に、誇りさえ感じる。
「なっ、何だと!? テメェ、一体何歳だ! 人間かと思ったが、さては魔女だな!!」
「人間よ。年は十七」
「嘘つけ! 覚えきれないほどの数の本を、そんな短い時間で読める訳ねーだろっ! あ、そうか! 二十ページぐらいのぺらい絵本とかだろ!」
「絵本がないとは言わないし、確かに読んだけど、そんなに沢山絵本ばかり集めた図書館は、残念ながら私の世界にはなかったわ」
(でも、あったら可愛いかも)
外観も、絵本にちなんでファンシーにして……などと考えたら、ちょっとだけ胸がときめいてしまった。
だがすぐに、今の故郷では叶いようもない事だと、現実を思い出して落ち込んだ。
何より、今なお戦乱の最中にいる友人達を差し置いて、修行をしに来ているはずのこの場所で、無関係なそんな事を考えてしまったのが申し訳なかった。
「何? 魔界の本って、そんなに読むのに時間が掛かるぐらい分厚いの?」
レイヴァンセルグによれば、彼の支配する領界中から集めた本を納めた、巨大な図書館が居城の近くの星にあるそうなのだ。星そのものが全て図書館だという、途方もないスケールだ。
だが知識欲だけが高い、見境のない魔族が多く滞在しているので、カティアが一人で行くのはまだ危ないと止められていて、興味はあったが行った事はない
知識を得る事は戦いにも役立つと思うが、それは力を付けてからでも適う事だ。今はレイヴァンセルグの居城にある図書室で、十分事足りている。
好奇心だけで、本を見に行きたいから付き合ってくれ、などとは言えない。
(言えば結構簡単に、付き合ってくれそうな気はするんだけど)
うっとうしい『我最強』の文句と共に。
「おう! 読み終わるまでにすっげー時間かかる! 十ページぐらいごとに眠気が襲ってくるからな! 起きると三、四日経ってるし、内容もよく覚えてねーし、つまらねえからあんま読まねえ」
「集中力なさすぎよ! 後、寝過ぎ!」
ただの個人の問題だった。
「うーん……。貴方の場合、取りかかる本から厳選するべきなのかもしれないわね」
本は、基本的には楽しい物のはずだ。本を集めた図書館が存在するというのなら、魔族とて、そこのところの感性にそう違いはないはず。
一瞬本気で考えてしまって、カティアは慌てて自分の思考を追い出した。魔王の読書を手助けしてやる理由は何もない。
「レイヴァンセルグの三千歳で千冊って、褒める所だったのかしら」
「あぁ? 何言ってんだ。セルグは今八千だろ。後二百と……アレ、いくつだっけ。忘れたわ」
「そうでしょうね!」
確かに、もう自分の年を数えるのも面倒になって来る年齢だ。
「つーかお前、人間が何でセルグの城にいるんだ?」
「……事情があって」
色々話すのが面倒になって来て、カティアは一言で片づけた。
「ふぅん。まあいーや。俺セルグと戦りに来たんだが、ちょっくら呼んで来いよ」
「え? 戦うの? レイヴァンセルグと?」
あまりに意外だったので、聞き間違いようのない明確な言葉を、もう一度聞き直してしまった。
「おう」
「……止めておいた方がいいんじゃない?」
ガルの魔力量は、イルスカウラと同程度に感じられた。レイヴァンセルグに敵うとは、カティアにはとても思えない。
「テメー、俺が負けると思ってんだろ。しかも一方的に」
「……思ってるわ」
魔力を探れば、誰でも行きつく結論なので、本人を前にややためらったものの、カティアは正直に頷いた。
「んなもん、戦ってみなきゃ分かんねーだろ。あいつに勝てば、俺が最強だ!」
「最強になってどうするの?」
「どうするって、変な事聞くなあ。別にどうもしねーよ。てっぺん目指すの当り前だろ」
迷いのない、単純明快な答え。その道にいるから、頂を目指したいのだというのならば、カティアにも理解出来た。
「貴方にとって、暴力は手段じゃないのね」
何かを成すためではなく、上があるから登りたい。ガルの欲求はそれだけだ。
「? 強けりゃ何でもできんだから、手段でもあるだろ」
「……そうね」
そして、強くなければ何も出来ない。
(悔しいけど、そう思っている相手がこっちを迫害して来るんだから、こっちも力を付けなきゃ駄目なのよね)
言葉は通じるのに、話は通じない。何故なのだろう、とカティアは虚しくなる。




