第一章 魔王のお茶会
――世界というものは、一つではなかった。
未だ天動説が信じられている大地に、足をつけて生活していたカティアには驚愕の真実だったが、『ここ』では当然の常識だった。
世界の外には宇宙があり、宇宙の中には、カティアのいたような世界が『星』という名前で呼ばれて沢山あるのだという。
更にその宇宙は『次元』という区切りで多くの階層があって、レイヴァンセルグは百八十七もの階層を支配する、近隣の魔王達の中で『最強』の名を欲しいままにする、最大勢力の『魔王』だった。
「セルグの支配地域は広いからね。修行ついでにでも、回ってみると中々面白いだろう」
「何て言ったって、自分でも把握してないんだもの。さぞ面白いでしょ。ねえ、セルグ」
「そうだな。ついでに近況確認も出来て丁度いい」
「変化はあった?」
「知らぬ。そもそも元の姿を知らんからな」
「……」
そんな魔王達のスケールの違う話を聞きながら、カティアは目の前に置かれたティーカップをじっと見つめていた。
白い陶器のティーカップは、名品ではあったが、特にカティアの関心を引くものではない。ただ、自分は一体何をしているんだろうかと、現実逃避をするために、凝った細工を見詰めているに過ぎない。
今カティアが座っている席で行われているのは、ただのお茶会だった。
白大理石の正円のテーブルに、四人が座って談笑している。
参加者は城主であるレイヴァンセルグ、その正面に覇王イルスカウラ。レイヴァンセルグからそれぞれ左右九十度の位置に、カティアと夢幻王アリアンローシェ。
「修行の方も順調みたいだね、カティア」
「……そうね」
穏やかに微笑みつつそんな事を聞いてくる、神々しいまでの銀髪の美青年は、間違いなく、カティアが打倒を目指す覇王イルスカウラである。
彼はレイヴァンセルグの支配地域のお隣さんで、どうやらそれなりに仲が良いようだった。こうしてテーブルを囲むぐらいには。
「でも、貴方に言われる筋合いはないわ。馬鹿にしてるの?」
「努力が実る事は良い事だと思っただけなんだけど、そうだね。ごめん」
「~――ッ!!」
ふんわり、と極上の美貌に穏やかな微笑み付きで謝られて、カティアは拳を震わせた。
言っても無駄な事は言わないようにしよう、と心掛けていたにもかかわらず、堪らずテーブルを叩いて立ち上がってしまった。
「謝らないでよ! 貴方魔王でしょう! 自分の世界が貴方に蹂躙されてるのが、凄く悲しくなるのよ!」
「ごめん」
「謝るなって言ってるのよ!」
怒鳴るカティアに、イルスカウラは困った様に微笑んで。
「俺も色々考えたんだよ。俺、あんまり威圧感ないみたいでずっと困ってたんだ。セルグみたいに振る舞っても浮くだけみたいでね……。どうだろう、今回の演出は結構自信あったんだけど、魔王っぽくなかったかい?」
「もう色々台無しよッ!!」
「あぁ、そうだね、ごめん。カティアも俺に支配される側だったね、そう言えば」
「く……っ……」
もう、何をどうすればいいのか分からない脱力感に、カティアは再び椅子に腰を落とし、テーブルに突っ伏した。
「真面目ねえ。今時、真剣に人間支配なんかやってるの貴方だけじゃないの? ガルを見てみなさいよ。あいつ、神獣だ――とか言って、むしろ崇め奉らわれてるわよ。何もしてないのに」
呆れたような息をつき、皮肉気な調子で言ったのはアリアンローシェ。
淡い桃色の髪に、紫の瞳。背中に薄い蝶の翅を生やした、十四、五程の美少女だが、その可愛らしさは、魔族だけにやはり小悪魔的だ。
「君やガルの所と違って、まだ若い星だからね。それに、魔族は人を支配するものだ。人々に絶対悪を教え、隣人への友愛を育ませるための教師だよ」
「そんなの、人間同士で勝手に敵味方を作ってやるわよ。私達がやらなくても」
「同族を争わせてはいけないよ。意味がない」
「意味なんか要らないわ。楽しく生きてればそれで良いじゃない」
こうして話しているだけだと、微妙に戦闘意欲が削がれるイルスカウラと違って、アリアンローシェは実に、人間の想像する魔王っぽかった。
身勝手で、即物的で、快楽主義。子供のような無邪気な残酷さ。
(どっちにしろ、敵なんだからどうでもいいけど……)
「もう十分隣人への愛は学んだから、さっさと倒されてくれない?」
「え? どうしてわざと負けなきゃいけないんだい?」
「教師は教え子を殺したりしないわよ」
「それは、弱いんだから仕方ないよね」
おっとりとした口調を崩さぬまま、本気の瞳でイルスカウラはそう答える。性格は抜けていても、考え方はやはり魔族だ。
「気に喰わぬならば力で変えろ。それが我等のルールだ」
「……知ってるわ」
所詮は、魔族。言葉は通じても話は通じない。
「ねえ、セルグ。貴方、本気で人間が魔王を倒せると思っているの?」
キロリ、と少し不機嫌にカティアを睨み、アリアンローシェはレイヴァンセルグへとそう尋ねる。
「不可能ではあるまい。先だっても、人間の魔女が魔王を殺し、成り変わった世界があったはずだ。我にその話をしたのは、お前だろう」
「ああ、呪いを使って魔王を陥れたという魔女の話だね」
「そんな事もあったわね。……じゃあ、本気で人間にカウラを殺させるつもり?」
アリアンローシェの声には、若干批判めいたものが含まれていた。
(魔族でも、仲間意識はあるのね)
知人でもない様子の、魔女に殺されたどこぞの魔王への死には何の感慨もなさそうだったが、少なくとも、イルスカウラが害される事に付いて、アリアンローシェは不快に感じているようだった。
「そんな事はどうでもいい。我はただ、強者に興味があるだけだ。そして、カティアにはその可能性がある」
「結果、カウラが殺されても良いというの?」
「負けたのなら仕方ないだろうね。俺は別に構わないよ。――負ける気はないから」
「っ」
金眼から笑みが消え、イルスカウラの目がカティアを射る。敵意のない殺意に晒され、カティアは小さく息を飲んだ。
身体が委縮して固まり、動けない。
そのカティアに、すぐにイルスカウラは殺意を消し、微笑んで見せる。
(悔しい……ッ!)
視線一つで黙らさせられる、圧倒的な実力差。
レイヴァンセルグに拾われてから、早三ヶ月。
カティアは己の十七年の研鑽が、いかに多くの無駄を含んでいたかを思い知らされた。僅か三ヶ月で、カティアの魔力は倍近く底上げされている。
そして最近、ようやく、目の前の魔王達の魔力量が感じられるようになってきた。
(桁が違う)
正確に測れない程、桁が違う。
敵う訳がなかった。あり得ない奇跡が起きなければ、今のカティアではイルスカウラに敵わない。アリと象が相撲を取って、アリが象を投げ飛ばして勝つぐらいの奇跡が必要だ。
そして恐ろしい事に、イルスカウラとレイヴァンセルグにも、それに近い実力差があるようだった。二人の場合は、アリと象程度ではなく、仔猫と虎程のようではあったが。
今は、勝てない。だからこうして同じテーブルに付いていても、何も出来ない。
(けど、いずれは……っ!)
レイヴァンセルグは可能性はある、とカティアに言った。それを信じる以外に、今のカティアに希望はない。
敵と同じ魔族の言葉に希望を見出すのもおかしな話だったが。
「馬っ鹿じゃないの。どうせ無駄なのに」
不機嫌なアリアンローシェの態度は、どうも拗ねているようにカティアには見えた。幼い容姿が余計にそう思わせたのかもしれない。
「セルグが構ってくれないからって、八つ当たりはどうかと思うよ」
「ばっ、馬っ、馬っ鹿じゃないの!」
かあぁ、と白い肌を真っ赤に染めて、アリアンローシェは叫び、先ほどのカティアのように、テーブルを叩いて立ち上がる。
「私は無駄な事が嫌いなだけよ! 人がやるのを見てても、イライラするわ! セルグの好みが人間の女だとか、馬鹿な話まで聞かされてうんざりなのよっ!」
「これが我の好みだと?」
アリアンローシェの言葉に、レイヴァンセルグも眉を寄せた。
――断じて、肯定が欲しかった訳ではない。カティアにとって、魔王であるレイヴァンセルグはイルスカウラと大して変わらない存在だ。
当然だとは思うが、さも心外だと言わんばかりのレイヴァンセルグの態度は、若干カティアの女のプライドに突き刺さった。
「私が言ってるんじゃないわよっ」
まだ口調は荒かったが、レイヴァンセルグが否定した事で、アリアンローシェも多少溜飲を下げたようだった。すとんっ、と椅子に座り直す。
「道理で、近頃我への貢物の中に人間の女が混ざっている訳だ」
「えっ!」
得心がいった、というようなレイヴァンセルグの言葉に、ぎょっとしてカティアは振り向いた。
人が売買されるのは、嘆かわしい事にカティアの世界においても珍しい事ではなかった。しかしカティアは、それを正しいと思った事は一度もない。
「そ、そんなふざけた貢物を受け取ってるの!?」
「財はあって困るものでもあるまい」
「人なのよ!? 心のある相手を物として扱うなんて、許されないわ!」
「弱者に権利など何もない」